闘争心が無い人間が柔術をやることについて。またはモチベーションについて

やるき、げんき、いわき。負けん気、闘争心、がんばりごころ、そういったものの無い人生でした。まったく。
「杉村さん、柔術にむいてないんじゃないですか?」とめちゃくちゃナイスタイミングでAモン先輩に言われたことは忘れられません。私の嫁がとつぜんAモン先輩を呼び捨てかつあしざまに言い始めたので、おいおまえ何言ってるんだと問いただすと、え?あんたAモンのこと大っ嫌いでしょう?と逆に聞き返されて、ああそうか、私が楽しそうにAモン先輩のことを言うのを傍から見たら大っ嫌いに見えるのね、と思い直す、思い出の中にしかいない先輩。元気かな。私の闘争心のなさを正確に表現する今はなきAモン先輩。

闘争心が無さ過ぎて小学校の家庭訪問でいきなり担任の先生が「私はてっちゃんが心配です!今は良くても中学でやっていけるか心配です!!闘争心が無さ過ぎる!高校受験は戦争ですよ!受験戦争ですよ!」と熱く語ったらしい私の闘争心の欠如。徹底的な。

やる気や負けん気や闘争心が無いので試合で負けてくやしがる気持ちが今ひとつわからない。

とはいっても試合で負けたらずーっとそのことを考える。永久に。二度と同じ轍は踏むまいと思う。思うのはタダだし。マスターカリキュラムを説明するときでも、みなさんほんの一分ほど雑談させてもらっていいでしょうか、これは私が茶帯最後の全日本マスターの3回戦でどこどこに所属する何々さんにあの方法でアタックしたら他道場の人なのになぜかトライフォース技法の何番でカウンターを喰らいアドバンテージ1を献上して負けたときの話です、今から紹介する技法をモノにできていれば負けなかった、準備不足の杉村をお笑いください、それではやりましょうか、テクニック名称は◯◯です、くらいのことは自分の道場ではやってる。自分の道場だし。やる気負けん気というより単にしつこい。ねちっこい。

ところで、ゲームを楽しくするには賭け事をするに限りますが、柔術に関しては自分の情熱や研究やその他あらゆるコストを賭けて相手からタップを奪うか自分の口から参りましたというかの賭けをするわけで、その賭けに勝ったときのドーパミンはとんでもなく大きいから全人類は絶対に柔術をやるべきです。チーム作業じゃないし運任せの要素が少ないしいい感じで体格差を経験や研究で逆転できるから他人のせいにもできない。
その悦びを味わうための経験や研究を続けるためのモチベーションについて、自分を基準にしようという話です。他人を基準にして誰よりも強いとか弱いとかどこで勝ったとか負けたとか誰かからどう思われたとかいいとこ見せようとか褒められようとかそういうのが他人基準。日々の喜びや楽しみを見つけて地味に取り組むのが自分基準。ウメハラさんでさえ今でも毎日30分楽しそうに昇竜拳のコマンド練習をしている事実よ。みんなにでくのぼうと呼ばれほめられもせず苦にもされずそういうままで私は◯にたい。

なお、試合に負けてすみませんでしたとかいう人も他人基準なんだと思う。

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