見出し画像

感性を分かち合うことができたら


結婚して、子供がうまれて、日々過ごす中で、
時々思うことがある。
それは、
感性が似ている人と一緒になればよかった
ということである。

ちょうど今、私は1人自宅にいる。
ベランダの外からは夏祭りのブラスバンドの演奏が聞こえ、カーテンがゆれ、気持ちいい風がはいってくる窓際で、夕日が沈んでゆくのを見ている。

なんて贅沢な時間なんだろう。

素敵な音楽の演奏をきけて、空の色はピンクからブルーのグラデーションで、そのまま絵にしたくなるような美しさで、クーラーをつけなくても充分心地いい風が吹いている。

私はこんな風に、リラックスしながら、何もしない時間を過ごすのが好きでたまらない。

そして思うのだ。
1人もいいけど、分かち合えたらなぁと。

細かく書くのは省略するが、
旦那と私の感性は、全く似ていない。

旦那は、男性だからというのもあるかもしれないが(いや、男性だからというのは偏見になってしまうか?)、クラシックやオーケストラの演奏を聴けば、眠くなって寝てしまい、夕暮れ時に目まぐるしく変わっていく空の色を見ても、はて?といった感じ。(そもそも、あの人は空の色なんて見る人ではない。私が今日の空の色はすごくきれいだね、なんて言えば、なに自分に酔っちゃって、といった感じの人だ。私は本当に自然の力に感動しているのに)
絵画を見たって、これの何がいいの?確かに上手だね!などとコメントから察するに、どうやら絵にも興味がない。

省略すると言ったのに色々書いてしまった。

とにかく、こういった日常の些細な出来事の感動ポイントが同じだったら、感性が似ている2人だったら、、
きっと、もっと満たされた幸せがそこにはあるんじゃないのかなと思う。

パートナーは少しでも感性の合う人を選ぶべきだったんじゃないかなぁ。(とりあえず今の旦那ではなかった!笑)
同じことに心動かされ、感動できることは、とても素敵なことだと思うのだ。

私だからなのか、
女だからなのか、
ないものねだりなだけ、、
なのかもしれないけれど。
分かち合う事のできる2人だったら、、
子育だって、日々の抱えてる大変さだって、あまり分かち合えてないのに、、
感性も分かちあいたい、似た人でありたいと思うのは求めすぎか?結婚も就活のように自己分析して相手を選ぶべきだったか?

妄想してみる。
旦那が言う
「ブラスバンドの生演奏を聴けるなんていい休日だね。それに見て!今日の空の色はきれいだね、、、あっそうだ!もう少し子育てが落ち着いたら、2人でブルーノートにでも行こうか、付き合ってる時に行こうって言って、結局行けてなかったもんなぁ」

なーんて。
あるわけなさすぎて、鼻で笑ってしまった。
うん、こんな言葉をくれる旦那なら、私は旦那自慢のおのろけnoteを書き綴っていただろう。
そしてこの記事を書いて分かったことがもう1つ、
私はもっと言葉がほしい。会話がしたいんだなぁと。

私の子供たちには豊かな感性が育つよう、色々な経験をさせてあげようと思う。そして会話でのコミニュケーションの大切さを教えていこう。

旦那はどうすることもできない。
諦めるしかないこと、変えることなんでできないと分かっているのに、なぜ受け入れることができず、ああ、もっとこうであればと思ってしまのだろう。

色々思いを巡らせてしまう休日の1人時間だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?