クリエイター47日目クイズタイムショックで覚えていること

またもや昔話。これも終活の一部だ。脳の、あるいは記憶の断捨離というか。「断捨離」というのは「不要なものを断ち、捨て、執着から離れることを目指す整理法」らしいから、長年頭の片隅にあって気になっていたことをnote に書くことで整理してしまいたい。

現在でも同じようなテレビ番組があるようだが、私がここで言いたいのは昔、田宮二郎氏が司会をしていた1960、70年代のクイズ番組「クイズタイムショック」で見た非常に印象に残った一シーンについてだ。今は俳優やお笑いの方(お笑いという言い方もあまり使われていなかったのでは) がクイズ番組の司会をするのは当たり前になっているが、往時は映画スターが司会をすること自体、新鮮で珍しいこととして受け止められていた。今、「映画スター」という言葉を使ったが、映画で主役をやるような人は特別視されていて、それこそ雲の上の存在だったからだ。映画の大スターは決してテレビドラマなどには出演しなかった。テレビの普及に伴って映画館に行く人が減っていき映画産業が衰退していくうち、一人、また一人と「銀幕の大スター」がテレビドラマに顔を出すようになり、私たち視聴者は、映画スターを茶の間で見られることをとてもありがたいような、得がたいもののように受け止めていたような気がする。

「クイズタイムショック」は10問のクイズに連続して正解すると100万円獲得できるが、途中で不正解だと座っている椅子が不規則に動き出して挑戦終了となる。おおらかだったあの頃、この100万円を手にする人はめったにいなかったように覚えている。ところがある回で、一人の女の人が順調に正解を答え続け、いよいよ10問目の問題を出された。それほど難しい問題ではなく、私にも答えはわかった。この女の人100万円もらえる、すごい、よかったね、とテレビを見ているほとんどの人が思っていたと思う。それが、そうはならなかったのだ。「答えはわかっておりますが、私の口からは申せません」と、その人は言った。時間切れになり、椅子は無情にもガタガタ動き出す。「ふんどし」が答えだったのだ。

「ふんどし」は、女性が人前で口にするのがはばかれる言葉だったのだ。育ちのよい女性が、としておこうか。あの「クイズタイムショック」の100万円を逃した女の人は、いかにも育ちがよさそうだったし。あるいは「ふんどし」と口にしなかったことで、育ちがよさそうとなったのかもしれないが。100万円を捨てても女性としてのたしなみを貫いた人、ということで、半世紀近くたった今でもこうして記憶に残っているあの人は偉い。フェミニズムだのジェンダーだのの面から言ったら、話はいくらでも広がりそうだが、あれはあの女の人が自身で選び取った行為で、あの方の心意気を示すものとして尊重したい、と思ってきた。

ちなみに、タモリ氏がまだメジャーでなかった頃、「クイズタイムショック」にデビューしたばかりの新人コメディアンの一員として出たのも覚えている。「お笑い芸人」というくくりはほとんど耳にすることがなく、面白いことを言ったりしたしたりする人たちは「コメディアン」と言われていた。「早稲田の哲学科を中退した・・・」と田宮二郎氏が紹介していた。タモリ氏がアイパッチをつけてた頃の遠い昔のことだ。

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