絵の練習を三か月やりました
「イラスト学習サイト」で絵の練習を3ヶ月したら、上達したしプロのすごさもわかった
わたしもこれやりたい。
ところでわたしも三ヶ月になりました! という記事を2/1のうちにあげたかったんだけど2日になっちゃった!
■before
■after
わたしの練習は今のところ「写真を見て描く」がメインで、目的としてはバランス感覚をどうにかするのと服の皺を把握したいということで、あとふつうに楽しいので……オシャレなイケメンを眺めて描いてみるのが……。
色塗りもぼちぼち。透明水彩です。
見ながら描くのはずいぶんできるようになったんですが、自力でポーズをつけるのがまだぜんぜんなので今後の課題です。写真はmen's FUDGEとメンノン、『だらっとしたポーズカタログ』と『スーツ男子の描き方』(この二冊は頂き物です、ありがとうございました!)を使っています。オシャレなイケメンの写真が無限にほしい。
■使ってる参考書
人を描くのって楽しいね!―マンガのための人物デッサン― (廣済堂マンガ工房) 中村 成一
最初ホームページを見てやっていて、永遠にずーっとやってたところお友達にも勧められたので、やっぱり紙媒体で見ようと思って買ってから一日2ページくらいずつやっています。永遠に終わらせることができない気がするけど終わったころには……ポーズがつけられるようになる……! はず!
30ページ~37ページあたりを無限にやっていて全然できなくて全然進まないんですが、二ヶ月半くらいやってようやくちょっとできるようになってきたので地道にコツコツやるのが大事だな~と思いました(普通の感想)。ヒトカクさんに限らずお絵かき(お絵かきに限らないかもしれないけど)永遠にやっているとだんだん目も手も慣れてきて、唐突に「あれっ!? これできてるな!?」という瞬間が来る。
ゼロから学ぶプロの技 神技作画 (KITORA) toshi
pixivの講座も見ていてとてもよかったのとお友達に勧められたので欲しいものリストに入れていたらお友達が送ってくれました。みんなありがとう! 絵を描く友達が多いので、完全に集合知。
描き込める練習帳がアツいです。なぞったあとで即座に描くとけっこうちゃんと模写できる。線の引き方からわからねえという感じだったのでだいぶん捗りました。描き方のコツがいっぱい書いてあるので文章優位で認識する人にはおすすめです。文章書きなので文章のところを読むのが楽しい教本が好き。あととにかくかわいいので描いていてたのしい……。
やさしい水彩画―基礎 色・構図・対象の選び方 パトリシア モナハン
これ普通に買えないのか~道具の選び方からめちゃくちゃ詳細に描いてあってレッスンも超基本的なところから始まるので超いい。水彩画の本はほかにも何冊か買ったんですけど(絵がきれいだったり好みだったらどんどん買ってしまう)これはふつうに読み物としても面白いのでずーっと読んでいる。
以下はお勧めとかレビューとかではなく普通の日記と雑感です。
■きっかけ
いろんな理由が複合的にあるんですけど、一番は文章を書くのがたいへん困難になり、困難になった理由もいろいろあるんですけどひとつには人間不信というか読まれることに対する警戒心でしっちゃかめっちゃかになり、それはそうと別件で書いている文章(これはプロットの立て方についての文章ですが)がややこしすぎて完全に袋小路に入り、それに関して人に説明したりすることもだんだんできなくなっていった結果、全然別のことをやろうと唐突に思いついたのでした。
それとは別に、わたし、ちょっとデザインをやったりちょっとアクセサリーを作ったりちょっと編み物したりするんですけど、そういうことに関してあまりにも「よく見ていない」って言われすぎていて、わたしが目が悪いからというのもあると思うんだけど本当に「よく見る」「観察する」っていうのが苦手で、よく見るってどういうことなのか全然わかんなくて、改善したいなーという気持ちもあった。ていうか結構絶望していたんですが、去年の夏頃に眼鏡を新しくしたときに軽い斜視が発覚して、調整したレンズの眼鏡を入手したところ、生活が数倍楽になり、「もしかしてわたしはこれまでできなかったけどこれからはできることがたくさんあるのではないか?」という状態になったので、「頑張れば改善の糸口はつかめるのでは?」くらいの気持ちになったのです。
あと全然別の理由として、今TRPGにめちゃくちゃハマっているんですが、セッションが終わったあとのドロドロになった感情(ドロドロになった感情……)はテキストに起こすにはちょっと重すぎるし同卓した人に対してこの書き方だとちょっとな~別に巨大な感情があるというだけのことがどうにかして吐き出したいだけであってな~という気持ちがあって、短歌作ったりアクセサリー作ったりしてたんですがどうもウェットになりすぎるんだよなと思っていて、もっとドライな何かをやりたいと思って、あーそうだ絵を描いてみよう~と思ったというのもある。
絵、絵ですが、わたしは8歳から16歳まで水彩画を習っていたことがあって、先生とあんまり気が合わず、完全にトラウマになっており、完全にトラウマになっていたせいで何を習ったのか全然覚えていませんでした。絵の練習を始めてから昔もやったことをやってるはずなんだけど全然思い出せないからほんとうにつらかったんだと思う……。
というわけで、別に絵がうまくなりたいとかではなかったんですが、複合的な理由があり、手を動かしてなにかをやりたかった、手を動かしたかった、手を動かして成果物が出したかった、成果物として「湿ったところ」ができるだけないものを作りたいという気持ちと、「観察する」っていう行動自体の訓練をしたいという気持ちがあって、絵でも描くか~という……。
特に描きたい絵があるとかではなくて絵でも描くか~くらいで始めたので逆に続いたのかもしれない。絵を描いている人と自分、同じ競技をやっているっていう感覚がなかった。今もあんまりない。
あと、前述しましたが軽い斜視があって、そのためにもともと立体把握がめちゃくちゃ苦手で(立体把握が苦手なので階段を降りるのも苦手)、昔絵を習ってた頃もデッサンでグチャグチャに苦労してそれもトラウマになる一因だったので、とにかく無理しない、「自分なりにできることを」「楽しく」やる、っていうのをずっと考えてました。
■「できない」を外す
最初の二週間やってたことの内容としては、とにかく三次元の物質を長時間眺めるのはわたしには絶対無理、でもできるだけリアルなものから入りたいと思って、なんとなく3Dモデルアプリを触り始めて(ArtPoseというアプリを買いました)仕事の合間にぐるぐる回したり動かしたりっていうのをずっとやるところからはじめました。とにかくなんにもわかんないからよく見ようと思って。
あとは初心者向けのイラスト練習講座をググってやってみていて、これは場当たり的に引っかかるのをなんでもやってたって感じでした。ヒトカクさんに行きついてからはずっとそこにいます。
あと、何でもいいから一日一枚Twitterに描いたものを載せるというのをやっていました。「成果物をインターネットに載せるのはセーブポイントのチェック」というtweetが最近バズってたと思うけど(最近でもないかも)ほんとにそんなかんじで、今日はこのへんにいます、という、「今日はこのへんでキャンプします。これくらい移動しました」っていう記録と報告、って感じだった。
気をつけてたのは「全身を描く」「できるだけいろんなポーズを描く」「できないところはひとまずできなくていいので少しずつ直すようにする」。
絵を描き始めて二週間は、「練習をする」っていうより「わたしは絵を描いていい」って思うのがたいへんだった。「絵を描く能力がない」っていうんじゃなくて、「絵を描くことを拒否している」って感じだった。
絵を描くの、まじでだいぶんトラウマになってたんじゃないかと思うんだけど、「この線は引いていいのか」「ここにこれを描いていいのか」たとえば「背景描いていいのか」とか「目のなかにハイライト入れていいのか」とかが、全然わかんないというか、むしろ「ダメなんじゃないか」と思ってしまう、というところからスタートでした、わたしは。
絵を描くことに関して、自分は下手、みんなよりできてない、先生にも褒められないし怒られるし手を加えられる、好きなものが描かせてもらえない、みたいな経験がやっぱり長かったんだと思う(あんまり覚えてない)んだけど、「わたし(なんかが)こんなことやってはいけない」みたいなの、セルフネグレクト~~~って感じだし、そもそもわたしはもともといろんなことがセルフネグレクト気味なのがめちゃくちゃ出たって感じもする。最初の二週間はそんな感じでした。とにかく「何でもいいから絵を描いていること自体に慣れる」必要があったっていうか。
「できない」っていうのは、「やってみたけどできなかった、できないとわかるところまでやった」っていう「できない」と、「できない、してはいけないと思っている」っていう「できない」があって、食わず嫌いみたいな「してはいけないのではないか」を一個一個外していく作業に結構時間がかかった。背景描いていい(いけないわけないんですけど)って思えるまでに半月かかってるし、「焦らずゆっくり線を引く」とか「時間をかけて描く」とかに関しても、「自分はそれをしてもいい」「それをした方がいい」って思えるまで結構かかったし今でもできてるかどうかわかんない。できてないのでは。「資料を見ていい」とか「定規使っていい」とかもそう。
絵を描き始めて半月のときにこれを描くのにだいぶん踏ん切りが要って、これを描いたところでようやく「描きたいもの描けばいいんだ」と思えるようになったような気がする。
これ以降の半月はどんどん「定規を使って線を引いていい」「色も塗っていい」「ペン入れもしていい」ってなっていって楽しそうになってきている。「練習」というか「学ぶ」姿勢になってきたのはようやくこのへんからで、二週間かけて下地を均したんだと思う。
11/19くらいから「顔描き込んでいい」ってようやく思えるようになったみたいで、練習をはじめて、急にちょっと描けるようになっている。絵、「上達が階段」ってよく言われてるけど、わたしは逆に「唐突に急によくなる瞬間がいきなり来る」って印象。
あとオシャレなイケメンの写真の模写をほぼ毎日やるようになったのが11/23で、写真の模写始めてからやっぱり急に良くなってて、良くなったというか解像度が上がったし、「対象をよく見る」というのがどういうことなのか少しずつわかってきたような気がする。前述しましたが、「よく見て描こう」ってみんな言うけど「よく見るってどういうことなのか」がそもそもわからなかったんですよね。一ヶ月くらいかけてようやく「観察」とは何か、がちょっとずつわかるようになった。のかも。
■自己肯定の成果物
わたしほんとに「描きたい絵」っていうのがなくて、「好きな絵の好きな要素を抽出して真似してみよう」っていうやつがほんとにぜんぜんできないし、好きな漫画を模写するとかも全然できなくて、写真の模写かモデルの模写しかできない。
なんかちょっとやっぱり人の絵怖いのかもしれないな。「同じ競技をやってる」って思ってないというより思いたくないんじゃないか、「この人と比べて自分はこう」みたいなこと感じるのが嫌なんじゃないか、って気がする。
そこは乗り越えた方がいいんだろうけど、やっぱり子供のころから「絵が下手」「誰と比べても下手」「わたしは劣等生」って思ったままずるずる8年間も「劣等生」という席で絵をやっていたというのは拭いがたい。「劣等生」はともかく、まがりなりにも教室に通って展示のための作品作りなどもしていたわけで、「誰と比べても下手」だったわけではないと思うんですけどね。認知の歪み~!!
出来不出来にかかわらず毎日成果物を公表する、出来不出来や自他評価に関わらず成果物を公表したこと自体を成果とする、っていうのを三ヶ月やるのは結構そのあたりの歪みを整える作用があったのではないかと思います。
というわけで、「絵がうまくなりたい」とは思わない、ように、している。「いまここにいるわたしには成長の余地がある」ということを無限に確認するという行為を頑張っている。
なんらかのコメントが付くことをなんとなく忌避しているので有料設定をつけていますが下にはなにも入ってません。
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