クリエイター50日目 切りがいいところでしばらく休もう

ひょんな事から走りだしたクリエイター生活。連続50日投稿してきたが、この辺で「連続」は中断だ。投稿するたびに「連続投稿すてき」だの何だのと褒められるものだから、ここまでやってきた。もともと終活の一端としてnoteを利用させてもらおうと始めたことだったのだから連続にこだわる意味などないはずなのに、いつのまにか続けなければいけないような気持ちになっていた。そして、このまま「連続」し続けていって、万が一の事態が勃発したとき(四捨五入すると100歳の高齢者と同居しているので救急車、警察、葬祭業者などとのかかわりが否応なく頭の隅にある) 連続を断つのはくやしいだろうと余計なことまで心配していた。新聞社は高齢の著名人の追悼記事を生前から用意してあるようなことを聞いたことがあるが、note連続のためにそんなことまではしたくないが、などと。

そこで頭を切り替えて、今のうちに、つまり連続を続けようと思うならできるときに断ってしまうことにした。そのとき考えたのは「クリエイター○○日目」というのをどうするかということだ。50日目からだいぶ経ってから投稿するのに51日目ではまずいだろうと。いろいろ考えた末に決めたのは「クリエイター投稿51回目」というもの。これなら、回と回の間の離れ具合はどうでもいいことになる。

紙のノートに書いたものは後始末がやっかいということでnoteに書かせてもらい、保管場所として使わせてもらっている形なのだが、私の書いたものを読んでいる人がいる、というのは何とも面はゆい気持ちだ。「スキ」というのももらった。それも、若い方らしいとわかると不思議な気分になる。ただ道を歩いていてすれ違う若い人と思いを共有することなど、まずあり得ないことだからうれしい経験だった。残念なことだが、若い人に限らず誰かと思いを共有したり、誰かの心に触れるなどということはそう頻繁には起こらないことだろう。銀行の貸金庫に保管してある私の日記をよその人が読んでいるのを喜んでいるようで、どこかおかしい気もするが。

「つくる、つながる・・・」のnoteのおかげで終活中の古希女子は思ってもいなかった貴重な経験をさせてもらったわけだ。ここ日本語では過去形だが、英語では現在完了進行形を使いたいところ。「つくる」というところは?だが、紙のノートに書いていてはありえない「つながる」もまたいいものだと改めて認識できたのだから、51回目以降はこの「つながる」も意識して書くのもいいかと考えている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?