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ボーナス、ベランダ栽培、梅_s

 勤務先は夏冬にボーナスが支給される。支給日になると同僚たちのうち何人かはごきげんで、なにか買う?とか、どっか行く?みたいな話になるのが定番である。今日は嬉しい日だね。みんなが嬉しそうはのはいいことだ。ニコニコ、ニコニコ、楽しいんだな、嬉しいんだな、と表情からみて取れる。わたしもつられていい気分になる。いろんなことができる、いろんな場所に行けるみたいだ。欲しかった服を買おう。髪型を思い切ってみようか。マッサージなんか行ったりして。なんにも考えずに力を抜いて、誰かの温かな手に身を委ねてみよう。

 帰宅して茶色い支給明細を開けてみようと思いながら、開けるのがなんだか怖くて先延ばしになる。思ったより少なかったらどうしよう。想定してたことができなかったらどうしよう。深夜になって思い切って封を開けてみると、そこにはちゃんと数字が印字されてた。ちゃんと想定してた金額が。しばらく正座したまま数字を眺める。

 私は小心者なので、大きなお金を使う時にいつもドキドキしてしまう。引っ越し、家電購入、旅行など、エイっと清水の舞台から、実際には梯子か脚立くらいの高さからなのだが、ともかく飛び降りる気持ちでいる。でもどういうわけか、大きなお金が入るときのほうが、緊張してしまう。端的にいうと具合が悪くなる。この日も具合が悪くなった。泣きそうになる。どちらかというと悲しい。それに、あれは事務的なミスだったから返してね、などと言われないだろうか。支給したほど働いてないからなかったことにしてくれって言われないだろうか。そうなったとしても、そういうもんなのかな、と思って受け入れられるような気もする。

 そもそもどうして給料が上がるんだろう。今の仕事は、前職の辛さの数分の一くらいだし、職場の人もいい人ばかりだし、なにより環境がいい。時間が縛られる辛さとか労働それ自体の辛さはもちろんあるけど、仕事が重労働なわけではない。肉体的にも精神的にも一番辛かったのはバイトしてた時代だ。でもバイトしてた時代は一番給料が安かった。給料が出るとシャンプーやせっけんを買った。100均に寄っていらないものを買ったりした。もちろんボーナスなんか無いか、あっても申し訳程度の10000円くらいだった。不公平だ。泣きながら仕事した、あんなに苦しかった自分がいたたまれなくなる。可哀想過ぎる。あの頃の私が今の私を見たら恨むだろう。今もきっとそういう気持ちの人がたくさんいる。あいつら、ウキウキしてるけど、こっちの気持ちなんて想像もしないんだろうな、と。悲しい気持ちになるのは、世の中って不公平で、全然公平じゃなくて、でもそれでいいってことになってて、それでいいって思ってしまえる自分もいることを自覚してしまうからなのかもしれない。いつかの時点で、苦しかったことも忘れてしまうんじゃないだろうか。自己責任だ、とか言い始めたらどうしよう。

 なんでもできるかもしれない、なんにもしてないのに、と行ったり来たり考える。もしかしたら望んでいたことは全て叶うかもしれないと、性懲りも無く夢のような物件探しをしては、そんなにうまくいくはずはない、と考えていたら眠れなくなってしまい、本当に身体に悪いなと思った。この先も素晴らしいことがあっても他の皆のように喜べないんじゃないかと不安になる。不安だ。いや、今も嬉しいはずなんだ。嬉しいはずのことは、きっと嬉しいんだ、と思うことにしよう。世間一般で良いこととされてることは、きっと良いことなんだ。良いことに違いない。良いに決まってる。明るい。でも、同時になにかがゴロッと横たわってる。胃のあたりがキリキリと痛い。

 寝不足で起きた次の朝、ベランダのバジルやミントに水やりをしながら、張りのある葉に水滴が丸く乗っかって光にキラキラ輝いてるのを見て、綺麗だなと思った。この光景も、瞬間も、これまで自分がやってきたことがあったから目撃できたんだ、と思ったら、前向きな気持ちが少し戻ってきた。いつも感情を分解しすぎなんだ。生活の変化はすぐには実感できないから、よく分かってないだけなんだ。それに何事も拡大したり縮小したりして期待しすぎなんだ。とりあえずバジルもミントも元気そうだ。良かった。帰ったら走りに行こう。ヨガをやろう。よし。これでいい。これでいいんだ。

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 私に正気らしきものを取り戻してくれたハーブ類は、先週いくつか保存食にしてみた。いくら切ってもぐんぐん生えてくるのがいい。ミントはお茶以外のものを作ろうと思って、刻んでミント塩とミントシロップにした。ミント塩は肉にまぶして焼いたりしたら、格段に美味しくなった。ミントシロップはやり方がまずかったのか青臭くなってしまったけど、炭酸とレモンを絞ってミントレモネードにして風呂上がりに飲んでる。胃腸にいいらしく、飲んだら腸がグルグル鳴る。バジルはオリーブオイルと塩につけてバジルオイルにした。今年は梅関係もチャレンジするぞと意気込んで初心者向けの梅ジュースを作り中。梅はその辺で採れたら最高なんだけど初心者だからスーパーで買った。今年は不作らしい。梅ジュースは失敗すると発酵してしまうらしく、入念に熱湯&アルコール消毒した。梅と氷砂糖をびんに交互に入れるだけでコツもなにもないけど、殺菌だけは時間をかけた。というかほぼ殺菌と乾燥ばかりしてた気がする。1日に2、3回、びんを振って中身を混ぜる。忘れっぽい私にはこのびん振り作業が一番難関。スマホのカレンダーに「梅」と入力して、1か月後まで「梅」が表示されるようにした。先日、30度超えした日に一日で氷砂糖がほぼ溶けててびびった。毎朝、植物の水やりに加えて梅のびんをぐるぐるやる日課が増えた。日課は時にめんどくさいけど、わりといいもんだな。

 先週はミント、バジルの作業のほか、乾燥させてた熊笹を切って煎る作業もやったからほぼ一日中作業してた。フライパンがなく、小さいスキレットしかないから余計に時間がかかった。引っ越してから、調理器具を買おうと思うたびに「なんで(別れたパートナーでなく)私が買わなきゃいけないのか」と無性にイラついてしまい腹が立って腹が立って煮えくり返る気持ちに向き合いたくなくて買えないでいたが、やっと買う理由が出来た。ヘラもなく、しゃもじで1年近くやり過ごしてきたけどやっと購入(100均で)。フライパンも思い切って鉄製のいいやつを買おうと思ってたけど迷ってるうちに時間がたって熊笹が放置されすぎてしまったのでスキレットでなんとかした。完成した熊笹茶を淹れてみたら、ほのかに甘くて優しい味だった。おいしい。

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 ずっと空き部屋だった隣に新しい人が引っ越してきた。中学生くらいの息子と両親の3人家族みたいで、たまたまジムに行こうと部屋を出たとき鉢合わせして挨拶した。「よろしくお願いします」と包みを渡された。包みには自治体指定のごみ袋とサランラップが入ってて、なるほどこれはいいなと思った。次回の引っ越しで真似しよう。

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 mちゃんが染料を取りたいから葛、ギシギシ、ヨウシュヤマゴボウがあったら教えてほしいとの旨のメッセージをくれたので、早速ネットで画像検索して記憶にとどめる。どれも見覚えがある雑草だけどそんな楽しい名前がついてたのか。画像を頭の片隅に置きながら、探してるときほど見つからないものなんじゃないかな〜とマンションの階段を降りて10歩目くらいでギシギシが生えてるのを発見。葛もありそうなとこにちゃんとあった。植物を探すの、楽しい。宝探しをしてるみたいで、いつもの行き帰りが急に面白くなった。休みの日もいつもと違う道を通ってみよう。こういう身近なワクワクが自分には向いてる気がする。

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『水中の哲学者たち』
 遅ればせながらAudibleで聴いた。作者本人がナレーションしてて良かった。平坦で、わざとらしくなく、読んでるみたいに聞けた。プロの声優さんじゃないほうがいい。

『山と渓谷』
 で山野井妙子さんの連載が始まってた。インタビューして書いてるようだけど、以前別の本で妙子さんは過去に執着が無くあまり覚えてないと書いてあったように、「この頃のことを、妙子はあまり覚えていない」みたいな記述があって本当なんだ..と思った。
(s)

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