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TAR/ター ~カリスマ・リーダの陥穽~

今回は、「TAR/ター」を取り上げます。昨日、日比谷のTOHOシネマズシャンテで観てきました。
 
ケイト・ブランシェットにとって生涯ベストの作品となりそうな、ケイト・ブランシェットの圧倒的な演技を堪能する映画でした。
 
米国アカデミー女優賞は「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」のミシェル・ヨーに譲りましたが(2度目のオスカーはハードルが高い)、ベネチア国際映画祭では最優秀女優賞(こちらは2度目)を戴冠しています。
 

あらすじ
 
女性指揮者リディア・ター(ケイト・ブランシェット)は、ベルリン・フィルの首席指揮者としてクラシック音楽界を牽引する存在となっている。ベルリン・フィルでのマーラー交響曲全曲録音に取組んでおり、残すは第5番のみになっている。
 
マエストロとしてカリスマ性を発揮しているだけでなく、ジュリアード音楽院で若手の育成にも尽力している。また、ターはレズビアンであり、ベルリン・フィルのコンサート・マスタは長年のパートナーである。
 
物語の進行に伴い、いくつかのエピソードが映し出される。
・指導した若手指揮者から性的な関係をほのめかすメールを受け取り、ブラックリストに載せ、指揮者としてのキャリアを破壊してしまう。その後、若手指揮者は自殺する。
・ベテランのアシスタント指揮者に引導を渡し、後任に指名すると本人に期待させた女性アシスタントではなく、別の交響楽団から後任を指名する。
・入団希望の若い女性チェリストの、チェロの力量と奔放さに惹かれたターは、マーラー5番と一緒に演奏するエドガーのチェロ協奏曲のソリストとして抜擢する。
・自殺した若手指揮者は、ターを告発する遺書を遺していた。スマホで隠し撮りされた画像もあり、告発はニューヨークポストに掲載される。
 
ターは次第に追い詰まられていき、冷静な精神状態を保てなくなる。
 

映画を成功に導いたもの
映画は、コンサート会場でのターのインタビューで始まります。カリスマ性溢れる女性マエストロなら、こんな風に、こんなことを話すのだと感心する脚本と、圧倒的な現実味をもって演技するケイト・ブランシェットの演技は素晴らしく、これだけで映画としての成功は約束されたのだと確信してしまうほどです。
 
その後も、ドキュメンタリーっぽいカメラワークが多く、自宅内の会話、リハーサルシーンなど、虚構ではなく真実を目にしているような気になってきます。リハーサルのシーンでは、ベルリン・フィルの楽団員相手に、英語よりもドイツ語で指示を与える場面が多く、役者としての力の入れようが伝わってきます。
 
映画のなかで、ベルリン・フィル、フルトベングラー、バーンスタイン、デュトワ、オルソップなど、「えっ、いいの?」と思うくらい実名が登場します。フルトベングラーが終戦後、ナチスとの関係から糾弾され、しばらくまともに仕事ができなかったこと、そうはいっても精一杯の抵抗を試みたことなどが、さりげなく紹介されていて、クラシックに詳しい観客を引き込むこと間違いなし、という気がします。女性指揮者の先駆者としてオルソップの名前が挙っているのもいいですね。帰宅してCDラックを確かめたら、やはりオルソップ指揮のバーバー「弦楽のためのアダージョ」があり、ちょっとうれしくなりました。
 
映画のなかでは、当然のことながら演奏シーンは聴き応えがあり、特にエルガーのチェロ協奏曲は秀逸でした。演奏者として抜擢されるオルガは、映画の台詞として『YouTubeでジャクリーヌ・デュ・プレの演奏が気に入って練習した』と語っており、そう言われるとデュ・プレのような新鮮で奔放な演奏である気がしてきます。後から調べてみると、演奏は吹き替えではなく、チェリストに演技をさせたそうです。想定していた役のイメージには合わず、配役が決まってから今日脚本を修正したそうですが、この配役は映画の成功要因のひとつになっていると感じます。
 
余談ですが、日本人バイオリニストである樫本大進がベルリン・フィルのコンサート・マスタを務めているので、日本人と思われる人が、この役をやっているとよかった気がします。
 
ビジネス視点で観る「TAR/ター」
 
物語は、クラシック音楽会というやや古い業界で、カリスマ性を要求されるベルリン・フィルの首席指揮者を中心に展開します。女性が台頭していること、同性の恋愛、スマホやネットを駆使した告発のあり方などは、現代的ですが、トップが圧倒的な力を持っていてパワハラが起きやすい体質、首席指揮者とコンサート・マスタが恋愛関係にあるなど、ビジネスの世界ではひと昔前と感じる部分があります。
 
とは言え、外から招聘されて首席指揮者として君臨することはとても大変です。企業なら、社外からCEOに抜擢されるようなものでしょうか。楽団員の信任を得られなければ、よい演奏は臨むべくもなく、ありていにいえば舐められてはいけないわけです。楽団員を束ねて顧客たる聴衆を満足させる演奏を届けるだけでなく、スポンサーの機嫌をとって寄付を確保することも務めに含まれます。ここは、株主や銀行など、様々なステークホルダを気にしないといけない経営者と同じですね。
 
ターは、権力を笠に着たパワハラ、またはパワハラめいたことを重ねますが、女性でありながらベルリン・フィルのトップに上り詰める過程で、もっとひどいパワハラに耐えて、乗り越えてきたことを想像すると、一概には責められない気もしてきます。でも、そんなこと言ってしまったら、昭和を引きずっている経営者の行動パターンを全肯定してしまいそうですね。
 
トップとして組織を束ねていくためには、権謀術策を駆使する必要が生じる場面はあり、避けられないことではあるけれど、超えてはいけない一線、つまりリスクが急激に高まるために我慢すべき言動がある、ということは肝に銘じておきたいところです。
 
超えてはいけない一線は、組織によって、また構成メンバとのもともとの関係性によって、異なります。この映画を鑑賞して、TARはどこで一線を超えてしまったのか、自分がこの立場ならどうしたのか、考えてみるおとは、この映画の鑑賞法のひとつでてはないかと思います。
 
参考文献
TAR/ター Wikipeadia
https://ja.wikipedia.org/wiki/TAR/%E3%82%BF%E3%83%BC
 

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