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【イベントレポート】2/18(土)『田園詩』上映後はらだたけひでさん(絵本作家・ジョージア映画祭主宰)によるトークイベント開催✨

昔から旅人たちはジョージアをオアシスのように思っていたに違いない

昨日2月17日は、イオセリアーニ監督の親友でもあった『ピロスマニ』(69)のギオルギ・シェンゲラヤ監督の命日でした。亡くなってから3年が経ちます。
まずは、シェンゲラヤ監督について。そこから少しずつ展開していこうと思います。
私は4年前まで、昨年閉館となった岩波ホールで長く働いていました。1978年の秋に、シェンゲラヤ監督『ピロスマニ』の公開を担当し、私は画家のピロスマニに魅せられました。
来日したシェンゲラヤ監督はそんな私を見て「ピロスマニについて知りたいのなら、ジョージアのことを知らなければならない」と言いました。

そして3年後、私はジョージアを訪れましたが確かにその通りでした。

ジョージアという国は、ユーラシア大陸の真ん中あたり、ヨーロッパとアジアの境に位置していて、首都トビリシが「ヤヌスの顔」という古代ローマの神に例えられたように、双方の顔を持っています。
最近はヨーロッパとして括られることが多いですが、以前はアジアに括られていたような気がします。

私の感覚としては、そのどちらでもあると言えるが、どちらでもないとも言えると思うのです。コーカサス地方にある国のなかで、ひときわ個性的な国だと思っています。

私はドーハ経由(カタール航空)でジョージアを訪れることが多いのですが、ずっと褐色の景色が続き、ジョージアが近付くにつれて彼方に真っ白な壁のようなコーカサス山脈が見えてきて、眼下には緑が広がってきます。
昔から旅人たちはジョージアをオアシスのように思っていたに違いないと感じます。
現在のジョージアの面積は北海道の約80%の広さ。
西のアブハジア、それから南オセチア。国内のこの二つの地は全体の約20%を占めるのですが、そこは現在、ロシアが占領しています。
昨今、ウクライナの戦争の影響を受けていますが、ウクライナの左側にモルドバという国があって、そこで親ロシア派のクーデターが予想されるというニュースもありました。「次はジョージアではないか」と危惧されています。


はらだたけひでさん(絵本作家・ジョージア映画祭主宰)

ジョージアの3000年といわれる歴史。『唯一、ゲオルギア』には詳細に描かれていると思います。

私は、今年の正月にジョージアを訪れましたが、友人が「明日のことは誰にも分からない」と言っていました。
ジョージアには3000年の歴史があるといわれています。4年前にサロメ・ズラビシュヴィリ大統領は来日した際に「ジョージアはどういう国ですか?」という質問に対して、「戦争と芸術の国だ」と答えていました。
まさにその通りで、地政学的にシルクロードが通る文明の十字路であり、非常に土地も豊かなのです。
3000年の歴史の多くを、周辺の大国による侵略、それから国内でも分裂と統合が繰り返されてきました。
それは『唯一、ゲオルギア』に詳細に描かれていると思います。


『唯一、ゲオルギア』(94)

歴史上最も栄えたのは12~13世紀のタマル女王が君臨した時代。
南コーカサス全域を統治し、経済的にも、学問、文化、芸術、すべてが大変栄えた時代でした。
ジョージア人はこの時代をとても誇りに思っていて、現在でもその時代に郷愁を持っています。
現在のジョージア国旗は白地に十字の赤があって、四隅にまた十字がありますが、それはタマル女王の時代の旗をそのまま復元し、2004年から国旗としているのです。
その後、13世紀終わりから、モンゴル、ペルシャ、オスマントルコ等に侵略され、戦乱の日々が続き、何度か本当に滅亡するのではないかという危機に直面しました。
19世紀初めから、ロシア帝国に併合され、ロシア化が進められていきます。
その中で文化人を中心に反発が起こり、19世紀の中頃から文学者を中心にジョージア人の民族的なアイデンティティが統一されていきます。
民族解放運動、それに伴い民族的な文化、芸術(文学、舞台など…)が興隆していきます。

そのなかで1895年にパリでリュミエール兄弟による世界初の映画上映が行われ、翌年にジョージアで映画の最初の上映会が催されます。初めてジョージアで映画が撮影されたのは1908年といわれていて、芸術家たちは新しい表現メディアに積極的に参入していきました。
1918年にジョージアはロシア帝国から脱して独立します。
しかし3年後にはジョージア出身のスターリン率いる赤軍が侵攻して、1921年2月よりソ連という巨大国家の下に置かれていきます。
1920年代はロシア・アヴァンギャルドの影響を受けて、前衛的な作品がたくさん作られますが、1930年代に入ると「スターリン時代」と呼ばれる厳しい時代が訪れて、検閲が行われ、粛正のなかで多数の犠牲者が生まれました。

1960年代に入ると、モスクワ映画大学で勉強した若い世代が、積極的に新しい映画を製作していきます。その中にイオセリアーニ、シェンゲラヤ、ゴゴベリゼなどの監督がいました。
彼らは検閲をむしろバネにして、個性的な作品を発表していきます。

イオセリアーニ監督は当初からブラックリストに入っていたようです。彼のほぼすべての作品が上映禁止となりました。
しかし当時の映画人たちは、心を一つに、巨大な権力に対してさまざまな手段を使って、ジョージア人として在り続けるために、民族的な文化を積極的に取り入れながら個性豊かな作品を発表していきました。

ゆるやかな映画のテンポは、イオセリアーニ監督が警戒する世界の大勢への武器のよう

最後に、ジョージア映画、またイオセリアーニ監督作品をご覧いただく上で、ジョージアの伝統的な文化をお伝えしたいと思います。

1.宗教
4世紀初頭、ジョージアにキリスト教がもたらされました。
人々はロシアやアルメニアの正教、ユダヤ教、カトリック、イスラム教…キリスト教を中心に、数々の種類の宗教とともに暮らしてきました。
主な宗教は「ジョージア正教」です。
ジョージアの十字架は、キリスト教をもたらしたニノという女性が葡萄の木を自分の髪の毛で結わえたものだといわれています。それは横の線がへの字になった「葡萄十字」と呼ばれるユニークなものです。

2.文字
文字は、聖書をジョージア語に翻訳するために生まれたといわれています。言語も他の言語の系統と異なる独特なもので、その起源は今でもわかっていません。

3.葡萄とワイン
ワインは8000年の歴史があり、世界で最も古い歴史があると言われています。我々が嗜好品とするのとは違い、ワインはキリストの血の象徴であるように、ジョージア人にとって神聖なものでもあり、アイデンティティそのものなのです。以前は60種類ぐらいのワインがありましたが、ソ連時代は生産性を優先して16種類ぐらいに減らされました。
イオセリアーニ監督やジョージア人にとっては屈辱的なことだったと想像されます。
そのジョージア人にとって大きな問題を真正面から『落葉』で訴えているのだと思います。「落葉」の冒頭でクヴェヴリという素焼きの器を使ったジョージアの伝統的な醸造法が紹介されています。現在は失われていたぶどうの種類もよみがえり、伝統的な手法でワインも盛んに作られるようになっています。

『落葉』(66)

『田園詩』にも登場する「スプラ」と呼ばれるジョージア式の宴会がありますが、「タマダ」と呼ばれる宴会を主導する、詩心ある人格者が選ばれます。タマダの乾杯の辞に合わせて人々は盃を交わし、タマダの導くままに人々は魔法に掛けられたように心を一つにしていきます。祖先や亡くなった人を重んじるスプラは宗教的な儀礼のようにも思えます。


4.ポリフォニー

映画の中でも何度も流れていますが、大変迫力があって非常に素晴らしいです。東と西、地方によって歌も異なり、相当な数の民謡が、ジョージアには存在します。人々は子どもの頃から訓練され、三声以上の異なる旋律が一つに束ねられた独特なハーモニーが作られていきます。

『ジョージアの古い歌』(68)

イオセリアーニ監督の作品はポリフォニーなくして語れないと思っています。「ジョージア人は一つの考えをもった一つの集団にはなれない」「ジョージア人は一人一人が自分を王様だと思っている」という監督の言葉が忘れられないのですが、その多様性に対して相反するようなハーモニーが、ポリフォニーやスプラによって表されていることは興味深いです。

ちなみに、「ノンシャラン」という言葉があります。ジョージアで2~3ヶ月と生活していると、世界から取り残されたような、離れ小島にいるような、世界の潮流とは別のところにいるような思いがしてきます。

イオセリアーニ監督の作品からは、人間への優しい思いと期待だけではなく、現実社会への醒めた、厳しい視線を感じます。彼は世界の潮流に対していつも懐疑的です。人間の生きる歓びを損ねるものに対して抵抗する、つまり「シャントラパ(『汽車はふたたび故郷へ』の原題)」を、独特なテンポで表明している。
彼のノンシャランといわれるドラマ、ゆるやかな映画のテンポは、イオセリアーニ監督が警戒する世界の大勢への武器のような感じがしています。


『汽車はふたたび故郷へ』(10)

『唯一、ゲオルギア』では、91年にジョージアが独立後、内戦や紛争が起こり、社会、経済、文化すべてにおいてどん底へ落ちる様が描かれています。
しかし作品が発表された翌1995年に、イオセリアーニ監督は取材で「冬の後には必ず春が来る」と言っていました。厳しい時代が続く中でも春を信じて待つ。ある哲学者が言ったジョージア人の「陽気な悲劇性」という言葉に通じる楽天的な姿勢がジョージア人らしいなと思います。

 
昔、敵国の侵攻に対してジョージア人は戦場に赴くときに、身体にぶどうの枝を忍ばせました。もし戦で倒れても、自身の屍から新たなぶどうを芽吹かせるためです。ぶどうの木はジョージアの象徴なのです。イオセリアーニ監督の作品だけではなくジョージアの芸術表現に、私はジョージアのぶどうの枝の風習を重ねて思うことがあります。

『田園詩』(75)

オタール・イオセリアーニ映画祭は現在、ヒューマントラストシネマ有楽町、シアター・イメージフォーラムほかにて開催中❗️
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