アイドルが嫌いだった

アイドルが嫌いだった
僕はアイドルが嫌いだった
キラキラした外見も
鼻につくような声も嫌いだった

25歳の時久しぶりに僕は恋をした
その子はいわゆるオタサーの姫的なやつだった
でも泣いて助けを求める彼女を僕は突き放すことができず
彼女をサポートしていくうちに好きになっていた

ある日彼女は突然「アイドルになる」と言い始めた
いや僕が知らなかっただけでずっとなりたかったのかもしれない
当時は地下アイドルという言葉もまだなかったとおもう

彼女は「オーディション」という雑誌を買ってアイドル関係の
オーディションに挑戦した。
しばらくたつと「オーディションに合格した」という連絡がきた。

当時は声優のアイドル化が進んでいた時代でそういうのが多かった
と思う。彼女が合格したのは声優養成するための2年間限定で
アイドル活動を行うグループだった。

グループといっても一緒に同じ曲を練習したり、ダンスを
練習したりするわけではなく、月一でライブハウスで30分ほどのステージ
時間があり、自分で構成を考え、歌やダンスを披露しチケット数を
競うというグループ活動だった。

人気のある子は一年足らずでちゃんとした事務所に
拾われていなくなっていた。

彼女は歌が好きで歌が歌いたかったはずで、そういう演技的な
ものに興味があったかは聞いたことがなかった。そういった
意味では彼女に合った活動だったのかもしれない

僕と彼女の関係はとても微妙だった
すでに肉体関係はあったが付き合っているとは言えず
彼女がさみしくなった時に呼ばれるのが常だった。

あと彼女に「私好きって言われると嫌いになるタイプだから」
と最初にジャブを入れられてたので正直腰が引けていた
今考えるとそれでも告白して来いよ的なものだったのかもしれない

最初の数か月は彼女からパスを出してもらって無料で
ライブを後方彼氏面で見ていた。同じような位置づけの男が
何名かいたのでたぶん彼らもそうだったのだろう

しばらくして客数が伸びないからとチケットを毎回買って
入るようになった。1公演4,000円だ。今思うとたけーな
多分当時メジャーアーティストのライブも同じ価格帯だったと記憶してる

半年ぐらいすぎたころ一度JAMプロジェクトのようなボーカルユニットに
誘われたから、顔合わせについてきてほしいといわれて一度行った。
どうということもない集まりで、男女数名でワイワイカラオケして
ご飯食べてその集まりは終わった。

活動の半分の一年が過ぎたころ、彼女に呼ばれなくなった
ライブ後に行っていた飯にも誘われなくなり
メールも返事が来ないことが多くなった

おかしいと思ったが彼女はアイドルとして活動してるし
そんなものかと思ったが、このころから自分が急に病み始めた
そう、僕は彼女のことが好きだからだ。

彼女の歌や笑顔が好きで、ステージ上の彼女は輝いており
それを見れるのはとても満足していた。
ただ自分はそれ以外にも彼女とプライベートでのやり取りも
していたのだ。それがなくなったのが相当きつかった。

ここから一年は地獄だった。
このころ会社を辞めてアルバイトで生活していたのもあり
病むと体調も崩し収入が一気に減った。

もう彼女の公演に行くのもやめて、彼女のことも忘れるか…
なんて思った時に限って彼女からメールが届くのだ。
そう月一の公演があるからね。その時だけはしっかり
営業メールが来るのだ。最初に最近会えてなくてごめんね
的な事が書いているが最後にはしっかり公演の日時が記載されてる

彼女の歌や笑顔を見たくて行っちゃうんだよな。
見終わった後どんだけ反動が来るかもわかっているのに
やめられねぇんだ。

そんな一年も終わりを迎えようとしていた
最後の公演の前にメールが来た。
そこにはこう書かれていた「彼氏ができた」

は?って感じだよ。
簡単な話、俺が呼ばれなくなったのは変わりを見つけていたからだ
相手は顔合わせについていったボーカルユニットの中の男だった

活動して一年がたってた頃にはすでに付き合ってたらしい
俺は後半の一年、公演のチケットを確保するためにキープされていたのだ。俺の苦しみなんてわかっていながら自分の公演のチケット確保のため
生かさず殺さずキープされていたのだ。つれぇ

バッチバチに切れ散らかしていたが、最終公演は共通の友達の
女の子と見に行く予定だったので仕方なく行った。
するとどうだろう。俺のチケットは確保されていなかったのだ

俺もうそこで笑っちゃってさ。あのメールした時点でもうこないだろう
とおもわれてたんだよな。まぁあたりまえだけど。友達の女の子の分は
しっかり確保されてた。

女の子には申し訳ないけど帰るわって言ったら
ライブハウスの受付の人がさすがに2年通ってたから顔覚えてくれてて
「自分の権限で予約扱いにしますんで入ってください」
っていわれ仕方なく金払って最終公演を友達と見た

なんの感慨もなく、彼女は泣いていたと記憶しているがどうでもよかった
何のための2年だったんだろうってすごい脱力感にさいなまれた気がした

2年間限定のグループ活動は終了した
彼女はどこかの事務所に拾われるでもなく、個人活動はその後も
つづけていたようだがメジャーデビュー的なところまではいかなかった。

僕は完全にアイドルがダメになっていた。
身体が拒否するのだ。一番辛かった時期を思い出すから
カラオケに行って友達がそれっぽい曲を歌うとき
トイレと言って外に出ていた。それぐらいダメだった。

僕たちの物語はここで終了です
まぁなんでこんな話を急にしたかっていうと
このめちゃくちゃつらい時期に心の支えになっていたとあるバンドがおり
そのサポートでドラムをプレイしてくれていた人に今日会う機会があり
挨拶させていただいたからだ。

当時のことを思い出したらそんなこともあったな。
そんな風に思い出した。
当時は本当に色々あったな
そんな風に感傷的になったことをしっかりと書き残しておきたかった

今の僕しか知らない人からしたら信じられないだろう
そんなアイドル嫌いの僕を変えてくれたのは「綺羅綺羅」だった
この話はまたいつか

それでは長文お読みいただきありがとうございました


数年後彼女に合った時なんていわれたとおもう?

「やさしいだけじゃだめだよ」


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