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ゲートが閉じたパンデミック後の社会は?


Stay Home(ステイホーム)


「Stay Home(家にいて、命を守る)」

ウイルスが人との接触で感染する以上、できる限り家の中にいて、人との接触を避けるのは合理的な考え方です。僕の場合は、日頃から仕事と住居兼用の部屋で仕事をしているので、非常時でなくても、「Stay Home」です。(同じところにいると飽きるので、マンションは2つ借りています)

なので、僕自身の日常に変化はないのですが、社会が大きく変化していることは部屋に中にいても感じます。


ゲートは閉じた

社会の変化を感じたのは、友人からのメッセージがきっかけでした。

「ゲートが閉まった。」

いつも、問を投げかけて、答えは僕に考えるように促す人なので、その真意はわかりません。ただ、その人が語ったのは、「ゲートが閉まる」でなく、「ゲートが閉まった」ということだったのです。

このゲートは、僕の前で閉まったのか、僕はゲートの中に滑り込めたのか?

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少なくとも、コロナウイルスに感染して、命を落とすかどうかという意味ではないでしょう。実際、感染してしまった人でも、死者よりも退院者が大きく上回っています。

おそらく、ペストが流行した時代よりも早く収束するでしょうし、ワクチンの開発にも成功するでしょう。しかし、それは明日ではありません。

山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信には、「新型コロナウイルスへの対策は長いマラソンです。」とあります。

ワクチンの開発に1年以上かかるという見立てもあります。この状況は急速に改善することはないと考える方が賢明であり、この状況が1年続けば、経済的な打撃は歴史上稀な大惨事に発展するかもしれません。


歴史は螺旋的に発展する

田坂広志さんの未来予測の手法である「螺旋的発展の法則」では、物事は、「らせん階段」のように、古く懐かしいものが周期的に復活し、さらにその時に1段上がった状態で復活するとあります。

この説を採用するなら、歴史は、一段上がった状態で復活すると考えることができます。つまり、歴史はそのままを繰り返すのではなく、一段上の状態で繰り返されるということです。

その際に、参考になるのは、ペストの流行後の世界の変化です。

長崎大学の山本太郎先生の論説によると、

・大量の死者により労働力が減少し、賃金の上昇をもたらせた
・教会が権威を失墜した
・既存の制度の外にいた人が登用された

ペストの流行の後、平穏な社会は文化的発展を遂げたとあります。
参考サイト

コロナウイルス後の社会は、僕たちに新しい社会を提供してくれるかもしれません。

しかし、お話しした通り、歴史が一段上がって繰り返すとするなら、ペスト後の世界をそのまま期待することはできません。

コロナウイルス後の社会は、

・経済の停滞により、企業数は激減し、人が余る→死ぬのは人でなく企業である
・国家の権威が失墜する→借金大国にすべての保証をする体力はない
・既存の制度の外にいた人が活躍する

コロナウイルス後の社会の希望は、既存の枠を飛び出した人に活躍の機会があるということでしょう。歴史が一段上がる以上、コロナウイスル後の社会は、元の社会には戻りません。だから、収束後の社会を希望にするのでなく、今現在に希望を見出すことが大切だと思うのです。


オールドとニュー

古くは、ダン・ケネディが「オールドエコノミー」「ニューエコノミー」と区別し、最近では山口周さんが「ニュータイプ」「オールドタイプ」と区分しました。

果たして、「ニュー」とはなにか?

コロナウイルス収束後の社会で問われる問いでしょう。

既存の枠組みで、他人の制度や評価の中で暮らす人をオールドとするなら、
自分の持つ才能で価値を見出す人をニューと呼べるのではないかと思います。

価値観が多様化する。

これまで何度も言われてきたことですが、コロナウイルス収束後の社会は、価値を提供できる人が活躍する社会になることでしょう。

私たちは、不安に怯えるのではなく、それぞれがStay Home(ステイホーム)をしながら、自分が提供できる価値について考えるべきだと思います。

あなたはゲートの中にいるでしょうか?





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