かなむらさん、ちょっと質問したいことが:愛されたい

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>定期的に愛されたいって思って悲しくなることがあります。別に私のことを好いてくれてる人がいるのはわかってるのですが。そのまま昔のことを思い出して昔の自分を羨んでダウナーになるので良くないなって思うんですが、思いつく対処法があれば教えていただきたいです。

・愛されたい

・自分のことを好きな人がいるという事実はこの場合関係がない

・過去の自分は愛されていたと感じる

・過去の自分について考えると落ち込む

 このご相談に含まれる内容は以上です。愛されたいという感情はいろいろな側面があると思いますが、このご相談の場合、「過去の自分が満たされていたということと現在の自分を比較して辛い」という点が焦点ではないかと思います。

 「愛されたい、別に愛されていないわけではないのは分かっているけどそれは今は関係ない」というのは別に矛盾はしておらず、「肯定感に包まれた瞬間をずっと感じていたい」くらいの意味ではないかと個人的には認識しています。それに「過去の良かった記憶を思い出して辛い」という側面が入ってくると、「良かったころの自分(というものが存在するとして)に対して、現在の自分は劣っている」「劣っているから、愛される価値がない」という思考を辿るのではないかと思います。


 まず第一に、

・過去の自分は「現在の自分」とは関係のない存在である

 とします。

 もちろんまったく関係ないわけではなく地続きな部分はあるのですが、ここではそれを考える必要はありません。「過去、すごく良かった瞬間がある」ことは、一種の奇跡というか、偶然の産物であって、自分自身がどういう人間であるかとはほとんど関係がないことのほうが多いのではないかと個人的には考えています。もしかしたら体調や容姿、能力といったコンディションが良い時期だったのかもしれませんが、それも偶然そうだっただけです。現在のあなたのコンディションが(おそらく)あまり良くないこととの因果関係はないものと思った方が良いのではないかと思います。

 第二に、

・自分と関係のないものが自分より優れていることは、自分とは関係がない

 とします。

 過去の自分であっても他人であっても、そもそも関係があると思うから優劣が発生するのであって、同じカテゴリのなかに収めなければ優劣が発生することはありません。少なくとも「愛されているか愛されていないか」という漠然としたカテゴリ(しかもこれは「本当に愛されているかは関係ない」ので、全く存在しないカテゴリです)を用意する必要は全くありません。


 具体的に「今の自分には何ができていて、誰が肯定してくれている」ということが理解できる理性的な時間が来るまで、大きくて存在しないカテゴリのことはできる限り忘れるようにしましょう。

 忘れるのが難しい場合は、できるだけ小さなカテゴリにおいて自分が達成していること・達成可能なことについて考えるのもよいと思います。たとえばトイレ掃除をしていなかったとして、「トイレ掃除を済ませることができれば、トイレ掃除をしていなかった頃の自分より優れている」と考えるとかいうふうに。

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