わたしたちは別々の人間である

 趣味嗜好の世界に限らず、あらゆる領域において、「自分に対して不快なものを排斥したい」という感情にもとづくあらゆる行動があります。自分の縄張りであると定めた場所に誰かが入ってくると嫌悪感を抱き攻撃的になる、というのは、あるいは自然な反応なのかもしれません。自然ではあるかもしれませんが多重に問題をはらんでいます。

それのどこに問題があるかといえば、「攻撃をする」という前提を置いて動いていると、それはつまり「攻撃をされる」ことも前提となるからです。あらゆる人間が攻撃をすることが「自然」であるならば、あらゆる人間は攻撃にさらされる可能性があります。

結論として攻撃し合い縄張りを奪い合うことになります。これはかなり不毛な話ですし、リソースの無駄です。これがすごく不毛な話であるという観点で、たとえば戦争はしないようにしようとか、差別はよくないとかいった話が出てくるわけです。倫理的にどうこうというのは生まれ育った環境によってブレがありますが、リソースの無駄であるという点においてはまず間違いなく無駄です。

しかし問題は、「これは不毛なリソースの無駄遣いとしての縄張り争いである」という自覚を持っていない人が大半であるということです。これはとくに趣味嗜好の世界においては顕著ですが、自分が当たり前だと思っていることが、相手にとっても当たり前であるとは限らない、ということを認識するのはとても困難です。それは「自分とはどういうかたちをした何なのか」を理解する作業だからです。誰かに冷たく当たってしまう理由は何なのか。不快に思う理由は何なのか。よく考えてもわからない。

よく考えてもきっとわからないままのことのほうがほとんどでしょう。好きになった理由を探し出すのが難しいのとまったく同じように、嫌いになった理由も探し出すのは困難です。

 そして攻撃とはしばしば、受け取った側の問題、つまり「攻撃をされた」と感じた側の問題です。それもまた縄張りの境界線に関する問題です。わたしたちはたぶん攻撃することや攻撃されたと感じることを辞めることはできません。たぶん。

 せめて自分のリソースだけは守るようにしましょう。気がついたら自分の帰る場所がどこにもなくなっていないように。敵に対してすべきことは排斥ではなく線引きをはっきりさせることです。

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