クリエイター27日目 本を巡る事情つづき

神田の古書店に、持っていたほとんどの本を送って、蔵書台帳、蔵書印、出版社名印判、カードなどもすべて処分した。だから、今現在私の手元にいる残り少ない本は、住民票をなくしたような、無国籍者になったような心細い思いでいるかもしれない。その本たちには終活について詳しく説明して、理解を求める必要がありそうだ。

紙の本とは別に、うちに新しくやってきたのがいわゆる電子書籍だ。電子書籍端末、うちのはAmazonのkindle paper white、の中にある。paper whiteでは読めないマンガや図鑑、料理本などは kindle fireというタブレットにはいっている。今、何冊入っているのか、つまり端末にダウンロードしてあるのかすぐにはわからない。もちろん、Amazonの「コンテンツの管理」を見るか、端末に作ってあるコレクションで合計すれば数はつかめる。どちらにしても、以前の紙の本の時に感じた、本棚の混み具合やその辺に積み重ねた様子から受ける数量感は端末にはない。「本を持っている感」もあまりない。読めることは読めるのだが。読めさえすればそれでよさそうだが、何十年も紙の本に親しんできたものにとってはそういうものでもない。と、ここでずるずると電子書籍への不満を並べ立てそうになるので自主規制をかけてストップ。終活の一端ということで紙の本から電子書籍に切り替えたのだから、kindleたちとはよい関係を作っていきたい。

電子書籍の便利さを痛感したのは、夜の遅い時間に本をダウンロードしたときだった。ある本を読んでいて、その中で言及されている別の本を読んでみたくなることがあるが、この時もそうだった。それは洋書だったので、すぐにkindle洋書をあたる。(和書の場合はまず地元の図書館のサイトに行き収蔵されているかをチェックする)  その本はすぐに見つかり価格も手ごろなのですぐにダウンロード。この間、5分もかからない。昔は、洋書を手にするのに今では考えられないほどの時間がかかったというのに。

年に数回、本屋巡りの日をもうけて上京し、大型書店、洋書店、そして神田の古書店を一日かけて見て回った。それが楽しみだったのだが。ただ、どの書店にしても並べられているものを物色するだけでお取り寄せの注文などはしなかった。そういう仕組みがなかったからではなく、引き取りのために上京するのが億劫だったからだ。だから読みたいと思った洋書などを実際に読めるかどうかは半分運任せのようだった。

そのうち、いつの頃からか、どういう経緯からかも覚えていないのだが、アメリカとイギリスから本を送ってもらうようになっていた。定期的にカタログが送られてきて、それを見て注文するのだ。イギリスの方はカタログにない本でも注文を受け付けてくれた。これでもって、読みたい本はかなりの確率で手にすることができるようになったわけだ。それでも、送料が高いため船便を使うので、頼んだ本が届くのは二ヶ月近くかかったように覚えている。当時このようにしてうちにやってきた本のうちの一部が、今現在も「積ん読」になっているが。

電子書籍時代 (私の中では) になって、ネット環境さえOKなら、何時でも何処でもたちまちのうちに本が手に入るようになった。外出先であろうと真夜中であろうと関係ないのだ。紙の本の形で神田へ行った本のなかには、電子書籍としてまた戻ってきたのもある。何度も繰り返し読みたい本たちだ。ただ、すべての本が電子書籍化しているわけではないので、図書館からも繰り返し借りる本がある。ここで、個人的に紙の本を電子書籍化する方法があるらしいことをチラリ聞いたことを思い出したが本当だろうか。私にできるかどうかが問題だが、一度調べてみよう。終活中だというのに、次々とやることを増やしている感がある。


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