中間色のともだち

 刺激とストレスの関係についてはもう書きましたが、というわけで好きになるのも嫌いになるのもそれなりに疲れる、そのうえで、「好きなことを仕事にする」あるいは「好きな人・もの」をそばにおく、ということについて。

 「すごく好き」の「好き」の種類が「感情の大きな揺れ」である場合、どんなタイミングでの、どんなかたちでの発露であっても、それはかなりリソースを食うことです。人でも物でも仕事でも概念でも、その相手に向き合っている間いつも感情が大きく動いていたらとても疲れる。「好きなものだけを周りに置く」というのは相当の決意と体力を要する作業です。

 このようにして「大好きだけど仕事にはしない」という可能性が発生します。「かつて大好きだった人と、念願かなってたくさん遊べるようになったけど、どうもうまくいかない」というのも似たような話です。感情が大きく揺れている状態で「好きなもの」に向き合ったとしても、「その場で求められるふるまい」ができるとは限りません(というか大抵できません)。そしてそのうえで、「好きだからやりたかった仕事」の「好きになれない側面」は必ず見つかります。最終的には「好きだった」という感情が「好きになれないところがどうしても気になって」「好きじゃなくなった」ということもありえます。

 つまり好きなものを近くに置くときはある程度「感情の大きな揺れ」を「落ち着かせて」、それに対して冷静な態度が取れるかどうかが鍵になります。決意と体力が要るのはこの点です。


 対して、「感情の大きな揺れ」を伴わない「好き」もあります。タイトルに置いた「中間色のともだち」というのはそういう意味を含んでいますが、これ誰かが言ってた言い方なんだけど誰だったかな、勝手に使ってすみません。

 「激しい情熱を燃やすほど好き」なものがある生活は豊かなものです。それと同じくらい、「一緒にいるとおだやかに生活ができて、なにも考えなくてもやりとりができて、ごく自然にやるべきことがわかって、楽」なものがある生活は豊かなものだし、生活とは基本的に中間色のともだち(人に限らない)がベースのものではないかと思う。「比較的好き」くらいのこと、「比較的得意」くらいのことを、自分の中と自分の周りに見つけ出して用意しておく生活。


 下には特に何も(略)。投げ銭箱です。

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