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生きる意味という、無限の道

私たちは自分を絶対に否定することはできない。
これをへし折る。これを超えていく。大変ですね。
だから探求なんかなかなか始まらないし、言い逃れたり、説明したりする。
(中略)

私たちは自分を気に入るようにしたいだけで、
変わろうなんて思ってないでしょう?
(中略)

私たちにとってこの自尊心は揺るぎないでしょう?
今は探求の時代とは言われていない。癒しの時代。
「私を誉めてほしい」「そのままでいいよ」と言ってくれる人をみんな求めている。
泥棒だけど、泥棒のままでいいよ。
泥を被ってくれる人を探してる。
そこから抜け出そうと言ってくれる人を探してはいない。

だから戦争なんて終わるはずない。

『#11 Lust 夜明けの女神』の講義ノートより

ふと思った。
こんなでも、もしかしていつか、探求の時代が始まるんじゃないか?

だから私にも回向が起き、探求への道が開かれたのではないか?

そのうち必ず行き詰まる、この癒しの時代のままでは。
本当はもうすでに行き詰まってるけれども、、

それはもしかしたら、社会の没落か天災かあるいは戦争か、
人が他者に「そのままでいいよ」などと言ってあげる余裕がなくなるような時代が、やって来るということなのかもしれない。
現代のように癒しや娯楽に自分自身を労ってもらうような避難場所がなくなってしまったら、私たちの時代のような人類の多くは耐えきれず、行き詰まるだろう。

でもそうなってはじめて
「なぜ生きるのか?」「生きる意味は何か?」という呻き声が、自分の奥のどこかから聞こえてくるのではないだろうか (注:これは天災のようなことが起こればいいという意味ではありません)。

そしてまた、自分の奥から聞こえてきていると思っていたけれど、そうではなかったことに気づけるほどの探求が、あるいは始まるかもしれない。

そうでなければ。
新しいアイオーン、新しい時代がやって来なければ。
こんな醜い世界をタロットの霊が、復活のキリストが放っておかれるはずがない。
このままで、いいはずがない。

第1のアイオーン(有史以前 - BC300頃)
人間として、他の生命体…ライオン、恐竜などと分離して。
しかしまず生きるために家族、民族を形成していく時代。
ひとつの思想のもとに結束していく。

* 追記:
人間の個人意識はまだ曖昧で、民族を統合するものとして民族神が考えられた。個人は民族に従属しながら、家系や民族的結合を人生の土台として精神を形成していた。各民族にそれぞれの神が存在する多神教の時代で、天体や大地を崇拝した。地域によっては母権制が強かったため、月の女神イシスによって代表される。

第2のアイオーン(BC300 - 1904頃)
宗教に目覚めることで、この世の欲望に一定の調和を与えること。
しかし戦争を乗り越えることさえできなかった。
戦争が始まると、宗教は戦争を支持してしまう。

* 追記:
上からの高圧的な力によって全体を統合する精神のパターンの時代。父権性が強いため、イシスの夫オシリスによって代表される。唯一神のもと、民族や血族を超えた世界的な理想を中心に求め、その理想を土台にして生きようとした。最も重要視されたのは、各自が所属する集団統合の理想や目標であった。そのため、この時代もまだ個人は二次的な重要性しか持たず、規律や儀式、教典のもとに抑圧され、自由な創造は十分ではなかった。

第3のアイオーン(1904以降 - 現代の2000年期)
全てに決着をつける。新たな時代。
それを見つけるのがテウルギアのタロット。

* 追記:
個人の内面的不安や恐怖を根絶やしにし、個人の精神の自主性と独立性を確立し、自由で創造的な人生を実現するための人間論、文化形成論を主張する時代意識である。クロウリーはトート・タロットを学び、使用できるようになることで、創造的な人生を生きる立場を確立できると考えた。

講義ノートより。時代と追記は『魔術師のトート・タロット』より加筆

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