クリエイター49日目 まだまだ知らないことばかり

つい最近、長年思い込んでいたあることが間違いだったと知らされた。

習慣が生まれつきの性質のようになることを指す「習い性となる」という言い方。これをこの歳まで「ならいしょうとなる」と思い込んでいたのだ。正しくは「ならい、せいとなる」なのだとニュースの解説をする若いアナウンサーに教えられた。慌てて電子辞書に当たると、なるほど「習い、性となる」と区切る、「ならいしょう、となる」「ならいせい、となる」とは読まない、と付記されていた。この付記があるということは、「ならいしょうとなる」と読んでいる人が私を含めてかなりいるということだと思う。

習慣(習い)が、ついにはその人の生まれつきの性質(性)のようになる、という意味を考えれば、「ならいしょう」ではどうしてもおかしいとわかるはずだった。「習い性」では、心配ばかりする人を「心配性」というように、習い事ばかりしているような人を表すことになるのだから。勉強することが習慣になり、学校を出てからもあれこれの資格や外国語などに手を出して学習し続けているような人だ。これはこれで面白い表現になるかもしれないが、「習い、性となる」の本来の内容を表すことはもちろんできない。

漢文の素養がまるでないためこんなことになっていたのだと深く反省。事のついでに「綺羅星」についてもはっきりさせようと電子大辞林を取り出す。「きらぼし」として理解していたのだが、一度「きら、ほし・・・」というのを聞いて気になってはいたのだ。

「綺羅」も「綺羅星」もそれぞれ項目があった。「綺羅星」には、次のように書かれている。

「綺羅、星の如し」からできた語。キラキラと光り輝く無数の星。地位の高い人や明るいものが多く並ぶようすのたとえ。

ということは、「きら、ほし・・・」と区切るのが本来の姿だが「きらぼし」としても辞書的には問題ないということか。漢籍の専門家たちが本来の形で通そうとしても、一般人の勘違いが大勢を占めて、「綺羅星」は一人前の顔をして辞書の1項目を確保するまでになったのかもしれない。

以前、未曽有を「みぞゆう」とか読んでとやかく言われた大臣がおられたが、私も人のことを言える立場ではなかったと実感。正しいと思い込んでいるだけで、実際は間違って覚えていることがあるのだ。漢字の読み方、英語の発音などを自己流で覚えていたとしても、これといった問題もなくここまでやってきた古希女子。大臣のような立場にはいないので、間違いを取り上げられることもなかった。ただ、やはり正しいことは知りたいので、今まで避けてきた漢文方面の本も読むべきだろうかと考えている。

私自身のことではないが、言葉に関する思い違いで面白い話がある。   「シャボン玉飛んだ  屋根まで飛んだ」というの童謡の詞がある。これを、ある友人は「シャボン玉と同じように、屋根も飛んで行ってしまった」ということだと思っているのだという。なるほど、そうもとれます。何歳になっても、蒙を啓かれるということに終点はなさそうだ。




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