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終身雇用はサラリーマンを無能にする

構造上、どんなに優秀な人でも同じ会社でサラリーマンをやっていると無能になります。唯一の例外は、社長にまで上り詰める人ですが、そんな人はごく少数。

「ひとつのことをやり続ければ、その先にいいことがある」

かつてはそうだっかもしれません。しかし、昨今、ひとつのことをやり続けていると、「それしかできないんですね。若い人の代わってもらいましょう」という具合に仕事を失う可能性すらあります。

サラリーマンは、考え方を変えないといけない時期に来ています。サラリーマンは、最低1回は、仕事について選択決断をしなければならない時代に生きています。

そもそも終身雇用とは?

まず、終身雇用についてですが、なぜこんな仕組みが考えられたのでしょうか?想像するに、社員を退職させないためでしょう。

普通に考えれば優秀な社員はもっと給料や条件のいい会社に転職します。社員の流出が続けば企業は労働力が不足します。しかし、よい条件を出し続けると、経営が成り立ちません。そこで、年功序列で長く勤務すれば給料が上がり、クビにすることはありませんよという制度を誰かが考えたのです。

非常によくできたシステムで、給料の高騰を抑えるために、退職金(長く勤めないと貰えない)、福利厚生(いつでも変更できる)と餌にして社員の長期雇用を可能にしました。

世の中、優秀な人ばかりではないので、安定を求める人にすれば、確実に給料が上がり、クビにならないシステムは好都合です。で、両者の利害が一致して終身雇用が一般化したのです。

55歳で給料が上がらなくなった

若手の時代、仕事をしていない上司を見て憤慨するも、自分もあの年になれば楽ができると思っていた人は、残念なことになっています。

経済が常に右肩上がりの時代では、仕事が増えるので社員数も増えます。社員数が増えれば、管理職のポストも増えます。60歳で定年になればポストが空きますし、関連会社への出向ポストも用意されていました。

ところが、経済成長が止まると、仕事がないために、社員が余ります。終身雇用では、余っている社員をクビになるわけにもいかず、仕事を作ります。

こうして、課長や部長はいるのに課長代理、部長代理という役職が生まれ、フェロー、参事、参与というような、組織のどの位置にいるのかが不明な謎の役職がたくさん生まれることになりました。

当然ながら、バリバリ仕事をしていない人の能力が上がることはなく、組織には給料に見合わない仕事しかしていない人が増えます。

企業も手をこまねているわけにはいかず、役職定年という終身雇用においての禁じ手を使います。

長く勤めれば出世し、給料が上がるはずの制度は、55歳をピークに給料が下がり始めるというホームランの軌道がフェンスのかなり手前で失速することになってしまったのです。

なぜ、サラリーマンは無能になるのか?

役職定年は、サラリーマンにすれば禁じ手ですが、企業側から見れば、合理的な制度です。

というのは、ほとんどのサラリーマンは能力の限界レベルで仕事をしているからです。

ピーターの法則では、組織人は限界まで出世し、無能レベルに落ち着く。組織は無能レベルに達していない構成員の働きで運営されていると言われています。

要は、課長に出世した人は係長としては有能であったのですが、部長の能力はないということで、課長の能力のある係長以下の仕事によって組織は動いているということです。

サラリーマンで、何年も同じ仕事をしている人は、自分の成長が止まっていることを自覚する方がいいでしょう。同じ仕事を続けるほど、その仕事しかできなくなれば、年齢の上昇に伴い、給料に見合わない仕事しかできなくなります。企業はこうした社員を見逃すはずはなく、役職定年の導入で給料を下げる制度を考案したのです。

ただし、ピーターの法則は、正しいは反面、組織の問題点を見落としています。というのは、無能レベルの部長がそこにいる限り、有能な課長か課長のままであるということです。

無能レベルに達した上司の下にいつ部下も必然的に能力を発揮できなくなるのです。

事実、リストラの対象になるのは中高年である

企業内の無能レベルの社員の多くが中高年であることは、リストラの対象者を見れば容易にわかります。多くの場合、40、50歳以上が対象となります。若手をリストラの対象にしないのは、給料が安いので固定費の削減になりにくいこともありますが、彼らがいれば、40歳、50歳の社員の仕事はできてしまうという判断があるからです。

しかも、寿命がどんどん伸びる時代においては、生活の維持を退職金と年金だけに頼るわけにはいきません。40歳、50歳のサラリーマンは、先輩たちが送ったサラリーマン生活とは違う仕事観を持つ必要があるのです。

入社式で「おめでとう」と言われる不思議

企業と社員というのは、実に奇妙な関係で、よくよく考えれば摩訶不思議なことがあります。

たとえば、入社式で社長は「おめでとう」と言います。これは一体何に対してのおめでとうなのでしょうか?素直に考えれば、入社ができたことをおめでとうということなのでしょうが、その企業を本命として就職活動をした社員ばかりではありません。社会人になったことをおめでとうというのなら、定年が60歳なのに、55歳で放物線を下降させる制度がある会社に入ったことはめでたいのでしょうか?

希望の部署に配属されたり、入社後の仕事で成果を出した際に、「おめでとう」と言われるのはわかります。しかし、入社したこと自体がめでたいというのは不思議な洗脳です。

優秀な社員を採用できたとしたら、人事をはじめ、自分たちが「やった!めでたい」ということでしょうし、仕事をしなくてもいいお金を手にしている若者がいれば、そっちの方がめでたい気がします。

かくいう私も、新卒入社で「おめでとう。これからがんばってくれたまえ」と言われて、「はい!」と答えた時期がありました。

残念ながら、その会社は3年で退職し、転職を繰り返しました。もちろん、転職先で上司になる人から「入社おめでとう」と言われたことはありません。

上司はなぜ偉そうなのか?

サラリーマンの思考停止は、組織構成にも影響を受けます。上司の存在というのは、その後のサラリーマン生活のトラウマにすらなります。

上司が偉そうにする人だとしたら、かなり悲惨です。仕事の指揮命令系統と偉いということは次元が違います。ここを誤れば、上司の奥さんは、自分よりも偉い人(会社とは関係がないのに)。という錯覚をしてしまいます。もちろん、上司にゴマを擦っても、自分が出世できるとは限りません。上司が無能レベルに達していれば、あなたのポストはないのです。

積極的に不正を行なってしまう

企業の不祥事が起こることがあります。産地の偽装や品質偽装。不正販売など、誰もが知っている大企業でこうしたことが起こります。
不正をした人は得をしているわけでもないのに、なぜこんなことが起こるのでしょうか?

ひとつの理由は、意識がサラリーマンだからでしょう。

組織の風習に従わなければ、浮いてしまうとかノルマが達成できなければ評価が下がるなど、モラルよりも組織でのポジションを優先してしまうからでしょう。

悪人ではないのに不正に手を染める。これもサラリーマンであることの怖さです。

サラリーマンは、一度は選択決断をするべき

以上、終身雇用はサラリーマンを無能化させるという話をしてきました。結論から言えば、同じ企業に生涯に渡って勤めるメリットはなくなりました。

資本主義においては、製品やサービスの品質を高めて高く販売することは当たり前です。同じく、サラリーマンも自分の能力を活かし、55歳以降に新しい放物線を描く準備をしておくべきでしょう。

ずばり、サラリーマンは、長く同じ会社に勤めると市場価値を損ないます。だから、どんなに安定している企業に勤めていても、転職、独立、残るという選択決断をするべきでしょう。

時代は、Notice or die(気づくか死ぬか)なのです。



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