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2020.4.6 離島の箱

好きな人と遠出する約束したのは、彼とはじめてホテルへ行くより前のことだった。住んでいる土地から車で数時間、船で小一時間もあれば辿り着ける小さな島。観光できる場所はあまりないようだけど帰りの船の時間が早いから日帰りではゆっくりできないし、せっかく仕事を休むなら泊まりでいきましょうと先に提案したのは自分だったか彼だったか。しばらく経って、もしあの日より前にホテルへ行かなかったら、体の関係がない状態であの旅行を迎えてしまったらどうするつもりだったの?と意地悪に聞かれたからきっと私だったんだろう。あなただってなんでもないみたいな顔して提案を飲んだくせにとは言わず、さあどうでしょうねとにこにこ笑っておいた。もしなにも起きなかったとしてもあの旅行を最高のものにできる自信が私にはあったし、旅行で一線を超えるならそれもまた良しと思っていたし、つまりどう転んでもいいと思える状態にまでは自分で気持ちを高めていたということで、なんだか少しずるいような気もするけどこの先の恋愛ってずっとこんな感じなのかもなーと思った。始まる前に一人で突っ走って派手に転んで大泣きするみたいなことってもうないのかも。

小さな離島に着くと彼は周りの目も気にせず腰に腕を回してきて、数メートル歩くごとに会話を止めてキスするような、ちょっとあれな恋人達になってしまった。そう、彼は舞台に登ってさえしまえば誰よりも、おそらく私以上に恋に没頭できる人間で、離島は絶好の舞台装置だった。あんまりくっつくと暑いよ、なんてじゃれあいながら海沿いを歩く。ぬるくなった缶ビールを飲む。きゃらきゃら笑う。キスをする。また歩く。

その離島には小さな箱(といっても大人が一人余裕で入れるくらい)を重ねた立方体のオブジェがあって、これが一番の観光スポットのようだった。他の観光客に倣って遠目で全体を撮ったり私が被写体になったりと一通り楽しんで、帰ろうとしたところで好きな人から「一緒に中に入ってみようよ」と提案を受けた。さすがにちょっと狭いね。うん、でもこの箱の中は私たちの世界だよ。二人しかいない、四角く切り取られた海と空しか見えない世界。ずっとここにいたい。閉じ込めてよ、帰れなくなっちゃえばいいのに。ねえ、ずっとこの島にいようよ。あのときはそんなこと言えなくて、私は主演女優になりきれなかった。

あの箱には、彼がこぼしたきらきらも私が見せなかったずるさも、触れたときの熱さも、ビールのぬるさも、ちゃんと残っているだろうか。残っていてもいなくても、走馬灯にしたい景色はすべて箱の中に入れることにしましょう。いつかの夏、今度こそ私を閉じ込めてほしい。

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