ふと思った。
こんなでも、もしかしていつか、探求の時代が始まるんじゃないか?
だから私にも回向が起き、探求への道が開かれたのではないか?
そのうち必ず行き詰まる、この癒しの時代のままでは。
本当はもうすでに行き詰まってるけれども、、
それはもしかしたら、社会の没落か天災かあるいは戦争か、
人が他者に「そのままでいいよ」などと言ってあげる余裕がなくなるような時代が、やって来るということなのかもしれない。
現代のように癒しや娯楽に自分自身を労ってもらうような避難場所がなくなってしまったら、私たちの時代のような人類の多くは耐えきれず、行き詰まるだろう。
でもそうなってはじめて
「なぜ生きるのか?」「生きる意味は何か?」という呻き声が、自分の奥のどこかから聞こえてくるのではないだろうか (注:これは天災のようなことが起こればいいという意味ではありません)。
そしてまた、自分の奥から聞こえてきていると思っていたけれど、そうではなかったことに気づけるほどの探求が、あるいは始まるかもしれない。
そうでなければ。
新しいアイオーン、新しい時代がやって来なければ。
こんな醜い世界をタロットの霊が、復活のキリストが放っておかれるはずがない。
このままで、いいはずがない。