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【雑談】小説を書き始めた頃を振り返る

お久しぶりです。今回は小説を書き始めた頃のお話をしたいと思います。

そもそも、なんで小説を書くようになったのか。はっきりとした原点を忘れてしまったのですが、一時期小説を書くよう周囲から勧められたことがありました。たぶん、あれがきっかけだったのだと思います(うろ覚え

なかでも、記憶に残っているのが、カウンセラーの先生の言葉。当時、大学生だったわたしは心を病んでいたので、大学にあるカウンセラー室に通っていました。そこで、普通なら会話らしきものをするのですが、その当時のわたしは、人とのコミュニケーションをうまくとれなかった。なので、カウンセリングの時間はほぼ黙っている感じ。それである日、カウンセリングの先生に日記を見せたんですね。うまく言葉にできないから、つけている日記を見せて先生に自分の気持ちを知らせようとした。そのときに、その先生が「詩的な文章を書くんだね」と褒めてくれた。それで、小説を書くことをすすめられました。これが、いちばんのきっかけ。

それで、もともと文章を書くのは好きだったので、「あ、わたし小説を書いてもいいんだ」と思えてうれしかった。なんとなく、小説を書く人=頭のいい人≒高学歴、という式が自分のなかにはあって、小説を書きたいな、と思っても踏み出せなかったんですね。小説を書こうかな、と思ったときはWikipediaで現役作家の学歴をえんえんと調べることをしていました笑 まあ、そんなことをして(学歴がどうであれ、単純な計算もできないバカであれ、書きたいことには変わりがないな)と思い、小説を書き始めました。

それで何から書き始めたのかというと……、アイドルの夢小説でした。なんでなのかよくわからないのですが、たぶん、そのとき友人から「夢小説書いたら?」とすすめられたというのが大きかったのだと思います。普通の小説はどうも高尚過ぎる。と、二の足を踏み踏みしながら、夢小説を書いていました。その当時、韓国ドラマとKPOPにはまっていたので、KPOPアイドルの夢小説とかを書いていましたね。およそ100枚(原稿用紙換算)以上の夢小説を書いた覚えがあります。長い! でも、いい練習にはなりました。

(それもあってか、今でも小説を書くときは、KPOPアイドルや、韓国の俳優さんをモデルに書いたりしています。自作に、やけに美形が多いのはそのせいでしょうね……。)

それから、公募用にポツポツ書いたりしました。はじめて投稿したのは、「ダ・ヴィンチ賞」ですね。懐かしい。自分の書くものがエンタメか純文学かわからなかった頃です。まあ、一次で落ちました笑

R18文学賞は毎年送って、ぜんぶダメ。2本送ったときもあったんですが、ダメでしたね。渾身の一作……! と思って書いたのもダメ。涙が出る。

それで小説を書き始めて5年くらいで、公募ガイドが主催しているショートショートコンテストに入選して、家族で盛り上がっていました。当時の選考委員は、直木賞作家のA先生でした。一回選評ももらい、今でもその号のコピーを持っています。選評では筆の運びかたや、着眼点などを評価してもらいました……、すごい貴重でしたね。マイナスの評価だったのは小説のオチでした。ここは長い小説を書くときの課題でもあります。

それからは、太宰治賞に一回だけ一次選考通っただけ。太宰治賞に送ったやつは、村田沙耶香さんに影響を受けて書いたもの。普通の人のようになれない、人間の生きづらさみたいなものを作品にしました。読み返してみれば、矛盾点がたくさんあるんですが、はじめて自分の書ける「テーマ」を見つけた、思い入れのある作品でもあります。

それから……は、まったくないですね。結果は出ていません。かれこれ、10年以上も書いてきて、中央(五大文芸誌)の文学賞に通らないのがわたしの壁です。

こうして振り返ってみて、まだちゃんとした小説を書くのに途方もない距離がありますが、最初の頃の気持ちをまた思い出すことができました。「あ、わたし小説を書いてもいいんだ」という気持ちです。もうWikipediaで作家の学歴をえんえんと調べて、(わたしみたいなバカが小説を書いてもいいのだろうか……)と思うこともなく。書きたいという動機があるなら、書いてもいい。才能とか関係なく、書きたいのなら書けばいい。そう気楽に思える。

のんびり気楽に書いていこうと思います(オチがイマイチ


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