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2020.3.27 毒と皿

毒も食らわば皿までよと聞けば、毒も皿もおいしそうですねと思う。毒を盛られてもまず気づかないし、仮に気づいてもおいしければそりゃあ皿まで完食するだろう。私の皿にはおいしい毒、おいしい悪事をじゃんじゃん盛りつけてほしい。そもそも、毒と皿って字が並ぶとなんだかご馳走感がありませんか?「ドクトサラ」、きっとチラキレスの仲間に違いない。

          

もうすぐ好きな人と自分の間にある社会的な繋がりが一つ減ってしまうことから、何者でもない男と女として自分達を再解釈しようと試みている。私の上司じゃない彼。彼の部下じゃない私。ただの男、女、今、女、女。この時、飲み込めない鉄の塊のようなものが生まれてくる。喉のあたりで焼けるように熱いくせにつっかえてしまったのか自発的には出てこない。「それ」を無理やり取り出してみようとしたけれど、私たちは本当に「上司と部下」以外の関係を構築してこれただろうか、という不安が一番大きいみたいだった。でもそれだけじゃないのか、喉の奥には異物感が残る。なんだろう。「上司としての彼」の存在があまりにも大きすぎるのか、はたまた思う以上に「部下である自分」に対する執着が芽生えているのか、答えは出ないまま今日に至った。

          

「ちゃんとした」友人からは「それでこの先どうするの?彼とどうなりたいの?」と真剣に問われることもある。強いて言えば彼の走馬灯に出演したいし溶けて一つの生物になりたいし、彼にとって一番えっちでかわいい存在でありたいよ。ただこの手の質問者にこういったTwitterでへらへら呟くようなことを迂闊に言うと追及の圧が更に強くなることは知っているからとても言えない。どうなりたいって…何年後か先も一緒にお酒を飲めたらいいなって思うよ。これも駄目?手厳しいな。

こうして柔らかく抑圧してくれる人と話しているとだんだん思うようになることだけど、私たち、上司と部下ではなくなってお互いに何者になれなくっても、しぶとくかわいくなんとなく生きていけるといいね。毒も皿もおいしく食べてしまって、ヒトの形も失って、最後には離島の海にぷかぷかと漂うだけの浮遊物になりましょう。きっとそうしましょう。約束よ。

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