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根津の鬼子母神 ~前編~


補講授業が始まり最初の2/3は、存在にまったく気付かなかった。一番後ろの席で、下を向いて一心不乱にノートへ書き込みをしているグレーのパーカーの学生。他の科目の内職でもしているのか?と流していた。

「この機序が説明できる人、いますか?」
そうクラスに声をかけた瞬間、弾かれた様にぱっと顔と手をあげたパーカー姿の恵と目があった。
なんで居るんだ!と思ったが、相手にしてはいけない。幸い、指されることを恐れた学生たちは下を向き、後方の宇宙人に気づいていない。
誰が見ても判る怒り顔を作り、視線で「退去命令」を出す。が、恵が悟るはずもなく・・・
「はーい、僕説明できます!早瀬先生」
誰がボクだ!なにが早瀬先生だ!早く止めないと、残り時間がカオスになる。
現にクラス中の学生が後部座席を振り返っている。さっきまで居眠りしていた者までもが!
「前を向いて!レジメの最後にある添付資料を読んでいてください」
言うが早いか、俺はつかつかと恵に近づいた。

「先生、講義が終わったら僕と一緒に行きましょう。ぁ・・・お願いします」
俺の怒りを感じ取っていることは、抑えた声量と丁重な言葉づかいからわかる。表情は相変わらず「初めて虹を見たヒト」みたいだが・・・。

「なぜここに居る?」
感情を込めずに、小声で詰問する。
「コレコレ」
恵が俺の顔に視線を留めたまま、机上のノートをコツコツとペン先で突く。
たい焼きの絵?尻尾の焦げまで、非常にリアルによく描けている。そりゃそうだ、60分間あれだけ集中して描いたんだから。
「メグ、半分食べられちゃったヤツをとなりに描いて、30分間黙ってろ」
「アタマとシッポ、どっちから食べる?」
「あたま」
「ん、了解した」
恵が下を向きペンを動かし始めるのを確認して、俺は授業を再開した。

「今日はここまで。このあとオフィスアワーが取れないので、質問のある人はメールか明日の昼休みに部屋に来てください」
そう告げるのを合図に、学生は三々五々に立ち上がり教室をあとにする。俺はPCとレジメ、参考資料の類をファイルボックスに収めると、後ろの席に目をやった。
恵の周りには女子学生が群がって、何やら楽しそうな人の輪ができている。といっても、恵が一方的に話しているに違いないが。

「槇村さん、帰りますよ」
「あ、先生!恵さんとは幼なじみなんですって?」
「学生さんは、アホが感染るからこの男に近づいてはいけません」
「早瀬に近づくと、嫌いな野菜を代わりに食べさせられるよ。椎茸とトマトとキクラゲ・・・ちなみに椎茸とキクラゲは野菜じゃない、菌類だ」
「槇村さん、黙って」
「えー先生、トマト嫌いなんですか?」
「健康に良いのにー」
一斉に笑われた。
恵は好奇心に満ちた顔で、笑う女子学生たちを眺めている。俺がトマト嫌いだという事実が、なぜそれほど可笑しいのか?今ばかりは俺も恵と同意見だ。さっぱりわからん。

「行くぞ。杖はどうした?」
「研究室に置いてきた。授業に松葉杖は要らないから。ここまで山田タクシーに乗って来たんだ」
「おまえ、妙な癖つけてんじゃねぇよ」
思わず低く唸ってしまった。
「わぁ~早瀬先生もそんな言葉使うんだ~」
「普通の人みたい~」
と、またひとしきり笑われて、恵を背負ったところできゃあきゃあ冷やかされ・・・俺はドッと疲れて講義室を後にした。


俺の背中で自作の鼻唄を披露している男「まきむらめぐみ」は、幼少のみぎりからの腐れ縁で、現在は散骨屋を営んでいる。
先月、恵は仕事がらみでヤクザに足を折られた。一昨日やっとギプスが外れ、松葉杖歩行がはじまったばかりだ。ところが療養中に何度か背負ってやったことが仇になり、最近こいつは誰彼かまわず「おんぶ」を要求する。
言っておくが俺もこいつもイイ大人だ。ただ恵は自閉症スペクトラムで、異常なほどの集中力と記憶力を身につける代わりに、わりと普通の能力の一部をどこかに忘れて生まれて来た。

「お前わざとやってるだろ?」
「?なんのこと?」
長い入院生活により、確実に退行現象を引き起こしている。楽な方に流されるのは、恵の処世術だから仕方ない。とはいえ、今日は格別に非道い子供返り状態だ。
「やっぱ、錬太郎タクシーの乗り心地が一番だ」
小さくつぶやいて、うなじに顔をグリグリと擦り付けてくる。
「誉め言葉になってねぇぞ。で、何でここに来た?」
「仕事だ」
「アレは根津のたい焼きか。てっきり」
「麻布十番だと思ったんだろ?違うよ!どうして分かんないんだっ」
背後からの苛ついた声。なんだよ、甘えん坊の次は駄々っ子か?
「たい焼きの分別なんか、興味な・・」
「それはもうイイ!鳥居に行くんだ。一緒に来い!」
「鳥居?根津権現か?」
「錬太郎も行くんだ!やっぱ・・・・・行かなくても、いい」
「あのな・・・」
「佐々木健司」
懐かしい名前が、何時も乍ら唐突に恵の口から飛び出した。

佐々木は大学時代の同級生で、ふたりの共通の友人だ。
小柄で常にうつむき加減だったせいか、顔より真っ先につむじが思い浮かぶ。小声でボソボソ言うばかりで覇気がないが、意外と明るくケタケタとよく笑い・・・恵の破天荒にも辛抱強く付き合ってくれる気のイイ男だ。

「佐々木か・・・もう随分会ってないな。元気か?」
学部を出てからも、佐々木が地元に戻るまでは3人でよく連るんで飲み歩いた。
「死んだよ」
「え?」
「し・ん・だ!」
「いつ?」
「知らない!根津の鬼子母神に聞けば?」
「知らないって・・鬼子母神?雑司ヶ谷の?」
「ちがう!根津にも居たんだ、子を盗られた鬼が」
それを最後に、恵は押し黙ってしまった。


研究室のドアを足で蹴飛ばすと、院生の山田くんがドアを開けてくれた。
「お疲れ様です。槇村先生は、2度目のいらっしゃいませ」
恵を背から下ろし、窓辺の椅子に座らせる。
「着いたぞ。お茶でも飲むか?」
「・・・・・・・・」
無表情、無反応。窓の外に顔を向けたまま微動だにしない。これは最も厄介なサインだ。なんだ?情緒不安定の理由は?
「先生、30分ほど前からお客様がお待ちです」
「お客?」
いぶかる俺の口元に、小走りで駆け寄った山田くんがスッと一本指を立て、笑顔を消してクイッっと衝立を指す。それだけで厄介な客だと悟った。
今日は厄日なのか?

髪を撫で付けながら仕切られた部屋の一角に歩を進め、衝立の隙間から見える人影を目指して声をかける。
「お待たせ・・」
場にそぐわない、和装の喪服姿に一瞬たじろぐ。
「しました。早瀬錬太朗です」
俺の目礼を合図に、黒ずくめの小柄な女性は立ち上がり、ゆっくりと丁寧な会釈をよこした。
「突然お邪魔して申し訳ありません。私、佐々木健司の母の・・・佐々木桐絵と申します」
子を盗られた鬼・・・憔悴した初老の女の貌に、恵の言葉を思い出した。


母親によると、佐々木は白血病を患ってわずか数ヶ月で還らぬ存在となったという。
亡くなる少し前のこと。四十九日を過ぎたら俺たちを訪ねて、遺骨の一部を散骨して欲しいと、佐々木自身が母親に遺言したと言うのだが・・・。

「健司は私に・・自分が死んだら、会って早瀬さんと話をして来たら良いと」
「ボクと・・・ですか?」
初対面の母親と何を話せば?と怪訝に思う俺を置き去りにして、母親は先を続けた。
「結婚して11年目に、やっと授かった一人息子でした。佐々木は長崎で4代続いたお医者の本家筋でしたので、親族もご近所も皆さん大喜びで」
「その話は以前、佐々・・健司くんに聞きましたよ」
いずれの時代も名家の跡取り問題は深刻で、佐々木は「生まれる前から多大な希望と重荷を背負わされていたんだ。だから僕は背が伸びない」と笑っていたっけ。

「私は実家が根津でしたので、乙女稲荷には幼い時分から色々な願い事をして参りました。37であの子を無事に産むことが叶った時は嬉しくて、お礼に鳥居を奉納したのです」
そう言ったきり母親はしばし黙して語らず、握りしめていたハンカチを膝に広げ、皺を伸ばしはじめた。
「あそこに健司くんの鳥居があるなんて、知りませんでした」
「・・・・・・・・」
先を促すべく入れた相の手も虚しく、その後の沈黙は優に10分を越えた。

居心地の悪さを感じた俺は、口もつけられずすっかり冷えた番茶を淹れなおそうと立ち上がりかけた。と、母親が再び話し始める。
「あの子は・・・絵が好きで、とても上手で」
「絵、ですか?」
「家を継がなくてよければ、そちらの道に進んでいたのじゃないかしら。あの子が絵を描き始めたのは・・・」
来客が息を吹き替えし、俺は温かいお茶を諦めて腰を落とす。
長々と続く取り留めもない語りの要素を搔い摘むと、佐々木は小さい頃から絵の才があり、隣町の絵画教室に通っていた。そして、幼稚園から大学に入って東京に来るまで、母親の誕生日には絵を描いて贈っていたそうで・・・
「あの子は地元を離れたくないと言いましたのに、有無を言わさず東京の・・学校に入れてしまってからは、もう描いてくれないと思っていました」
「まさか、そんなことぐらいで・・」
「それが亡くなってから出てきたのです・・・鉛筆画の時もあれば油絵のものも、18年分・・・描き溜めてくれていたのです」
「良いお話じゃないですか」
何だってそんなに悲壮感を漂わせてるんだ?溜め息を噛み殺して人の良さそうな作り笑顔を向けると、母親はその返礼にじっとりとした視線を投げてよこした。

「小さい頃、体の弱かったあの子に腹を立て・・・どうせならお狐様も、もっとましな子を下さったらよかったのにと・・・本気でそう思ったことがあるのです」
いよいよ愁嘆場か?ここでオイオイ泣かれてはたまらない。そろそろ話を切り上げた方が良さそうだ。
「そんなことは、誰にだってありま」
「想い人が居たのです!こちらに」
文脈が掴めず気圧されて、開いたままの口を閉じた。
「その方が結婚なさって子供ができたとかで、最後には諦めて帰ってきてくれましたが」
「はぁ・・・」
「二度と会わない、でも忘れられない人だと、そう言って」
佐々木に恋人なんていたか?そういうことは、恵のほうが詳しいな・・・
「病気に蝕まれたのは、土地のお嬢さんと良縁で結ばれて、これからという時でした。本当に、呆気なく逝ってしまって」
「それは・・ボクもついさっき知ったところで」
「こんなことなら、好きにさせてやればよかった・・・絵でも恋人でも、思う通りの生き方をさせてやれば。たった36年・・・ひとつも願いが叶わぬまま」

俺は自分のお茶をひとくち飲み下す。「ゴクリ」と音が聞こえるようなぎこちなさだ。
ナンだコレは?佐々木の嫌がらせなのか?俺がおまえに何をした?
おまえの死を知ったのは、つい1時間ほど前だ。友人だったら、少しは咀嚼する時間をくれたってイイだろう?何故このタイミングで、おまえの母親と茶飲み話をしなくちゃならんのだ?
「健司くんは、小児科医に成りたがってましたよ」
俺が言い返せたのはこの一言だけ。しかしそれも「それは私の夢でした」と即答されて、まぁそりゃそうだ・・・と降参した。


母親は自分が伝えたい事柄だけを一通り話すと、事務的な口調で切り出した。
「6時でよろしいですか?槇村さんには、日暮れが良いと言われております」
「槇村とは?」
「昨日、お骨を粉にしていただきました。あの・・・何ですか?コーヒーミルみたいな道具で、ひとつひとつ粉にするんですね?私知らなくて」
「あぁ・・・ご覧に、なりましたか」
死者を想う人がいる場合、それが遠縁の親族でも友人でも外国籍の者でも、呼びつけて目の前で骨を砕く。恵の、数少ない決め事だ。
該当者がいなかったり、どうしても来ることができない時は俺が立ち合う。
俺は、部屋の隅で黙々と、言葉もなく骨を挽く恵を見るのが大嫌いだ。だけど、ひとりでソレをさせるのはもっと嫌いだった。

「・・・では佐々木さん、6時過ぎに槇村と一緒に伺います」
「件の鳥居でお待ちしております」
間髪入れずに応えて頭を下げ、スッと立ち上がると、母親は恵や山田くんには一瞥もくれず部屋から出て行った。


「先生・・・・大丈夫ですか?」
来客用のお茶を片付けながら笑いかけてくる山田くんを見て、日常に引き戻される。「ハハハ」と力なく笑い、残りのお茶を飲み干した。
「お母さんのお世話、押し付けられちゃいましたね。先生面倒見が良いから。あのマイペース婦人、またお話しに来ますよ、きっと」
「その予言は、当たらないと良い」
これまでも臨床で様々な家族模様に遭遇し・・・まぁ、色々巻き込まれた。家族にはそれぞれに事情があるもんだ。
ただ今回ばかりは、多少感傷的になってしまいそうだ・・・

ひとつ伸びをして恵を見る。
1時間前と変わらぬ姿勢で窓の外を見つめている。「ずっとあのまま?」と手振りで山田くんに問うと、すまなそうな顔で大きく頷く。

そうだ、俺の家庭争議は未解決のままだった・・・

続く ~<((((・_・)


今回もShivaさんに挿絵を描いていただきましたヽ(*⌒∇⌒*)ノ☆。.::・'゚ワーイ!!
長くなっちゃったので2分割しました。
またもやBL未遂事件ですがヾ(~∇~;) ・・・お楽しみいただければ幸いです。


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