肥後琵琶瞽女唄より創作「江戸紫紅お七~火あぶりの段」

梅か桜かレンゲの花か
世に哀れ 春吹く風に名を残し
おくれ桜の けふ散りし 身は

お七はなくなく我家の方へと帰られて
お七が心で 思うには
明くればお寺が 恋しゅうなる
暮るれば吉三が 恋しゅうなる

おなご心の 一筋に
涙ながらに 思案する
胸の鏡に 手を組んで
いかが致せばよかろうと一思案

そや いつぞや本郷の大火にて
我らが家も 類火にて
普請成就をいたすまで
親子三人 もろともに
駒込の
檀な寺なる 吉祥寺 
門前長屋に仮住まい

また我が家を 焼いたなら
吉祥寺へ 行かりょうか
そうじゃ そうじゃと娘お七
けふよ明日よと 思いしが
或る宵に
そよ風吹くに 引かされて
あはれなるかな 娘お七
こたつのおきを 二つ三つ
小袖の小褄へ 掻い包み

二階はしごを のぼらるる
ひとけたのぼりて ほろと泣き
ふたけたのぼりて ほろろと泣き
みけたよけたは 血の涙
ようやく二階へ のぼられて
二階の半戸を そよとあけ
そよ吹く風と もろともに
小袖のおきを 二つ三つ
わが家の屋根へ 投げ出だす
急いで半戸を 閉められて
お七は二階 下りられて
表のかたへ 走りゆく
火事よ火事よという声に
八百屋夫婦は もろともに
表のかたへ 走りゆき
八百屋久兵衛は 見るよりも
これはいかに
お七よ
寒くはないか
と問いければ
そこでお七が 申すには
これは父様
わたしは寒くは なけれども
わが家の類火は 是非もない
駒込の吉祥寺へ 急がんと
あの吉三さんの あの寺へ
涙ながらに申さば
父久兵衛 聞くよりも
さても 情けない
ただいま出来し 災難は
わが子のことではないかいな
思ひし甲斐も 情けなや
誰知るまいとは 思へども

いかなる因縁か目論見か
釜屋の武兵衛
訴人(そにん)いたす

それ聞くよりも お奉行様
ここなるお七
このたび本郷二丁目より始め
ご本丸まで 焼いたる罪
明日は白州へ 出だせよと
言はれて母上 聞くよりも
「これのう いかに お七
おかみの白州に 出たならば
もの正直に申せよ
もの正直に申すなら
必ずおかみの お情けで
罪は許されるであろう」
お教えられて娘お七
はいと返事も 優しさに
衣類着替えて
白州の方へ 急がるる
白州の方になりぬれば
ご免なされと ずつと入り

お奉行様は 見るよりも
さても美し この娘
火あぶり罪とは 情けなや
罪は許して やりたやと

「これのう いかに お七とやら
まだそなたは
歳は十二か 十三か」
言はれてお七は 涙ぐみ
「申し上げます お奉行様
十六歳に なりました」
お奉行様は聞くよりも
「いや十六歳にもなるまいぞ
まだ十三か十四歳か
まだ十五歳にもなるまいぞ」問われて
お七は
「申し上げます
お奉行様
わたしの生まれと申するは
丙午(ひのえうま)の生まれなる
間違えもなく 十六歳になりました」
言はれて方々
あぁ あはれなり
丙午とあるからは
十六歳になるであろうと

お七は火あぶり罪と申しつけられ
裸馬に 乗せられて
あはれなるかな 娘お七
八百八町を 引き廻し

八百屋の家に 来たりしが
お奉行様は 馬を止め
「お七このたび本郷二丁目よりはじめ
ご本丸まで 焼いたる罪
火あぶり罪なり」
とありければ
お七はそれを 聞くよりも
「申し上げます ふた親様
親の先立つ 不孝行
先立つ罪の 数々や
不孝をお許し下さい」と
大音(だいおん)あげて 申しける

母はそのよし 聞くよりも
表のかたへ 走り出で
馬にとりつき鐙(あぶみ)にすがりて
「これ娘そのような利口な事を言いながら                                    
なぜ火付けなぞいたしたかえ
それほど吉三と添ひたくば
なぜこの母に 露ほども もらせ聞かせてたまわば
しようもようもあろうのに!のうお七!」
涙ながらに 申さるる

それはさて置き お奉行様
鈴が森へと急がるる
娘お七に 打ち向かひ
これのう いかに お七
汝願いの 筋あらば
早く申せとありければ

お七は涙の顔をあげ
「申し上げます お奉行様
吉祥寺の 吉三郎様に
命あるうち会わせてくだされ」と
願いあげれば
お奉行様
これいかに 皆の衆
早くお寺へ 急がれよと
言はれて 急ぎ使いのものが
吉祥寺へ 急がるる
「申し上げます 方丈様
八百屋の家の お七こそ
火あぶり罪のことなれば
命あるうちに 吉三さんに
逢はせてくれと 頼まれたり」

方丈様は 聞くよりも
「これのう いかに 吉三郎
八百屋の家のお七こそ
火あぶり罪とあるゆえに
お七が言いたいこともある
汝も言ひたいこともあろう
早く参れ」と 
ありければ
吉三は顔を 赤らめて
草履(ぞうり)片方 下駄はいて
鈴が森へと急がるる
鈴が森にもなりぬれば
あまた見物人を押し分けて
お奉行様の前に出で
「申し上げますお奉行様
ここにお七の身内が参りました
どうぞ会わせて下さい」と
お奉行様は 聞くよりも
こちへこちへと はようはようと呼びにける
吉三郎は 見るよりも
煙の中の お七をみて
「お七熱つかろう せつなかろう」
お七はそれを 聞くよりも
「吉三さん思えば 熱くない」
「吉三さん思えば 熱くない」

言われて吉三郎たまらず
黒髪切つて
煙の中へと 投げ出だす
お七はそれと 見るよりも
「申し上げます 吉三さん
主様がその身になるからは
娑婆に思いは 残るらん」と
無常の煙と 立ちのぼる

江戸紫 紅(くれない) 八百屋お七
16歳が花の暇(いとま)
今の世までも名を残す
世にも哀れな物語
これにて読み終わり

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