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#10 父と病院と財務会計

2021年10月末。父の手術が無事に終わり、翌日、翌々日は母が、その翌日に私が会いに行った。
父の顔はまだ腫れていて、体じゅうたくさんの管で繋がれていたけれど、ヨタヨタと自分で歩けるくらいまで回復していた。

ここからが大変だった。

父は、真面目で少し神経質な性格だったから、以前にも心療内科へ通うことがあったけれど、今回もメンタルにかなり大きなダメージを負っていた。
体は動いても、声は出せない。それがどれほどのストレスだろうか。
1週間は鼻から栄養を入れる。のどを切っているため、口でごはんを食べられるようになるまで時間がかかった。
メンタルにダメージを負った父は、極度に不安症になり、どんな些細なことも心配するようになった。家族や看護師さんから
「そんなに心配しなくても大丈夫やで」
と言われても、気持ちのぶつけようがなく、会話用に手に持っていたメモとペンを投げ、ベッドに頭を埋める仕草をすることもあった。
そんな、幼児のように取り乱した父の姿を見た私はショックだった。
バリバリ仕事をして、聞けばなんでも答えてくれる威厳のある父が、まるで子供のように駄々をこねていた。

母は、長年専業主婦をしていて、家事は見事にこなすけれど、難しい話は苦手だった。そんなわけで、主治医との面談、担当看護師との面談、介護士との面談、、、大切な話がある時は、全部私が呼ばれることになり、何かあるとまず電話がかかってくる。
それと、父は会社を経営していたので、その後処理をするため、銀行や事務所を行き来し、会計士さんとのやり取りなど、かなり振り回された。

そんな中、学校では財務会計の授業が始まった。

自分自身、個人事業を営んでいるけれど、経理が苦手で創業当初から会計事務所のお世話になっていた。帳簿も、おこづかい帳程度にしかつけられない。
しかし、学校の授業はすごいスピードで進んで行く。仕訳の話など、最初の授業で少し触れる程度で、その後は知っている前提でどんどん話が進んでいった。1つつまずくと、すぐに置いていかれる。

この頃の私はかなりしんどかった。慣れない病院や父の会社の話に加えて、苦手な財務会計の授業。正直、全然ついていけなかった。もう受験も辞めてしまおうか。とも何度も考えたけど、「絶対合格したい」と思っていたので、授業だけは、とりあえずどんなことがあっても必ず出席した。ここで、「1回くらい」と休んでしまうと、「もういいや」ってなってしまいそうで怖かったからだ。

時々、父の気を紛らすために、学校で習ったことを父に、「経営者ならわかるはず!」と言ってLINEで問題を出してみたり、今日は何を食べたかを写真で送りあったりした。
病院であったこと、看護師さんと話したことなど、父も報告してくれた。
以前は、こんな風に父と話すこともなかったし、LINEをしたこともなかった。父がこんなにお喋りだったことに、喋れなくなってから気づくなんて。

そうして、流動食が終わると、少しずつ父の食事も固形物になっていった。
「早く、母さんの料理が食べたい」
そんな可愛い本音も言ってくれるようになった。

固形物が食べれるようになって、自分で気管のメンテナンスができるようになると退院できる。本来はまだ看護が必要な状態ではあるけれど、訪問看護で様子がみれるまで回復すると、退院するということらしく、手術から1ヶ月で父は家に帰ることができた。

「やっぱり、母さんの料理はおいしい」

と言って、父から母の作った料理写真が届いた。
「おいしい」と言ったって、鼻で息ができないのだから、匂いもわからず、味も感じにくいはずなのに。きっと、嬉しいんだろうな、と思った。

そういう、前向きなメッセージを見ると、私も嬉しくなって、勉強頑張るぞ!って思えるのだけれど、実際のところ、財務会計の養成答練(科目の終わりに受けるテスト)では、案の定ボロボロだった。
先生は、「習うより慣れろ」の精神で「毎日財務」を心がけるように。と言っていたけれど、次の科目が始まるとまたそれが大変で、財務を放置してしまうことになる。。。


デザインだけやってきたオバさんが一念発起して資格取得を目指した自分史を投稿しています。#01から順番に読んでいただけると嬉しいです☺️
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ビリオバ


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