見出し画像

『泥ドロップス』爆誕

かいです。

私の写真とようたさんの絵のデジタル合同作品『泥ドロップス』をついに来週26日、出版する。
そして、この作品づくりを今回だけにとどめずにこれからも2作目3作目を作っていこう、日本中を行脚してやろう、という話になって、私たちの活動名義を、【赤天井】と定めることになった。
さらにさらに、実はもう【赤天井】の名義で出展のはなしまでいただいた。まだ詳細がお知らせできないのだけれど。
めちゃくちゃめでたくてめちゃくちゃ嬉しいので、今回はその話を聞いてほしい。


異物との迎合


赤天井の処女作「泥ドロップス」はようたさんが絵を描きモデルを務めて、私が写真を撮って本にした。新宿の夜、石垣の昼、それぞれの光を閉じ込めた身体と絵のデジタル作品だ。

私とようたさんはバックグラウンドも違えばこれまでの人生経験も醸成してきたイメージも、何をとっても違うから、共同で作品を作るということはまさに「異物との迎合」の実験だった。
完成した作品をみて「2人が全く違う生き物でよかった。おもしろくなった」と思った。

この作品を作り上げるにあたってようたさんと私が繰り返し話してきたのは、「2面の自分」について。社会を構成する他と混ざり合う自分と、社会から切り離されたところにあるコアの自分。手と脳。泥とドロップス。この2面は互いに影響し、変形し、その境界は揺らぎ続ける。

異物と迎合しても、完全には同化できない、まだらな孤独を湛えた「泥」。
一つの世界の中で、たくさんの貴い光が踊り、時に砕き砕かれながら共鳴する「ドロップス」。

『泥ドロップス』キャプションより

持ってるスキルも互いに違うから最初はおそるおそるやってみるという感じだったが、私にとってのようたさん、ようたさんにとってのようたさんを理解するにつれて、「泥性」と「ドロップス性」に焦点を当てることができてきた。

撮影は自分の所掌だからなんてことなかった。私が今回苦労したのは、作品にする工程だ。私が撮った写真たちをようたさんはどのように捉え、どんな絵を描いてくるのか、重ね合わせてきちんと一つの作品に昇華できるか。

大枠のイメージを2人で決めたあとは各々で作業して、製本を一緒にやる、というやり方で進めたのだけど、一つの作品をとっても捉え方が違ったり相手の意見を聞いて「やっぱここ変えよ〜」が発生したりして、新宿の深夜営業のカフェでの製本作業は7時間にのぼった。もうすでに出来上がった素材もバラバラにして作り直したりした。

深夜3時、体力と脳みその限界を迎えた私たちは別れ、ようたさんはゴールデン街へ、私は歩いて帰路についた。こんなに作業しても、呆然とするくらい作業は終わっていない。会っていない日も、連日連夜作業に関する連絡が飛び交うことになった。
こんな夜がつい先日もあって、互いに体力の限界を迎えているが、なんとか形になった。ようたさん本当にありがとう!

新宿の光、石垣の光


「世界中の人に楽しんでもらいたい」と同じくらい、「世界中の誰にもわかってほしくない」気持ちが強い。私に宿る天邪鬼を、カメラはバカ正直に切り取っていた。

私の体の中でいつも戦っているのは、一般化しようとする「泥」と個であろうとする「ドロップス」だ。両者は互いに進退を繰り返す。
私たちはこの作品を、ほとんど無意識に、なるべく「泥」の遠くで作った。理解されない、私たちが選び取った美しいものや楽しいこと。

何かを作って世に出すということは泥に体を沈ませていくこと、自分を撹拌することだ。これから数多分析されて、言語化されて、噛み砕かれて一般化されていくんだろう。でもそれが欲しいんです、新宿と石垣のこの光に目を焼かれた観客も含めて作品だから。

目を焼かれて立ち去る8割の人間に興味は持てないけど、目を焼かれてなお作品を愛してくれる2割の人間に、
おもしろいと思ってくれる人の全身を焼き尽くすような作品を、今後もようたさんと作っていきたい。

泥ドロップスの音韻が気に入っているから、英語版も“doro drops”にした

新宿の地で、石垣の地で、道ゆく人から空き缶をもらいながら、熱中症に見舞われながらの撮影。「泥」に塗れながら「ドロップス」を砕いた。
この2人の営みがこれから先も続き、成長していくようにと願いを込めて、【赤天井】という名前をつけました。青天井とは際限ないこと、対極にある赤天井は有限。境界を睨んで、押し広げていく。

美しい彼の姿より私を貫いたのは、その所作でした。
なりたいように在ろうとする彼の手に現れた、無目的性と無関心性。

「自分の性自認はどちらでもありません。女性でもなく男性でもなく自分を『久喜ようた』として、一人の人間として見てもらえるように日々邁進し今は生きております。」

画家として、モデルとしての、物書きとしての、アーティスト「久喜ようた」の表側。
そしてふかく社会構造に失望し、決然と性別を捨て去り、強烈な生き方を選択した人間「久喜ようた」の裏側。

異物と迎合しても、完全には同化できない、まだらな孤独を湛えた「泥」
一つの世界の中で、たくさんの貴い光が踊り、時に砕き砕かれながら共鳴する「ドロップス」

蒙昧とした、美しい久喜ようたの輪郭を掴むために、東京・石垣の地を踏み抜き撮影した54枚の写真と26枚の絵を収録。
久喜ようたの中に現れた「泥」と「ドロップス」をなぞる、身体と絵の総集編、第一弾。

『泥ドロップス』キャプションより

ようたさんが描きあげる彩度の高い絵と私の撮る路地裏のようたさんは、ミスマッチで不格好で、美しい。今回、デジタル作品集という形で世に出しますので、世界中の人が地理的制約も時間的制約もなく、「泥」と「ドロップス」の織りなす美しさに触れることができる。
損はさせませんから、絶対見てください。

写真絵集『泥ドロップス』
発売日:2024年5月26日
著 者:赤天井(久喜ようた/かい)
発 売:Amazon Kindle版 価格:3,000円(税込)
発行元:マカロ舎
撮影地:新宿、石垣島
モデル・絵:久喜ようた
装 丁:久喜ようた
撮影・構成:かい
発行人:赤天井

【著者略歴】

久喜ようた 
東京都中野区在住、画家、モデル。
性自認はノンバイナリージェンダー、性別適合手術をし戸籍を男性に変更する。
発達障害自閉スペクトラム症(ASD)。 自分の性自認と発達障害に幼少期から世間との違和感を持ちながら二元論に捉われない絵を描く。 2020年からキューピー人形に360°細密画で描き込む作品を作り始める。 2022年その場でライブドローイングをするスタイルを確立し、ペンのみでメディウムと場所と時間を選ばない流動的で瞬間を捉えるライブドローイングで「日常の瞬間を記録する」「アートは敷居が高いという考えをなくしアートをもっと身近に」をテーマに色んな土地に滞在し創作活動をし続けている。

2022年 詩画集「石垣島、夢を見る島の真裏で。」(社会評論社)
2023年エッセイ「豚の慟哭」(TRASH BOOKS)

かい
東京都渋⾕区在住、⽩塗モデル、カメラマン、 ネオンサイン作家。
酒呑み、煙草呑み、健康体。⽥舎を憎み上京、 虚構と現実の間で⽩塗りをする。 ストリップとパイナップルが⼤好き。

2015年4⽉ 個展「四隅の落⽇」
2021年11⽉ 公募展「⾼円寺秘宝館」
2023年2⽉ 個展「巨いなる者」
2023年11⽉ 公募展「⾼円寺秘宝館」

またね〜


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?