近況(2022.1.28)

昨晩、素面でtwitterのスペースをやってみたのだがあまりのグダグダさ加減に嫌気がさした。人とのおしゃべりを第三者が盗み聞きできる機能(飛び入り参加可)、とでも考えれば気にする必要はないのだろうが、どうもラジオのように面白い話をしなくてはいけないという強迫観念が常に付き纏っている気がする。

普段頭の中であれこれ御託を並べて思索に耽っている割に、口を開くと言葉が詰まって出てこないのが不思議だ。うまくコミュニケーションを取るために本も読んできたし、人並みには”初めまして”の出会いもこなしてきたはずなのだが。


最近はよく昔のことを思い出す。藝大受験に失敗して毎日泣いていた7年前のこととか、あまりにも何もできなくて会社に行きたくなかった入社1年目のこととか。そして、もうこの先会うことがないのだと薄々感づいてしまっている人たちとの面白かった会話だとか。他人に興味がなくて自分が作る箱庭が一番心地いいくせに、存外自分は他人のことをよく覚えているし気にかけているのだと思う。やっぱり人間は一人で生きていけないようにプログラムされているらしい。

すぐに脳裏に浮かぶのは、寂しいとか悲しいだとか辛いだとか負の感情に繋がるような記憶ばかりなのは自分だけだろうか。本当は悲しい出来事の裏で多くの人の善意に助けてもらったはずなのに、悲劇のヒロインとして振る舞ってしまう。


人から貰った宝物みたいな、大切にしたいと思っていた言葉は、どんどん上書きされて消えてしまうと気付いたから、今年はきちんと文字に残して忘れないようにしようと思う。あと、そろそろ藝大受験の話の続きを書こうと思う。

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