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毎日、5分だけでいいから「アフターコロナ」について考えよう

 今はたいへんな状況だけれど、必ずコロナ騒ぎは収束する。

 巣ごもり生活にもちょっと飽きたし、でもまだまだ外出は怖いし。ああ、早く収束しないかな。そしたら予定していたアレとコレをしよう。

 そこまで考えてふと気づく。アレやコレは年明けに思い描いていた通りには出来ないのではないか。世の中の予定はすべて狂う。何より景気が悪い。雰囲気はたぶんイケイケじゃない。そう、アレコレを実現するための前提条件はほとんど(悪い方に)変わってるに違いない、と。

仮に決めちゃおう

 となれば、予定の組み換えしかない。延期というよりも、ゼロから予定の中身を考え直す必要がある。今、何が必要か、何が出来るか、何がしたいのか。自分にとって、家族にとって、社会にとって(まずは、身の回りの小さなコミュニティから)。3ヶ月前とはまったく違うアレコレになるはずだ。

 さすれば。コロナ騒ぎが始まってしまったことはもう取り返しがつかないのなら。いつ終わるかを想定して。どんな風に世の中が立ち直っていくかを思い描いた上で。自分はどう生きていこうかを考えようと思う。

 もう、仮に決めちゃおう。2年だ。コロナが収まるまで2年だとしよう。

 免疫ができたり、ワクチン作ったり、経済が持ち直したりするのに2年ぐらいあれば足りる、というのはさほど滅茶苦茶な推論ではないと思う。

「アフターコロナ」を少しずつ

 この2年の間に自分のすることをアレコレ考えよう。2年経ってから満を持して取り組むアレコレを考えよう。それが自分にとっての「アフターコロナ」だ。そしてさらに何年か経った時、何が成就できているだろうか。

 あなたにとっての「アフターコロナ」は何だろう。日本中の、世界中の、彼の、彼女の「アフターコロナ」は何だろう。その総和が2020年代の中頃からカタチになって顕れる。それを励みに、それを夢見て頑張りたい。

 世界中が「アフターコロナ」を少しずつ実現して自身を取り戻す。俺たちゃまだまだやれるじゃないか。あたしたちってこんな事もできるのね。世界大戦後の世界が20年ぐらいかけてぐーんと成長したように。そしてシンギュラリティへと向かっていく。そんな風になると信じたい。

 今は苦しい。辛い。悲しい。ほんとうに苦しい。辛い。悲しい。いま、それを言うなよ。そんな余裕ないよ。ごもっともです。申し訳ない。ごめんなさい。でもきっと、どんな人にも「アフターコロナ」は必要になる。

 だから、
 毎日、5分だけでいいから「アフターコロナ」について考えよう。

 いま、私はそう思っている。(そう思わないと辛い。)

【2020/4/26追記】
 この記事を書いた後すぐに、私がフォローしている大西正紀さんのnoteにこんな記事が。こんな時こそ、街に皆が集える場所が必要。そんな記事。
「たとえコロナが起きている最中でも、私たちは、コミュニケーションを、コミュニティーをあきらめてはいけない。」(記事より)
 同感。アフターコロナになったら、大西さんがやってる「喫茶ランドリー」に是非行ってみたい。ってか、早くカフェ巡り再開したいっ!

【20204/28追記】
韓国でも正常化まで2年を見込んでいる模様を伝える記事。そして、ミュージシャン高野寛さんの1ヶ月以上前のnoteにも「アフターコロナ」の文字を見つける。一つのアイデア、キーワードをきっかけに意識がふわぁっと広がる感じがする。ちょっとした高揚感。何だか不思議ではある。

【20204/30追記】
こんな記事も見つけました。続々と『アフターコロナ』記事。一方で、ツイッターなどでは「アフターコロナなんてまだ早い」なんて意見も散見されます。先の本文でも述べているようにその気持ちもよく分かります。


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