気のゆるみ

解除が宣言されたとはいえ、図書館はまだ臨時休館中。だけど、臨時窓口を開いてくれ、予約をしていた本を取り寄せることはできるようになった。借りたのは、イーユン・リーの「千年の祈り」と、財務関係の新書。ほんとは文芸誌も予約していたのだけど、あいにく人気(?)だったのか、予約待ち。

うちの市はもともとそんなに人は多くないのだけど、制限されている間は、とくにみんなが危機意識を持って行動していたのか、人通りが少なく、静かな街になっていた。でも、今日はなんだか出歩く人が目立つ。それもそうだよね、みんな引きこもってばかりだと鬱屈してしまうよね、と思いながらわたしも図書館に行く。

まだまだ終わりではないことを知りつつも、少しだけ行動範囲が広がったことを、単純にうれしく思って「しまう」。制限されている間に感じていたことは、くつろげる「空間」の存在。当たり前だと思っていた場所が、こんなふうに失われていくこともあるんだ……と感じた。でも、わたしの場合、幸運にも(?)ひとり暮らし先という居場所があったのだけど。

でもそんななか、みんなは自分なりの方法で楽しみを見つけていっていることも感じた。わたしの友人はパンを焼きだし、ギターを練習する子もいたり、早朝の公園で身体を動かす人もいたり、わたしもヨガを熱心に(最初は2時間くらいやった)やったりしていた。どんな状態であれ、生きていくことから降りない限り、人生は続いていく。だから、可能な範囲で楽しまなきゃ損だ。

働き方も見直される時期なのかもしれない、とも感じた。すべてではないけど、リモート対応に切り替える会社が増えたことは、ひとつの可能性だとわたしは思う。それは、わたしが人と相対することが苦手(という障害)だから、とくにそう感じるのだけど、でもわたしみたいな人は世の中に少なくないのではないか……とも思う。はっきりと障害や病気という診断があるなしにかかわらず、人と接するのがとくに苦痛だと感じる人。人との関わり方で嫌な思いをした人……、そんな人が、自宅でも仕事できるという選択肢も持てたらいいな、そんなふうに思っている。

とはいえ、去年からリモート勤務をしている身にとってみれば、在宅のお仕事も決して楽なものではない。人から見られている恐怖から逃れられても、どうしても集中力が途切れてしまったり、モチベーションを維持したり、自分自身を律したりすることが、こんなにも大変なことなのか……と痛感している。それでも、通勤して仕事をしていたときより、「自分の働き方」として合っているかもしれないとは思うのだけど。

解除されてから、ちょっとは気を緩めてしまうけども、「ちょっと」ならいいか、と思う。そもそも引きこもりがちのわたしの行動範囲なんて、たかが知れているのだ。引き続き、人混みを避け、マスクを洗って使い回し、家でおとなしく本読んでドラマを観て仕事して過ごそうと思う。

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