楽しさ・義務感

12月〆の文学賞に向けて、推敲をしている。といっても、2周目くらいしかしていないので、ぜんぜん進捗速度は遅い。推敲しながら思うのは、「よくも悪くもない」。最近、自分の感受性が衰えている気がする。小説を読んでも、コーティングした表面をつるつる滑っていくみたいに、頭のなかに入ってこなく、心が動かない。精神的に消耗しているのがいちばんの要因なのだけど、読書や創作を楽しめないことが少しつらい。

推敲と並行して、3月末応募の原稿も書き始めた。これも、なんだか気が乗らず、退屈な人と会話を続けているような感じ。物語に失礼な態度を取っているような気がしてならない……。不調でも書き続ける必要はないのだけど、書いていないのも不安。どっちにしても、よくはならないから、書いている。

なんでこんなに心が動かないのだろう……と思って、振り返ってみたら、子どもの頃がそうだった。もともと、遊びにわくわくするタイプではなく、それよりも部屋にこもってコツコツ勉強しているほうが好きだった。たぶん、脳の何か、楽しさを感じて喜ぶ部位(があるとして)の働きが弱いのだと思う。スマホゲームしても、1か月するとやめている。途中で毎回ログインする行為が義務に思えてしまい、やめてしまう。

学生時代は韓国ドラマが好きで毎日4話くらい見続けていたけど、社会人になってから仕事のつらさに気を取られて、ドラマを見ても(おもしろいのだけど)深く没入することができない。ゲームと同じく、ドラマを見続けることが義務に思えてしまい、途中で挫折することもしばしばあった。

思えば、すごく退屈な人間になってしまったな……。読書も半分義務感だったり、仕事みたいな感じで読んでいるから、そら楽しくない!! でも、その「義務感」を使って、続けられている場合もある。ただしくは、「義務」というより、「目的を果たす」使命感みたいなものだけど。

楽しむための創作ではなく、「人生かけて物語を作り続ける」目的を果たすための創作。だから、そこには快感情も悪感情もなく、毎日一定枚数書くという義務が生じる。義務、といったら堅苦しいから、毎日の約束ごとといえばいいか。

でも、少しは心を動かしたい。ルーティンを回すだけでは、感情が動かないよ。まずは、睡眠をとってご飯ちゃんと食べて、わからないつまらない読書を減らし、好き!と思える作品をかき集めること。生活の基盤を整え、自分の本心にもっと忠実になっていくこと。それだけあれば、よいではないか。

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