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民族文化映像研究所の上映会へ行きました。

民族文化映像研究所(民映研)の姫田忠義回顧上映へ行ってきました。民映研は「今を生きる人々の生活行為を見つめ続けることにより、自然との深い対応と共生のありよう=基層文化を明らかに」しようと活動をされている。今回の会場はアテネフランセ文化センター(久しぶりに行き周囲が新しいビルばかりの中、壁の意匠も懐かしく出来るだけ長くこのままを願います)。
 簡単に今思い浮かぶことをノートにします。


「越後奥三面ー山に生かされた日々」(1984)

は、山に生き生かされる人々の姿を丹念に撮られその切実さに涙が出る。

山に生きるさまざまに伝え継がれてきた知恵や技が豊かに生き生き息づき、すべてが生かされ、ともにあり営む生活を大切にする姿が印象的。

熊狩りを撮影することを熊狩の寄り合いに相談し断られるが、それでも途中まで同行することを許されるという撮影の姿勢は、この山の人たちの姿を撮るに相応しい心意気。だからこそ、そうした生死をかけて熊と向き合う自負も感じられ、奥三面の人たちの誇り高い強さが映像から伝わってくる。

山での生活はすべて自分たちで賄える。船も木を切り倒して作り、川を自由に行き来する。採れたものの手をかけ方や手間を映像は捉えている。その分、喜びを心の底から感じているのもまた伝わってくる。生きる喜びが自然に表れ出てくる。

ゼンマイの季節には、学校も10日間のゼンマイ休みになり家族で川を上り、山の中の川縁のゼンマイ小屋に過ごす。季節の仕事で忙しいながらも、日頃の生活から離れた非日常を感じられ心弾ませ過ごしているだろうことがうかがえる。一家で野外キャンプのようにも見え、夫婦が山の中へゼンマイ取りに行っている間、親を待つ兄妹二人の子どもは魚を取って食事をしたり、たまに宿題をしたり、ワクワクする出来事だったろう。一家皆で力を合わせ、山ほどのゼンマイを似て乾かして街へ出すまで、それぞれでできることをおこなう。あるものすべてが活かされそこでまかなえられ、隅々まで生き生きと充実した無駄のない生きざまが自然に行われる。清々しい。

最後に昔の服装で蓑や菅笠などをつけて雪山を歩く3人の姿。これまでの先人への全身全霊の敬愛が表れ出てくる。そうすることでより山とともに生き生かされることをより味わえるようにも見える。雪深い傾斜をガッシガッシと掻き分け進む姿が受け継がれている。

「やっぱり山はいい… 山、おれには山しかねえな」という言葉が身に沁みる。それなのにこの土地を離れねばならない、悲しさを切実に感じる。とともにしかしこの土地が水に沈むのは、都会の生活を支えるダムのためだという現実に、私の生活がこの山の人たちの生活を奪うことに繋がっているのをずしんと感じた。なんて悔しく悲しいことか。

その後の様子をとらえた第二部(1995)

現実を痛烈に突きつけられる。

奥三面の藁ぶき屋根の家々が壊される。初めの一件は人の手での昔からの解体の風景だが、 次から次へショベルカーで家が壊されていく。最後にはすべての家が無くなってしまう…ショベルカーは手や手間もお金もかからないのだろうが、これはやはりもう暴力にしか見えない…非情な光景だ。 

  木々まだも切り倒され風景が変わってしまう。これだけ場所の記憶が侵され、自分がどこにいるのか分からなくなるだろう…映像で見ているだけでも涙も出ないほど傷つけられる気持ちになる。実際、記憶をなくす人や引っ越してすぐに亡くなられた方がいらしたという。
その時点でもう精神的にかなり酷く残虐なことだ。…しかしこうしたことを都会に住む私たちは殆ど知らずに生活しているのだ…。

この三面の土地は縄文時代から弥生平安時代と次々と遺跡が現れ今の生活がずっと繋がってあったことを映像は語る。この土地の人はずっと昔からの根としっかりと繋がり根付いた生活を営んできていた。それがここで根扱ぎにあいすべてが断絶されるという現実。

「何か忘れてきたみたいだ」 この映画の終わりに、新たな生活の中で夫婦の会話の中で奥さんがポツリと言う。 この言葉は、まさしく私たちのことでもあるのではないか、 彼らの生活をこうして追いやってしまったこの現代の生活こそが、生かされる関係をすっかり忘れてしまったのだと思う。 

山の生活自体は手間もかかり大変なことなのだと、親が喋っていたと話す新たな生活をする若者もいる。山に生きることは確かに甘くはない。出稼ぎに行ってお金を稼いで戻って家を建てる人もいたのだ。

この土地の世話役をしてきた夫婦が、家がなくなって電気もガスも通らない中をプレハブで過ごし最後まで残った。寒い雪が積もる中、この土地に生きていたいという切実な姿に感じた。それでも山を下りる決心をした時の「これまでさんざん叫んできて、もう精魂使い果たした」という言葉、山に生きると同じように生き切る姿勢があった。

この奥三面の人たちはこれまでダムに反対してきたし、ダムがどうしているならばもっと上流にと請願し、そしてダムを受け入れることになってからも、何度も集まり皆で話し合う時間を費やした。こうした叫びが響かない、届かない虚しさやりきれなさ。

 それでも人との繋がりがあるからだろう、今を受け入れ出来ることをし生きる姿が常にある。明日世界が無くなろうともそれでも林檎の木を植えるという言葉を思い出す。絶望してもとにかく日々の中に僅かな光を感じ生きていくこと。

今は狩りも法の規制で出来なくなってしまった伝衛門さんは、ある日、山の手入れから戻ってくる若者たちを迎えにいく。懐かしそうに笑顔だが少し寂しそうにも見える。が、感謝の言葉を伝えている。きっと山のことで伝えたいことがたくさんあるはずだ。それでも伝右衛門さんの山への愛情が若者たちに伝わるのだろう。伝衛門さんの姿が苦々しくも光って見えた。

見終わって

「ものごとを特殊化しないために」というパンフレットの姫田氏の言葉に、実はこうした山の生活が、現代社会の私たちの過去の中にもかつてあったこと、断絶したことをすっかり知らずにいることを感じる。かつては自然で当たり前だったことが、特殊化されていく。そのことをこの仕事から感じる。そして日々の生活を大切に撮り、その一つとしてハレの祭りがあり、芸能が出来上がることも。今それが逆転し、日々の生活が振り回されている。この作品から世界がどんな方向に進んでいるのか、感じ考え直す機会と思った。

さらに柳田國男の「もの深き所にはまた無数の山神山人…願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」も思い出す。この映画はまさしく山に生かされた人たちの生活と、その生活を踏み躙じる非情な現実を語り、平地人の私を戦慄せしめた。でもだからこそ、現代のこの怒涛の流れの時代の中でこの映画は、この先を生きるにあたり、断絶されていることがあるのだということを感じ考える貴重な機会と思えた。

人の業を背負いつつも諦めずにそれでも生き続けること、過去への眼差しとともにありつつ、日々の生活の中に特別でなくても小さくとも自らの生きる切なる営みに喜びを見出せる可能性があること、そんなこともこの映画二部まで見て感じた。

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