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メタバースについて語ろう

昨夜、作家の田口ランディさんに誘われて、ランディさんが主宰するYAMI大学のオンラインでの学園祭なるものに耳参加してみた。

特にHPもないようなので、Facebookのイベントページをシェア
https://www.facebook.com/events/282898260666076

この記事の画像も、そこからいただきました。

YAMI大学のHPは、たぶん、これ。最新版に更新はされていないようだけど。
https://www.yami-dai.space/

で、その体験が良くも悪くもモヤモヤしたらしく、久々に執筆したくなったのでnoteを開いた次第。

テーマは、「GAME OVER-メタバースは人類の墓場か、それとも再生の子宮か?」で、これがめちゃめちゃ面白そうだったのだけれども、実際にそこで話されていた話はこれとは全く違ったので、それでモヤモヤしたのだと思うが、それも含めて、ランディさんの仕掛けだったのかもしれないなぁ、と思ったのだ。

ちなみに、これをFacebookでシェアしたときの私の文章。ちなみに、内容はこの期待とは全く関係なく、橘川さんが今、何を考えているのかをみんなで聞こうの会だった、というのが正しいところだった。セカンドライフなんて、知っている人、どのくらいいるんだろう?

珍しく参加したいと思ったイベント。
昔々のセカンドライフでも登録していろいろうろつきまわったのですが、どうしても受け入れられなかった身体感覚の違和感というのがあって、メタバースもどうなんだろうか、と。
一方で、コロナ禍での鬱々とした状況の中で、ゼルダの伝説BOWのあの快適さと自由さと爽快感はなんなんだろう、と、ハマった記憶も思い出されます。
そんな中、割と遠巻きに親しくさせていただいている作家の田口ランディさん(そういえば、西條剛央さんの家で一緒に鍋食った記憶が…)がこのテーマをこのタイトルで企画するとは…と。
ランディさんは集合無意識へのアクセスを探究されていますので、ピンと来ない方は来なくて結構、かと思いますが、ピンと来てしまった方は、是非、御一緒しましょう!

橘川さんとは前職時代、オンライン書店立ち上げの2001年頃にパーティに参加してお話をお伺いした。そうそう、昨日もお話されていたけれども、『インターネットは儲からない』という本を出された頃だったと思う。確か同じころ、糸井重里さんが『インターネット的』という本を書かれていたなーと思い出した。橘川さんのお話も、なんというか、相変わらずな感じで、人って変わらないんだなーと思った。

ランディさんも橘川さんもパソコン通信からだというが、私はインターネットからの世代。インターネットが登場したとき、これはコンテンツとかクリエイターとかの世界が変わる、と感じて、その世界に行きたいと思って会社を辞めようと思ったのだった。で、インターネットをやる会社に入ってみたら、パソコン通信世代の人の意識のクローズなところが気になって、そこに分断を感じたのを覚えている。

それから20年。パソコンはノートパソコンになり、スマホとタブレットが登場した。それらの端末が登場する度、人間の体験が変わり、それが意識の分断を生み出す。それを超えられるのは、若い人なんではなく、新しいものに飛びつくミーハーな年配の人、なんだろうなぁ、と思った。しかし、成功体験があると、なかなか今までのメディアを捨てられないんだろうなぁ、とも思った。

橘川さんは新しい雑誌を創刊するのだという。田口ランディさんはもちろん作家なので、これからも文章で発信していくのだろう。若い世代は何で発信するのか、といったら、今はもちろん、動画だろう。インターネット黎明期にまさかこんなに誰でも動画を配信できる時代になるとは思わなかった。ニコニコとtiktokの影響はデカいなぁ。

で、話を戻すとメタバースである。橘川さんも言っておられたが、技術的には既にありふれた技術の集合で実現する。しかし、そこに新しい使い方=ユーザーの進化がなければ、広がることはないだろう。

セカンドライフ
https://ja.wikipedia.org/wiki/Second_Life

知らない読者のために貼っておいたが、今も稼働しているのかな?

このセカンドライフの時代は、ネットも重い、操作性も悪い、何より美しくない、先行者メリットが高すぎて、冷める、などなど、まあ、無理ゲーでしょう、というのがあった。

で、ここに関しては、現実を再現してどーすんだ!というのが私の意見。

で、人間の進化が追い付いていなかったけど、ここに来て、コロナウイルスの影響で、人間が進化してしまった、というのも、私の意見。

テレワーク、テレコミュニケーションになれば、もはや場所は関係ない。時間だけが揃えば、誰とでも関係性を作れる。

で、ミーティングも事務作業も、もはや会社というプレイスは必要ない。となれば、みんな好きなところに住んで、好きな生活を送りながら、稼ぐことができる。

必要なのは、人々が出会う場、交流する場である。ZoomやFacebookなどは確かに交流は出来るが、出会う、ということに関しては非常に難しい。昨夜のイベントもそうだが、よっぽど運営に慣れたスタッフが場を設計しないと、基本的には一方的な伝達になってしまう。いかに参加型とはいえ、複数の文脈で語りが生じることはない。そこは行ってみれば、言説が限定されてしまう世界。自由な対話=雑談を生み出すためには、かなり慎重な設計が必要になる。

そこでメタバース(仮想空間)なんだろう。しかし、それは一部、既に実現している。いわゆるネットゲーム系の世界である。女優さんがネトゲで医者に出会って結婚した、という話もあったし、あつもりで就職説明会をした、なんて話も聞いた。人間の進化ももう少し、なのかもしれない。

なんて話をしていたら、やはりこの人の言説をもっと知らないとなぁ、という気になった。

先日、聞いたのは、マクルーハンはメディア論の人のように思われているけれども、そもそもは、いわゆるリベラル・アーツの教育のうち、論理学以外の教育が失われたことで、豊かな学びができなくなっている、ということを指摘していたそうで、そういう意味では、教育系の思想家なのだということ。

その思想はドラッカーにも影響しているそうだけど、昨日の橘川さんにもかなり影響しているなーと感じた。

ということで、今日はここまで。

知識って、人から与えらえると不要って思うけど、自分が欲しいと思ったらいくらでも取りに行くものだなーと思った。これが教育の本質かもね。

現場からは以上です。

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