本物の孤独。の一歩前

孤独とは、本当に1人のことを指す。ぼっちという言葉は使えなくなった。

ぼっちでない人間が使いまくってるからだ。

故に私は今後も孤独と表現することにする。

さて、表題についてだが、私は孤独の一歩手前にいる。

家族有、友人/zero、ネットの知り合い/zero。

故に一歩手前。OK?

本物の孤独は観測できない

孤独というのは極めて珍しい。数が少ないわけではないが、

まず見つからない。アカウントもってるかさえ怪しい。

真の孤独erはすべてのアカウントに人間的なそれを残していないはずだ。

つまり、理想型は観測不可能だ。

故に自称ぼっちやら孤独一歩手前笑みたいな輩は結局紛い物である。

しかしその中でも私は声高々に主張したい。

自称ぼっちよりはましであると。

この記事は誇るもののない人間のよくわからん自尊心の話

そういうことである。


ここが違う!孤独一歩手前VS自称ぼっち

1. 自力が違う。

自称ぼっちはぼっちとアピールできる程度のつながりがある。

私にはそれがない。はい一勝。

2. プライドが違う

自称ぼっちは気がついたらやめてる。

私はなんやかんや10年ほどやめられてない。

二勝目。

3. えー...文字数が多い

if "孤独一歩手前".size > "自称ぼっち".size
    puts "俺の勝ち。なんで負けたか、明日までに考えといてください。"
end

※手持ちのMBAのemacsのinf-rubyでこれ実行したらUS-ASCIIうんたらで落ちた。クソが。


4. アナグラム...ではなく結論

孤独一歩手前の方が惨めな上に、こんなクソみたいな記事書いて余計惨め上乗せでハイパー惨め。

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