全米オープン ・あるコラムへの補足

こんにちは。アメリカ東部の町で暮らすBJORNです。BLOGOSに掲載された全米オープンの女子シングルス最終戦に関する次のコラムを読みました。

USオープン ウィリアムズ=大坂 ドラマにみるマイノリティ女性選手の葛藤と連帯」(BLOGOS 9.10)

マイノリティへの共感を背景にしている点は好感がもてるし、日本語メディアの報道ぶりに対して自ら筆をとって修正を試みる努力には頭が下がります。

しかし、いくつか重要な点で事実誤認があると感じたのでここで指摘してみたいと思います。

まず、コラムにある次の文章です。

1.「アメリカでは、テレビ解説者の試合中とその後のコメントにしても、メディアでの報道にしても、審判の警告は行き過ぎであり、「男性選手だったらもっと酷いことを言ったりしたりしても警告など受けないのに、抗議をしたことで一ゲームも取るのは女性アスリートへのセクシズムである、というウィリアムズには言い分がある」という論調が主流」

これは明確に事実と異なります。セリーナの言い分を認める論調は米主要メディアでも「主流」ではないからです。

たしかにテニス界でのダブル・スタンダード(男性選手は見逃すのに女性選手には警告する)を指摘する声が巻き起こったのは事実です。セリーナ・ウィリアムズへの罰金が決まったあとも、その声は続いています。

でも、そうした論調は決して「主流」ではありません

『ニューヨーク・タイムズ』紙や『ニューヨーカー』誌は、いくぶんセリーナに同情的ではありますが、明確にセリーナ側の責任を認めています。TVの全国ネットワークABCも朝のニュースでこの話を大きく取り上げましたが、出演したコメンテーターは「彼女が今回の試合中の言動に全責任を負うことと性差別とはまったく別の問題」と言い切っています。彼女が「不当な警告に抗議した」という立場を取るコラムを載せた主要メディアは、これまでのところ『ワシントン・ポスト』紙くらいです。(アメリカを離れて、イギリスのBBCは「審判はすべての点でルールブック通りの判断をした」という解説をサイトに掲載しています)

『ニューヨーク・ポスト』紙のコラムは、とりわけ表彰式の雰囲気を「恥ずべきこと」と言い切って、次のように書いています。

 「アダムス(=主催者側代表)表彰式で『誰もがあなた(=セリーナ)を尊敬している』と述べた。しかしセリーナ・ウィリアムズがテニスコートで繰り返し自滅してゆく場面を世界中が目撃したあとでは、これはありえないコメントだ」

「20歳の大坂なおみは日本勢としてグランドスラムを制した、初めての選手となった。それなのに観客も主催者側も、彼女を讃えるかわりにセリーナ・ウィリアムズが敗れたことを驚き嘆いていた。…これほどスポーツマンシップを欠く場面は見たことがない」「大坂は全米オープンでの勝利の瞬間を純粋に喜ぶことができたはずだった。その機会は完全に奪われてしまったのだ」It’s shameful what US Open did to Naomi Osaka (The New York Post, 9.8)


つづいて、元のコラムにある次の文章です。

2.さらに、授賞式での大坂さんについて、「ブーイングの中で始まった優勝インタビューでは『勝ってごめんなさい』とひと言」という文もあるが、これは明らかな誤訳で、彼女は「勝ってごめんなさい」などとは言っていない。/I'm sorry it had to end like this.は「このような終わり方になったことは残念です」であって、謝罪ではない。

確かに一般論としては、そうなのです。"I'm sorry" と言ったからといって謝罪かどうかは、分からない。

でもこの場面は、解釈が微妙です。あの言葉を「謝罪」と受け止めた人はアメリカにもたくさんいます。たとえば『ウォールストリート・ジャーナル』紙コラムでも、大坂なおみへの同情に満ちた記事の中で、次のように書いています。

「…(表彰式で)大坂がコメントを求められると、彼女は観客に対して勝利を謝罪した。これは心が痛むというだけでは言い表せない場面だった。大坂には謝罪することなど何一つないのに」(The Wall Street Journal, 9.9

日本の新聞が「ごめんなさい」と訳したのが「明らかな誤訳」とまでは言い切れないと私は思います。


最後に元のコラムにある次の文章は、私がもっとも違和感を覚えた部分です。

3.「ウィリアムズの発言は、確かにとても強い口調での抗議ではあったけど、「口汚く罵倒」などはしていないし、You owe me an apology.を「私に謝りなさい」という命令調に訳すのも誤解を呼ぶ。日経新聞には「次第にS・ウィリアムズはイライラを爆発させ、警告を受けた」という文があるが、これはプレーが自分の思うとおりにいかないことにイライラしていたような印象を与える」

テニスプレイヤーが公式戦で、テニスコートの中で、主審を「泥棒」「嘘つき」と呼ぶのは、まさに口汚い罵倒そのものです。世界中どんなテニスコートでも、それが罵倒でないと判断する審判はいないと思います。

だからこそ主催者側は表彰式のあとただちに発表した声明で「主審の判断を見直す必要はない」と宣言したのだし、さらにセリーナへは高額の罰金支払いが命じられたのです。

またどれほどセリーナ寄りのアメリカのメディアでも、彼女が「プレーが自分の思うとおりにいかないことにイライラ」していなかったと主張する人はいません。彼女は大坂選手からの反撃を受けて苛立ちをつのらせているようにしか見えなかったし、アメリカのいくつかのメディアはそれを「メルトダウン」と形容していました。

「命令調」に訳すのも誤解を呼ぶ…… まあそうかもしれませんが、セリーナがゲームペナルティを取られたときの主審とのやりとりを見ていた方なら、彼女の態度が相当に居丈高で、主審に指を突きつけながら「もう二度と私の試合では審判に立たないで」とまで言っていたことを覚えておられると思います。試合中の彼女の言動全体を見れば、誤解を呼ぶとまで言えるかどうか微妙だと私は思います。

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コラムへの(私が感じた限りでの)問題指摘は以上です。

あの試合で主審は正しい判断をしたかどうか、テニス界のルール運用にどれほど性差別・マイノリティ差別が潜んでいるか。それ自体は重要な提言で、きちんと向き合うべき問題だと私は思います。でも、それはあくまでテニスについての知識を踏まえて、できるならばテニスという競技への愛情とともに、議論されてほしいと思います。




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