コーチングのコーチはスポーツのコーチとは関係ないんです、という説明が間違っていると言ってもいい、その理由
なんとなく連載みたいになっています、コーチングの歴史、そうじゃないんだよ、シリーズです。そろそろコーチング考古学者を名乗ってもいいんじゃないかと思い始めています。
さて、今回、取り上げる「コーチングのコーチはスポーツのコーチとは関係ないんです」ですが、割とこれも、いろいろなコーチの方が折々におっしゃるんですが、いや実はそうじゃないんだが、と思っていても、説明がメンドクサイのでそのままスルーしがちで、そして誤解が広がっていくシリーズの中では出現頻度が高いものではないかと思っています。(前置きが長い!)
これは、以前に書いたこちらのレポートを下敷きにしています。
皆さんは、日本に「コーチング」を冠する学会が既にあるのをご存知でしょうか? それが「日本コーチング学会」で、「コーチング学研究」という学会誌も出しています。でも、あまりプロコーチの方でも知らないのではないか、と思います。
種明かしをすると、こちらの学会はもともと「日本スポーツ方法学会」という名称でしたが、2010年に名称を変更したものです。2011年の名称変更して初めての学会誌には、このような文章が掲載されています。
もともとスポーツの世界での用語だったコーチングが、ビジネス界や教育現場に展開していった、とこの植田さんは主張されており、この文章が学会誌に掲載されているということから見ても、これが概ね、スポーツ界の認識と言っていいのではないか、と思います。
では、実際、どうなのか? コーチング考古学者(おたく)としては、実際のエビデンスを見ていきましょう。
コーチングがどこでどうやって生まれたか、ということに関しては、下記のような本によって、割と定説化しています。1970年代のアメリカ、というのが一般的な解釈のようです。
パーソナル・コーチングサービスやそのコーチの養成がどのように始まったのか、ということは事実としていろいろわかっているのですが、実際のところ、コーチングを誰が発見したのか、ということに関しては、諸説あったりします。
ひとりがハーバードでテニスのコーチをしていた、ティモシー・ガルウェイ。彼は、エサレン研究所でヨガ・テニスを教えたり、AT&Tでコールセンターで働く人たちの意識改革をしたり(『インナーワーク』)、弟子のアレクサンダーやホイットモアがGLOWモデルを世に広めたり、ヨーロッパへコーチングが広がるきっかけを作ったりと、まあ、いろんな影響を及ぼしている人です。
そしてそれとは関係なく、ルー・タイスという人も名前がときどき挙がります。この方はフットボール・コーチでした。
その後の歴史については別記事に譲るとして、なんで2人ともスポーツ界の人だったの?という疑問が生まれないでしょうか? え? 私だけ?
ちなみに、ここで良く語られているコーチ(Coach)の語源ですが、こんなことが言われています。
で、これの引用元がこちら。
日本サッカー協会さんですw
つまり、この由来を語っている人は、つまりはスポーツのコーチングの語源について語っているわけで、その人が、「コーチングのコーチはスポーツのコーチとは関係ないんです」と言ってしまうと、それは矛盾したこと言ってますよ、ということになります。
ここまでくると、「コーチングのコーチはスポーツのコーチとは関係あるんです」と言ってしまった方が、論理的にすっきりします。
ということで、再び掲載しますが、下記のレポートでは、こういうことを書いています。
スポーツが大衆化し、一般人が見るものから参加するもの、になった。その結果として、優勝や勝利を目指すだけではないスポーツの在り方が生まれ、それは健康や幸福感などといった、人のライフ領域において目指すものと目的を同一になった。その結果として、コーチ達はコーチングというものがスポーツ領域だけではなく、人の様々な活動分野に応用できることに気づき、そっからコーチングの手法が生まれた。
このように考えた方が、話がすっきりしますし、ということは、コーチングのコーチはスポーツのコーチとは関係ないんです、という説明は、まあ、正しくはないよね、というのが今回の結論です。
現場からは以上です。
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