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未来の留学生へ ー逃げの留学にしないためにー

このnoteを読んでいる大学生のみなさんも、一度は「留学」について考えた経験があることでしょう。"Global"を重要な価値観の一つとして掲げるBizjapanは、実は留学という文化と非常に近い環境でもあります。現に、各期30-40人ほどのメンバーのうち、1/4ほどが海外からの留学生(英語話者)であるだけでなく、日本語話者のメンバーも今年は7人が日本から海外大学に留学しています。行き先もニューヨーク、シカゴ、シアトル、トロント、ロンドン、パリ、ライデン、シンガポール、ジョグジャカルタなどなど世界各地。

今回は、シンガポールのNUSに留学していたBizjapanOBの村田からの寄稿文、「未来の留学生へ」をお届けいたします。(この文章は、本人が2年前の留学帰国直後に、本人のnoteに投稿されたものです)

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この連載の最後に一つメッセージを残すとすれば、「”逃げの留学”にするな」ということ。
今、本当に簡単に留学できるようになった。学校提携も奨学金も増えた。しかも留学経験がありますというだけでプラスに評価されることも多い。正直就職でもそう。

だから、”置きに行く”選択肢、”逃げ”の選択肢として、留学できてしまう。「先輩も行ってるし、何か価値観が変わりそうやし、留学しておこうか」的な。そんな人が増えてきたなと見ていて思うし、自分が留学を決めた時も、その”逃げ”の姿勢が混ざっていることは否定できなかった。

だからこそ気をつけたいのは、交換留学は、短期海外プログラムが集合して半年や一年になったものではない、ということ。ただ住む場所を移し、行く学校を変え、そこで一年過ごすという、ただそれだけのことに過ぎない。つまり、毎日充実のプログラムが組まれているわけではないので、日本にいる時みたいに、黙っていてもイベントやご飯に誘われるわけじゃない。最初は所属も何もないから、他人の目線や社会的な理由から「しなければならないこと」も、ない。
そんな何をしてもいい状態になった時、もし「〜を勉強しながら、価値観が変われば嬉しい」くらいのテンションで留学したらどうなるか。

人はやることが無くなってYouTubeを見始める。

自分も含めた何人もからそうした体験談を聞く中で、これは怠惰なんじゃなくて、むしろ真面目な人ほどそうなってしまう傾向があると思った。「こうならねばならない」「こうした力をつけなければならない」「そのために留学で〜しなけれならない」みたいな規範だけで動いて、WhyとかHowを掘り下げないと、本当に自由な生活を手にした時に人は虚無になる。

そもそも、留学にわざわざ行きたいと思ったり、選考通ったりする人は、日本で一年過ごしたら絶対それなりのことしているのだと思う。その日本にいたかもしれない一年と比較した時に、それでも後から留学して良かったと言えるかどうか。どうやって自分にとって意義のある留学に向けて準備ができるのか。そこを考えたい。

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気持ちの話と、具体的な準備の話に分けてみたい。

まず気持ちの話としては、”私はなぜ留学したいのか。ひいては何をして生きられたら自分は楽しくて、何をして死ねたら自分は喜ぶのか”をひたすら問い続けることだと思う。大袈裟に聞こえるかもしれないが、留学はあくまで何も降ってこない場所へ移るだけなので、そこを考えないとただ「留学生活」を送るだけで時間が過ぎていく。

好きなことに没頭するか、想像力を広げ、不安な未来の問題解決のために力を養うか。
留学の選考で「将来の日本のために」みたいな文脈でよく語られる"国"という単位自体にも、本当に自分の個人としてのアイデンティティを委ねるだけの求心力を感じているのか。

自分はなかなか没頭できるものが見つけられない人だったけれど、この孫正義がトビタテ奨学金1期生に向けて送った講演を最近知り、準備期に出会えていたら良かったと思った。
(全文はこちら)

海外に行くお金がどこから出ているのか。そのお金は自分に対してどういう想いで託されているのか。それができる今の日本の環境を作ってくれた先人は、家族は、友人は。なぜ留学を許してもらえるのか、応援してもらえるのか。

いま留学できる当たり前を、周りの空気で当たり前と感じず、ちゃんと相対化すること。その無償の幸せを噛みしめ、今を築いた人に感謝すること。そうした気づきは、たとえ自分の道筋に答えが出なくても、問い続ける姿勢を支える力に繋がる。

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(写真は、留学中に交通事故で亡くなった寮の友人。自分は何をして今を生き、何を残して死ぬのか。言葉にし難い悲しい気持ちの中で考えた)

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そして留学への前向きな気持ちを持ったとして、次に具体的にどういう計画を立て、準備をするのかの話。
カギは、人に話をたくさん聞き、具体的なマイルストーンを置くことで、フィクションの計画を壊すに尽きる。

具体的な計画は必要ないというスタイルの人は、それで問題ない。そもそも申請時に、「一年後から始まる異国での一年間の留学計画を提出しろ」と要求されるのも無茶だと思うし、現地での面白いことは大抵想像力の向こう側からやって来る。
ただ後輩の添削をしていても自分の一年前の計画書を見返しても、あまりにフィクションで語られていることが多いと感じる。それを更新することなく現地に向かうパターンも同様に多い。

自分の準備期で印象に残っているのは、友人に、「こういう授業受けて、こういうデータとって、あと語学強くなって…」と計画話していた時に、返って来た言葉。
 「それ、村田なら3ヶ月でできるんちゃう?」
指摘されるまで、一年という長い期間のイメージがついていなかった。

もう一つ思い出すのは、自分も東大に留学するNUSの友達からオススメの授業を聞かれた時、思わず返した答え。
 「むしろ日常に授業が占める割合を、半分以下に抑えろ」
教養学部の留学生向け授業は広く浅いし、自分の価値観とぶつける留学にしたいそうなので、それならプロジェクトや団体に参加し、教室外の時間を増やした方が、圧倒的に密なコミュニケーションが取れると感じた。

視点を逆にすると、ほとんどの日本からの留学生も同じ感じだと気づく。直接よく知る人に聞くと世界は一気に広がるし、知らないことは、一人で考えてもわからない。
だからまずは自分の仮案を、先輩や現地の人にぶつけて叩いてもらう。
留学はチーム戦。

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(写真は、渡航9ヶ月前の学校への提出資料。無自覚に言葉が浮き、フィクションの塊となっている)

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話はたくさん聞けたとして、具体的にマイルストーンを置くとはどういうイメージか。

例えば仮に「イギリスで比較政治を学びたい」という後輩がいたとする。問うてみたいのは「政治を勉強したいと日本の大学に入学した学生は、一年授業受けてどこまで何が身についたと思うか」。せっかく海外に行くなら、あくまで一案だが[①授業+②がっつり議論できる現地の友人と教授+③現場での学び+④アウトプット先や着地点]まで考えると、もっと楽しくなるのではないか。

授業は申請前に、シラバスに加え、先生の経歴をググり、授業評価の口コミを聴く、探す。そして自分が大学で書いた渾身のレポートや何か制作物があるなら、事前に可能な限り英訳する。簡易版だけでも英訳する。それを送ったり見せたりできるようにしておく。その制作物を片手に、その学校の政治が詳しいコミュニティに入ったり、教授のオフィスアワーに訪ねたりしていく。そういう人達は実際の政治家とか官僚の知り合いが多かったり、インターンしていたりで、今の生の現状を基にした面白い話や議論ができる可能性が高い。その結果、一人でも、その後の人生ずっと相談し合えるような友達、教授と出会えたら、結構すごいことだと思う。
現場に関しては、その友人や教授の紹介でイベントに参加したり、現場で働くステークホルダーに会えたりするだけでも楽しいが、もっと、”ヨーロッパ横断リアルタイム政治レポート”とかしてみても学びが深まるのではないか。まず自分が留学している間に起きる、ヨーロッパ全体の重要な政治イベントを全部プロットする。そして可能な限り、国をまたいで行ってみる(授業の成績とどっちが大事かは自分の判断で)。関係者にアポを取り、話を聴く。わらしべ長者的に、会う人ごとに別の人と繋いでもらう。記事にしてアウトプットする。卒論を見越した社会調査をする。このレポートの面白さは、きっとその人じゃないと書けないことだ。そもそもその瞬間現地に行ける人が少ないのと、大人は時間がないのと、時間を取れたとしても何かしらの組織での立場を持っていることが多いので、自由な発言もしづらい。学生で、長期間ヨーロッパにいて、政治をそれなりに勉強していて、日本と比較して思ったことを発信できる、という点で、その人しか書けない。
アウトプット先として、発信する母体を作ってもいいし、卒論につなげてもいいし、望むなら政府系機関のインターンの実績として機能するように調整してみる。
そこまでやると、絶対楽しいはず。どうだろうか。


まとめると、やりたいことがある人も無い人も、先輩や現地の人に話を聴き、選択肢を切り開き行動を具体に落としていくこと。沿うことはなかったとしても、現地で自分の想像力の外側にある面白いことやチャンスを掴むことに繋がっていく。

ここまで言っておいてなんだが、僕は上で書いたようなマイルストーンの設定も甘かったし、その半分も達成できなかった。目標を立てて努力をしただけよかったが、もっと楽しめたように思う。僕の屍を越えていくつもりで、挑戦して欲しい。

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ネガティブな話も続いたけれど、留学に行って、本当に良かった。

今の日常が充実しているのも、自分の人生のイニシアチブを、自分で握れている感覚があるからだ。それは他者や社会の視点から離れた留学先で、自分の感情に素直になって、0→1で何かを作る感覚を知れたからだ。何かを生み出し、生き様を刻み、自分の人生を生きるのが楽しい。

最近新たにエンジニアインターンを始められたのも、自分がゼロの分野で学び始める勇気がやっと持てたからだし、それはテクノロジーが社会を変え続けるシンガポールに浸ったからだ。まだ学びたいこと、足りないこと、見たい世界が無限にある。

今教養学部の4年間に誇りを持てるのも、留学先で本当の「独り」を経験して、社会や人間を熟視し続けた先人の思想と共に自分の精神構造と向き合ったからだ。その結果、自分は他者なしで生きられない存在だと受け入れられ、支えてくれる友達の存在の有難さに気づいたからだ。まだ受け取ったものも想いも、何も返しきれていない。

そんな想像力が広がったのは、留学に行ったからだと、今なら確かに思える。


時間を過ごすのは簡単でも、時間を使うのは難しい。
だからこそ、
逃げの留学にするな。
フィクションの計画を破壊してもらえ。
“あなたにとって”一番いい留学を追求し続けろ。

これを後輩へ伝えたい最後のメッセージとして、連載の締めとする。

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一見”べき論”が多いような文章になってしまいましたが、留学に関してこれが主流だとかこうすべきといったことを示す意図はなく、一個人の一経験からの一想いであることをご了承ください。

究極的にはあなたが幸せに生きることが一番大事だと思っています。そんなあなたの留学が、あなたにとってかけがえのない経験になることを祈ります。

何かあればFacebookでご連絡ください。
これまでこの連載を読んで頂き、本当にありがとうございました。

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