11月3日 日記

昨夜、母からひどいことを言われた。抑うつ感が激しいときに、ひどい言葉で怒鳴られ、実家にいるわたしが邪魔者なのだと感じた。その夜から今朝にかけてこんこんと寝つづけ、起きるとひとり暮らし先にすべての荷物を移動させようと思った。何度か家とひとり暮らし先を往復して、粛々と荷物を運んだ。足りないものは、近くのイオンで買い足した。帰ってきたら、シャワーで髪と身体を洗った。タオルで拭いたあと、鏡を見ると黒ずんだ不幸そうな顔がそこにはあった。

「みんな大変な思いをしている」。同じく苦しいときに言われた言葉だ。それを思い出す。みんな大変な思いをしている。そんな当たり前のことをあなたから直接言われたくない、とはっきり言いたかった。みんな大変な思いをしている――その言葉には、わたしの苦しみを軽んじている含みがあった。苦しみに軽いも重いも、外のひとからは見えることはない。わたしにはわからない他人の苦しみがあるように、他人にはわからないわたしの苦しみがある。なぜ、そのことがわからないのだろうか。

苛立ちもあるけれど、それ以上に傷ついた気持ちが強い。対人関係のいざこざはこれに限ったことではないので、またか……、と意欲が削がれてしまう。怒りでひとをコントロールするひとが苦手。愛情深いふりをして、自己中心的なひとが苦手。苦手なひとが増えてくる。それだけセンシティブな自分がいて、どうしようもない。

嫌なことがぐるぐると頭のなかで回り出す。でも、よく耐えたよ、自分。と言いたい。コロナとは関係なく、制限のある生活だったから。しかし、自由に慣れていないのも事実。これからどうしようかな。とりあえず、夕飯作ろう。


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