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「天才・たけしの元気が出るテレビ」


#好きな番組

好きな番組コンテストに参加することにしました。

「天才・たけしの元気が出るテレビ」

本当に毎週楽しみで、カッパを探す企画などは幼かった私は本当にカッパがいると思って信じてました。

日本指圧協会会長の波越徳次郎さんをジェットコースターに乗せる企画だけでも腹抱えて笑ってたのに「偉くなくとも正しく生きる」が座右の銘の喋ると途中で入れ歯の外れる、エンペラー吉田さんと一緒に波越さんがジェットコースターに乗る企画はアゴが外れるほど笑わせてもらいました(もしかしたら記憶違いで、2人一緒には乗ってなかったかも?)

とにかく、名物企画、名物キャラクターが目白押しで本当に書ききれないですが、高田純次さんが清川虹子さんのお家へのロケで、清川さんの3000万の指輪を突然口の中に入れて、本気の虹子ビンタを喰らってるのを見て、当時は本当に笑い死にするかと思ったのも1つの思い出です。

とにかく、現在のバラエティー番組の企画の元を辿れば、全て元気が出るテレビに行き着くんじゃないかと思うほどに、革新的な番組だったと思います。

この番組の企画や素人のキャラクターも魅力ですが、私が初めてカッコいいと思った芸人さんがビートたけしさんで、たけしさんが企画した番組でたけしさんが、出ていたからこそ毎週見てたのもあります。

この番組が始まった時のたけしさんは37歳。

信じられますか?この歳で、あの貫禄!

たけしさんが「フライデー襲撃事件」を起こした時の記者会見を今でも、たまに見ますが当時の年齢が39歳!

もう貫禄どころか、どこかの組長のような凄みと男の色気に溢れてました。

今の芸能人の謝罪会見と比べたら、桁違いに堂々としてて、犯罪を犯してるのに、まるでたけしさんの独演会のような記者会見だったのです。

当時は写真週刊誌全盛時代で、有名雑誌5誌合計で460万部の発行部数を誇ってた時代だったようです。

そんな時代にテレビで天下取ってるトップ芸人が、自分の不倫相手への執拗な取材に腹を立てて、フライデーを襲撃するなんて前代未聞の事件です。

時の官房長官の藤田正春氏までもが「ビート君の気持ちもよく分かる」などと会見で発言、連日ワイドショーも事件を取り上げて、ネットがまったく広がってなかった当時としては凄まじい影響力でした。

今のタレントさんや芸人さんで、これほどの影響力がありそうなのは、ダウンタウンさんの全盛期ぐらいかも知れません。

今の時代ならば、たけしさんは、もうテレビには戻って来れないでしょう。いや、あの時の全盛期のたけしさんならば戻って来たかも?

とにかく、この事件により、たけしさんは元気が出るテレビを休むことになり、元気が出るテレビはしばらくパワーダウンすることになったと記憶してます。

しばらくして、たけしさんが復帰。また昔の元気が出るテレビに戻った!と喜んでた私でしたが、1994年にたけしさんがバイク事故を起こして、また元気が出るテレビ出演を自粛。

この時は本当に泣きました。番組が見れなくなることではなくて、たけしさんが死ぬんじゃないか?という涙です。

私は親が死んでも泣かないと思うほど、冷酷な人間なのですが、当時はたけしさんが心配で号泣です。

結婚式直前で花嫁に逃げられた新郎のように泣き崩れました。それほど、たけしさんを男として憧れて尊敬してたのでした。

幸いなことに、たけしさんは命をとりとめて、無事退院する時の記者会見を当時の朝のワイドショーの特ダネで見ました。

私はまた元気が出るテレビで、昔のたけしさんが見れると思ってたんですが、顔面麻痺になってるたけしさんを記者会見で見た時「もう、昔のような元気が出るテレビにはならないかも」と覚悟したのを覚えてます

あの顔面麻痺の顔でカメラのフラッシュの前に現れ、さらに笑いを取ろうしてる芸人としてのたけしの凄み、さらに麻痺を治す手術を拒否して「この顔で生きていく!」という人間たけしの凄みに私は震えました。

当時の司会者の小倉智昭さんの目が涙で滲んでたのをハッキリと覚えてます。

1995年の3月に、たけしさんは復帰して、番組も、以前と同じような企画をするのですが、何かが違ってて、翌年の1996年10月に元気が出るテレビは11年半の歴史に幕を閉じたのでした。

この頃には、私はあんなに大好きだった元気が出るテレビを見なくなり、裏番組の「ダウンタウンのごっつええ感じ」を夢中で見てたのです。

たけしさんへの尊敬や憧れがなくなったのではありません。事実たけしさんの本はしばらくずっと買って何回も読んでました。

やはり、感覚的にお笑いとしてのたけしさんとダウンタウンさんのとの新旧交代、時代の移り変わりを感じてたのです。

そのダウンタウンさんも、もう還暦。

当時はあんなに大好きで、男として尊敬してた、たけしさんの番組は今はまったく見ず、たけしさんの本も全く読まなくなりました。

現在の好きなテレビ番組も「水曜日のダウンタウン」のみとなってしまいました。

それも、スマホかパソコンでネットのTVerで見るのみで、リアルタイムでは現在はテレビの電源さえ入れません。  

私はたけしさんの番組は見なくなりましたが、今のたけしさんはやっと肩の荷が降りて、全盛期より幸せなんじゃないかと思ってます。

やはり、いろいろな人の人生を背負い、時代と共に走ってた時は、自分の何かを犠牲にしなければならなかったんだと思います。

時代は本当に移り変わりが激しくて「昔のテレビは良かった」「昔のバラエティーは過激で面白かった」と、見てた側は好き勝手な意見をいいますが、やはり今でもテレビの影響力は凄くて、何か大きなイベントがあれば家族をテレビの前に釘付けにする、クオリティーと影響力はあると思うのです。


たけしさんは以前こう言いました。


「何も無くていいんだ。人は生まれて、生きて、死ぬ、これだけでたいしたもんだ」


私自身、辛い時に憧れのたけしさんの言葉を知って、本当に元気が出ました。

元気が出るテレビで元気と笑いを貰い、たけしさんの元気が出る言葉で元気と希望を貰いました。


「天才・たけしの元気が出るテレビ」とビートたけしさんに出会えて本当に良かった!



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