あの悲しみ。
上野動物園で、
あの仔(象)をみた。
2002年のある日、園内を歩いていたら、
とても悲痛な鳴き声が聞こえてきた。
象舎の前で足を止めた。
扉から、中の様子を伺う…
…子象が、鳴き叫んでいた。
『何でこんな場所に連れて来られたの?』
『何で親と離されたの?』
『何で自由に歩けないの?』
『自分は、これからどうなるの?』
そう言っているように聞こえた。
悲しみの中に、怒りも込められ、戸惑っている。
子象の立場からしたら当然だろう。
どうすることも出来ない状況に歯痒さを感じた。
思わず、耳を塞ぎたくなったのを、覚えている。
“動物園”という場所の、悲しき因縁を思った。
家族連れの、明るい笑い声と、歓声のなかで。
(説明書きだけ、ちょっと…)
2019年、12月。
彼(象)と再会した。
身体は大きくなり、環境にも馴染んだようにみえる。
もう、たくさんの人々に囲まれても、
悠然と構えている。動揺もしてない。
不意に目が合う。
「耐え抜いたのですね…お疲れ様です…」
「どちら様か存じませんが…まあ…何とかやっていますよ」
なんて、telepathyを感じた。
彼(象)に、とてもカメラを向ける気持ちにはなれませんでした。(記憶の中で十分だと)
“動物園”とは、何とも言い難い場所だ。
園内に置かれた看板に描いた動物達のキャラクターは、愉しそうだけど。
唯一、その場所に、新たな自由を見出している生き物がいた。
その翼を持て余しながらも、守られた中での、自由を謳歌している。
大空を飛べるけど、飛べることに執着しない。
人間に順応し、生きる。
ある意味では、平和なのかもしれない…。
鳥類の逞しさを感じながら、
あの象を思った。
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#エッセイ
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