クリエイター投稿56回目 襟なし、エプロンワーカーの時代

20年以上も前に出版されたものだが、山根一真著「メタルカラーの時代」は読み始めたらやめられないほど面白い。図書館で借りた単行本の二巻目を読み終えたところ。写真や図版は紙の本の方が見やすいので、後に続く数冊の単行本も図書館から借りるとして、時々読み返すときのためにkindle版も全巻ダウンロードしておこう。

なにがそれほど面白いのかというと、メタルカラーの男たち(理由はわからないが今までのところ女は一人も登場していない) の物作りにかける熱い思い、大きなプロジェクトへの私心のない取り組みが事細かに描かれているところか。読んでいるうちにぐいぐい引き込まれてしまう。

内容をほとんど十分には理解していないままに一部を引用することになるが、「今や私たちの生活は、半導体集積回路(IC)なしには成り立たない」らしい。そして、「ICが正常に機能しているかどうかを正確精密に検査することもきわめて大変」だという。そのために必要な「検査道具」が「東京北区の小さな町工場」で作っている「コンタクトプローブ(=接触探針)」。

これがものすごく細かい物で、

「私がつくりました。管の直径は0.2ミリですが、工作精度はプラスマイナス1000分の2~1000分の3ミリ以内。出入りする棒の先端部分は半径0.065ミリの半球状に削ってありまして、その誤差は1000分の1.5ミリ以内にしましたし。あと・・・・・。」

こういうものを何年もかけて開発するのだ。しかも、この清田茂男氏は何でも「つくっちゃう」方で、「超LSIのベースになるシリコン結晶(ウェハー) の品質を検査するための、テスターの針をつくる製造装置」、「走査型トンネル顕微鏡の走査針」などもつくっている。

1995年1月17日の大地震の後には、復興を目指して幾多のメタルカラーたちが動いた。震災当日、被害状況確認のためキャット・ウォーク(陸地から主塔頂上に張り渡してあるケーブル脇の作業用の足場通路。眼下200~300メートルは海面) を歩いた明石海峡大橋構築に当たっていた現場の担当者、大地震と停電により緊急停止した1300度の高炉を4月2日には火入れ式を行えるまでに蘇らせた神戸製鋼所の男たち。やっと700度くらいになった高炉の中に入って「掃除」した人までいた! クーラーつきのパワーショベルカーを操作するとはいえ「ひと皮むけば千何百°Cの地獄の山の上」での作業だ。

何ともはや、こういう仕事をしている人達が大勢いるのだ。こういう人達の働きによって私たちの生活が成り立っているとさえ言える。終活中の古希女子にはとてもまねできないことだ。しかし、せめて心意気だけでもあやかりたいと、日々の家事への取り組みを見直すことにした。

はっきり言って、毎日の家事というのは繰り返しが多く、シーシュポスの神話のように感じられるところもある。例の、巨大な岩を山頂まで運んでも落ちてくるのでまた運ぶというやつですね。洗って、干して、たたんで、今日の洗濯は終わった。明日になるとまた、洗って、干して、たたんで、と、明日の洗濯をやる。掃除も同じ。今日の汚れは取れても、また明日の汚れが待っている。食事の支度にしてもそう。たとえ何時間かけて用意した食事も、あっという間に食べてしまうことがある。あっけないものだ。

シーシュポス神話モードからメタルカラーモードに切り替えると家事の見方も一変する。私はプロジェクトリーダーになるから、全作業工程を組み立て、メンバーや作業員(洗濯機や掃除機などの道具、料理の場合は各種食材など) を厳選してそれぞれに任務を割り振る。要は、洗濯というプロジェクトだったら洗濯物の汚れ具合をチェックしてその対応を決め、それによって洗剤の分量を塩梅し洗濯機を回す時間を定めてタイマーをセットする。(全自動の一槽式でなく二槽式の洗濯機を使っている) 家には皮膚病のためワセリン入りの軟膏を使っている家族がいるので、肌着などに付着したワセリンを落とすための工程を加える必要もある。そういえば、この工程を組み立てるまで、つまり効率よくワセリンを落とせるようになるまで、メタルカラーなみにいろいろ工夫したものだ。普通の洗剤ではとても落ちないので,まずはAmazonで専用のワセリン落としを探して手に入れた。すすぎの途中で洗濯物を裏返すと、塊になったワセリンが取れやすいことも見つけた。

思えば、メタルカラー達が黙々とそれぞれの仕事をしているように、一軒一軒の家庭で家事を担当している人達も、個々の家族の事情に合わせてその家仕様の家事のやり方を工夫して、声を上げることもなくこなしているのだ、きっと。家事をやっている人は、ホワイトカラーでもブルーカラーでも、そしてメタルカラーでもない。厳密に言うと、家事は○○カラーがやる仕事としては分類されていない。襟なしの服を着ていることが多いからだろうか。あるいは、家事はホワイトカラーとブルーカラーとメタルカラー全部の仕事をやっているとも考えられるからか。家事をしているときはエプロンをすることもあるので家事をする人をエプロンワーカーと呼ぼう。山根一真氏は、メタルカラーへのインタビューの次にはエプロンワーカー達の声を拾ったらどうだろう。エプロンワーカーの仕事は人が生活するためには欠かせないものだ。各戸に一人ずつエプロンワーカーがいるとして、いったい全国で何人いることになるか。その人達の家事についての蘊蓄や苦労話をきくとなると、山根氏はほかの仕事を全部断らないといけないことになる。けれど、メタルカラー達にも負けないくらい興味深い話がきけるかもしれない。

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