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根津の鬼子母神 ~後編~

前編はこちら ~<((((・_・)


「あまおうラテあるぞ。飲むか?」
ズルズルと椅子を引きずり、恵の正面にまわり込んで座る。
「はい、槇村先生」
山田くんが置いたカップから、甘ったるい苺の香りが立ちのぼる。
「冷めるぞ。飲めよ」
「槇村先生は猫舌だから、飲み頃はあと3分ってところですか?先生はこっち」
「ありがとう。悪いね」
山田スペシャルブレンド珈琲をすすりながら、俺は湯気の向こうの恵を観察する。


恵のアタマには高性能のCPUが搭載されている。だがこの男は、それを乗りこなす術を持たない。

俺を含めた多くの凡人は、日常を志向性にしたがってシンプルに整理する。いうなれば、可能性の半分を捨てて暮らしているようなもんだ。
しかし、恵はすべての「希望」を救おうと拾い集め、すべてが「大切」で、すべてが「捨てちゃえ」だと考える。
なまじハイスペックなのも困りもので、膨大な情報に埋もれ途方に暮れ・・・結果として、恵の出力系に混乱をもたらす。

石膏モデルのように涼しい横顔とは裏腹に、爪先が白くなるほど強く肘掛けを掴んでいる。吐き出したい・・・たくさんのコトガラがあるのだろう。



甘い香りが契機となったのか?恵が突然、堰を切ったように話し出した。
弾んだ声で、謳うみたいに・・・。
「錬太郎は、よくあいつの勉強みてやってたろ?」
「ん?」
「覚えてる?佐々木がさぁ、解剖の初っぱなに具合悪くなって、ショックで学校来られなくなっちゃった。2ヶ月くらい俺たちで送り迎えしたろ?」
「あの時は・・・辞めちまうかと焦ったな」
「おまけに、解剖ノートも書けなくてさぁ、おまえが交渉して先生に期限を4日伸ばしてもらったの」
「覚えてねぇな、それは」
「3年の試験ラッシュの時なんか、錬太郎が完全にカテキョしてた。なのに佐々木ってば、生理も薬理も病理も赤取るし」
「まぁ、3年は地獄だったしな」
「にしたって、薬理31点はないよ。おおかたの実験も不器用すぎて、一人前の仕事を任せられなかったし」
「恐がりで・・・慎重なんだよな」
「5年で俺たちと別のグループになってからも、なにかって言えば錬太郎が面倒見てやってさ。そうそう、初めて症例発表やったときなんか、あいつのために3日も徹夜した。ALSの文献集めて、俺たちだって自分のやんなきゃだったのに、プレゼン資料も手伝ってやって」
「そんなことあったか?」
「あったよ!忘れちゃったの?それと・・・レジデントの時だって」
「めぐちゃん、もういい・・・わかったから」

佐々木と微に入り際に入り関わっていたのは、俺じゃなくてむしろおまえだった。おまえのほうが俺より、佐々木をナンのてらいもなく支えていた。
レポートの期限だの、症例の文献集めだの・・・俺がすっかり忘れてしまった些末なことまで、丁寧に一つひとつ思い出していたのか?
佐々木とのあれこれ、すべてを?


「錬太郎・・・あいつ、本当に死んだんだな」
人に知られたくない秘密を告白するみたいに小さな声で、俺に確認する。
「見たんだろ・・・骨」
「名前は書いてないから」
「そりゃ、なぁ・・」
「知らなけりゃ、俺には生きてることになってた・・・ずっと、知らなければさ」
背後で山田くんが部屋を出ていく音が聞こえた。どこまでも気が利く男だ。

「・・・おいで」
恵は口を尖らせ、困ったような顔で俺を睨む。
「ほら」
ここがおまえの場所だと、ポンッと膝を叩いて見せる。
片足でよろけながら俺の膝にまたがって座り、ひょろりと長い腕を背中に回す。ほんの数秒、ギューっと息が詰まるほどきつく俺を抱き締め、満足したのか?やがて力を抜いた。

俺は恵の頭と背中を抱え、耳元で静かに話しかける。
「佐々木が居なくなると、寂しいな」
「そうかなぁ・・・俺はまだ、よく分かんないや」
頭を肩にあずけ、独り言のようにつぶやきながら俺の襟足の毛を指でひねって玩ぶ。こういう仕草は子供の時のままだ。
あの頃はおまえの方がデカくて、俺は押し潰されないように必死だった。1センチでいい、1キロでいいから、早くこいつより大きな男にならないと、大人になる前に圧死するんじゃないかと本気で焦ったもんだ。

「母親が・・・健司は自分が殺したって、赦してくれって言うんだ」
「あ?なんでおまえに?」
「ねぇ、殺したって・・・どういうこと?」
「あいつの望む生き方を奪ったって、そういうことだ」
「佐々木の望みって、なに?」
「俺が知るかよ」
「・・・・・俺は・・・ちょっとだけ知ってる、かもしれない」
「そうか・・・そりゃあ、なおさら辛いな」
佐々木、俺はお前を恨むよ。
なんでこんなに早く死んだ?最期の望みだかなんだか知らないが、どうしたって恵にこんな役回りを当てたんだ?おまえ、恵のこと大切にしてたじゃないか。


6時少し前に部屋を出て、根津権現に向かった。大鳥居をくぐり、人気のない境内を抜け、お稲荷様にたどり着く。
ここには、俺の背丈程度の小ぶりな赤鳥居が、叶った「願い」の数だけ連なって立っている。人間の強い欲望の数だけ有るのかと思うと、ゾッとしないこともない。

松葉杖でぴょこぴょこ歩く恵の後ろ姿をぼんやり眺めながら、ごつごつした石畳の参道を進む。
経年変化で彩度の落ちた赤鳥居がいくつか続き、そのひとつの真下に黒い着物姿の女が待っていた。

俺たちを見止めると、佐々木によく似た薄い唇を開く。
「早瀬さん先ほどは。槇村さん、お体が不自由な折、息子のためにありがとうございます」
淀みなく言うと、深く頭を垂れて一礼した。
「おばさんさ、孫いるの?」
会釈を返す俺の前で、恵が挨拶抜きで唐突に尋ねる。
「孫・・・おりますよ」
さして驚いた風でもなく応える。
人のペースに頓着しない人間という意味において、このふたりは同類だ。だから俺は、恵から預かったメロンケースの中の佐々木と一緒に、大人しく傍観させてもらうことにした。

「2歳半の女の子と、来月・・もうひとり生まれます」
「医者にすんの?」
「・・・いいえ。嫁の、孫の好きにさせたいと思っております」
「なんで?家業が途切れちゃ困るんでしょ?あんた」
恵が不機嫌も露に言う。
ほっとけよ、おまえには関係ないだろう?
「せめて孫たちは、自由に・・・やっとできた子に、私は親として間違ってしま・・」
「馬っ鹿みたいだ!佐々木のこと、ちっとも分かっちゃない。そんなだから鬼になるんだ!」
「めぐみ!失礼だぞ」
「だって錬太郎、この親子ったらチグハグじゃん!・・・・・父ちゃんの仕事、継ぎたかったけどなぁ、俺は」
振り替えって、不貞腐れた顔を俺に向ける。

「お父様の、仕事・・・」
「ウチね、八百屋なの。俺は三代目になりたかった。子供の頃から、兄ちゃんよりおつりの計算はうんと速いんだよ。でもねぇ」
買い物客でごった返す店先で、一度に沢山の人と阿吽のやり取りをするなんて・・・恵じゃ1分だって保たない。
「佐々木は良いよなぁー、父ちゃんと一緒に働いてたんでしょ?近所の人が『立派になって!お父さん幸せね』とか言うでしょ?ねぇ?」
「えぇ、まぁ」
「兄ちゃんも姉ちゃんも、言われンだよ。なのに俺なんか、ずーっと『奇天烈な次男坊』なんだ・・・分かる?」
「まぁ・・・なんとなく」
おいっ!あんたも失礼だぞ!
「誰でもねぇ、褒められたいの、親には。おばさんさぁ、錬太郎とゆっくり話したらいいよ」
なっ!おまえまでソレを言うのか?なんの罰ゲームだ?

「親って、子供さえいれば成れるってもんじゃないんですね」
「ナニ言ってんの?健司は、あんた以外の女を『母ちゃん』とは呼ばないよ」
「でもそれは・・・・・子は親を選べないからじゃないですか」
「そんなのお互い様だろ」
「ぁ・・・あぁ」
恵の言葉に何を思ったのか?母親はひとつ大きな溜息をつき、うなだれた。

「さてと、そろそろ佐々木を送るよ?」
恵の声を合図に、メロンのケースに2/3ほど詰まった灰白色の粉を鳥居の足元に撒く。佐々木は土と苔の上に小さな山を作った。最期までつむじしか見えない姿に、少し頬が緩む。
いつものように俺は恵の隣にならび、合掌する。一歩離れた位置で、母親も静かに手を合わせていた。
3人とも、長い間そうしていた。

ややあって、母親がめずらしく歯切れ悪く切り出した。
「・・・・・・めぐみ・・さん、健司の願いがひとつ・・・よく分からなくて・・・あの・・貴方にお会いして・・・あの・・」
「俺には息子が、おばさんには孫がいるんだから、丸く収まったンじゃないの?親子そろって、まーったく野暮なんだから」
「ふふふっ・・・本当に、全く野暮なことで」
笑いながら、鬼が泣いた。
なんの話だと恵を見ると、キョトンとした顔で灰の山を指さして、俺に向かって「つむじ」とつぶやいた。


佐々木の母親は、何度も振り返っては「ありがとうございます」と深々と頭を下げながら去っていく。その様子を見送るうちに、「健司くんの話をしたくなったら、何時でもいらして下さい!」と声に出してしまい、途端に後悔した。
ニタリと嗤った・・・ように見えたからだ。
俺は大きな過ちを犯したのかも知れないが、まぁ、世話の焼ける親友の最期の頼みだ。仕様がない。
とはいえ、角を曲がって姿が見えなくなると全身の力が抜けた。
どこも母親というのは・・・小言をすべて吐き出してしまうまで、鼓膜の奥まで振動が通過しない耳のつくりになっている。
・・・だから疲れるんだ。


恵が、松葉杖の先で佐々木の粉を撫でている。
「めぐみ・・・ケイは?元気か?」
「?元気だけど?なんで?」
杖をそろそろと動かしながら、抑揚のない声で答える。
「いや・・・さっき息子がどうのと言ってたろ?」
「妙ちゃんとは、会わせてないよ」
「妙子は・・・・・俺は妙子を母親とは認めていない」
「それでも、ケイの母親は妙ちゃん、父親は俺だ。錬太郎には関係ないって、何度も言った!」
下を向いたまま、吐き捨てるように言う。努めて俺は淡々と続けた。
「・・・そうだ、俺には関係ない。でも、妙子はおまえに人として最悪の」
「その話は嫌いだ。錬太郎がクルクルパーになるから。もうおしまい!」
「めぐ・・」
「これ以上言ったら、俺は松葉杖なしで全力疾走する!」
そう言うが早いか、恵は両手を広げ松葉杖を勢いよく手放した。
「待てっ!・・・・たい焼きは・・もう買えないから、鯖の寿司でもつまむか?久しぶりに車屋でも・・うわぁッ」

恵が飛びついてきたので、俺はヨロケて佐々木の鳥居に頭をぶつけた。
鳥居が揺れて「佐々木が笑った」と恵が喜んだ。



おまけ
Shivaさんのイラストで、もっともッと錬太郎を描いてもらいたくて♪ ですんで次は、錬太郎をイジメようと思います(//∇//)ウフv

Shivaさ~ん、挿し絵上がってるのに本文修正が遅かったり、金曜の夜にSS読ませてイメージ画像をおねだりしたり・・・いや、ほんま困った人ですいません(´-ω-`)ゞ

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