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明日、友達に教えたくなる!通りもんに隠された秘密

みんな大好き博多銘菓『通りもん』

社内で『夏に向けてダイエットをしている』と公言している女性社員に出張土産として渡してみたら、あら不思議、『今年の夏は自分史上最高のbodyを手に入れる!』とあれだけ言っていた彼女が次の休憩時間に食べている姿を見られるくらい罪深いお菓子、それがみんな大好き博多通りもん

味に関しては皆さん一度は食べたことがあると思いますのでここでは割愛します

皆さんは箱を包装しているパッケージや個包装の包み紙、または箱に入っている栞に目を通したことがあるでしょうか
まさか紙の包装をビリビリ破り、個包装の通りもんを部署内に配った後、空になった箱と栞を無造作にゴミ箱に入れていませんよね

箱やパッケージまたは栞にこそ色々な情報が込められているものです

そこで今回は博多の人に話をしてもあまり知られていない明日誰かに言いたくなる、通りもんの秘密をお伝えいたします

そもそも通りもんとは何?

『通りもん』と聞くとなんだか歩いている人を思い浮かべませんか?
もしくは熊本の大人気ご当地キャラクターの博多版とか

通りもんとは博多の歴史に深く根ざした名称で、古く平安時代1179年「松はやし」を起源とする840年以上の歴史を誇り、例年5月3日4日に行われる博多どんたくというお祭りがあります

そのどんたくの中でどんたくの衣装に身を包み、三味線を弾き、笛や太鼓を鳴らして練り歩く人のことを博多弁で『通りもん』と呼びます

では、博多どんたくのどんたくとはなんでしょうか

まさかの日本語でなかった

そんな古い歴史を持ったお祭りが現在に似た形になったのが一時中断されていた時期を経て明治12年に再開された時から博多どんたくと呼ばれるようになった

ここで博多銘菓通りもんの話に戻りますが、個包装のパッケージにこのように書いてるのをみたことがある人がいるでしょうか

西洋休日博多通りもんと書かれています

そうです、ここに秘密が隠されていたのです、歴史あるお祭りの名前の起源のヒントが博多を代表する銘菓通りもんに隠されていたとは誰が考えたでしょうか

江戸の時代が終わり、明治政府が始まった際にはまだ日本人が日曜日が休日という風習がありませんでした
なぜなら日曜日休みというのは西洋の風習だからです

ではそれまで日本人はいつ休んでいたのでしょうか

正解は・・
特に決まってなかった

でも、江戸時代のいわゆる公務員である武士階級の人がお城に出勤しているドラマや映画を見たことあるもん!あの人たちは365日働いていたのか!と反論される人もいるかもしれません

答えとしては、武士は休みだらけでした

例えば、江戸城を警備・護衛を務める御家人たちは「三日務め」といって一日働いたら二日休むのが基本でした
事務職であっても二日働けば一日休みでした

現代の我々が『あーあ、水曜日も休みだったら2日働けば休めて良いのにな』とぼやいている生活を江戸時代の武士階級は江戸時代にすでに手に入れていたのです

そんな中、明治維新が起き江戸幕府は崩壊、新しく明治政府が誕生しました

明治元年9月、政府で働く公務員たちに太政官布告が出され、31日を除く1と6の付く日を休日としました(これを一六日(いちろくび)と言います)

しかし、欧米との交易を行う上で不便があったため、欧米と同じ仕組みに改めることにしました

そして明治9年、官公庁で働く公務員たちに官公庁で土曜日半休・日曜日休日制が導入されました

その時に西洋風の休日を導入したことによりある言葉が江戸で流行します

それがオランダ語で休日を表すゾンターク


西洋の風習を取り入れて日曜日がお休みになったよ!という文化の変化は当時の人々には強烈なインパクトがあったはずです

この言葉が全国で流行します、そして流行る過程で言葉が訛ってどんたくになったのです、ちなみに半休を意味する半ドンのドンもこのゾンタークからきています(諸説あり)

つまり一時期の休止期間を経て明治時代に再開した松はやしというお祭りを復活させる際に新しいもの好きの博多っ子が当時流行っていた西洋から取り入れた休日ゾンターク=どんたくという名称を取り入れたのです

それが通りもんのパッケージにさらりと書かれた壮大な秘密です

博多どんたくの話題が出た時、言ってみてください

どんたくってオランダ語だってしっとーと?


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