クリエイター44日目 昔のシンクロニシティの記録から

シンクロニシティを書き留めていた小さなノートが二冊見つかった。日付も記されていて、それによると1985年から2013年までの記録で、ほとんどが本、読書に関連するシンクロニシティだった。どういうきっかけで専用のノートまで用意して記録を取り始めたのかまったく覚えていないが、おそらく河合隼雄先生か、ユングの本の影響だろう。そう言えば、河合先生に明惠上人の「夢記」を教えられ、夢を記録していたこともあったが、ここでは余計な話だ。

1ページ目の1985年10月24日には次のように書かれている。

「開口閉口」の解説・・・・・・・開高 健はなぜ富士正晴が主催する同人に入らなかったか・・・。この本を読み終えて、読みかけの「文章作法」のしおりのところを開いた。富士正晴のところだった。

開高 健著「開口閉口」も、著者不明の「文章作法」も神田へ追いやってしまったため詳細はさっぱりわからないが、続けて読んだ本のどちらも富士正晴氏について触れていたということらしい。「開口閉口」の解説を誰が書き、開高氏がどうして富士正晴氏の同人誌に加わらなかったのか、「文章作法」の著者は誰なのか、そういうことはシンクロニシティ・コレクターにとってはどうでもいいことらしく、二冊の本が私を通して結ばれることになる「富士正晴」だけに焦点を当てている。

このように、続けて読んだ本、あるいは同じ日に読んだ別々の本に同じ事が書かれていたということが頻繁にあったようだ。

1988年1月19日、通勤電車の中でボブ・グリーン「チーズバーガー」を読んでいて「ジョニー・アップルシードの本名はジョン・チャップマンという」というくだりに遭遇。同じ日の昼休みにTIME 1月11日号最終ページで「ジョン・チャップマンはジョニー・アップルシードの本名だ」に出くわしている。

こういう偶然は本と本だけでなく、テレビ番組と本にもあった。

1986年2月9日、夫君をなくされたばかりの長岡輝子氏がテレビで「どうしてこんな目に・・・。けれど、神は耐えられない試練を与えるわけはないと思った。」と言っておられるのを聞いた。その日の夜開いた聖書、(毎晩聖書を読む習慣があったので) まさにコリント人への第一の手紙で、10章13節にはこうあった。「神は真実である。あなたがたを耐えられないような試練に会わせることはないばかりか試練と同時にそれに耐えられるように、のがれる道を備えてくださるのである。」

2400年8月11日の記録によると、平岩弓枝著「御宿かわせみ」をしばらく読んだあとで見たテレビドラマに「神林 某」という人物が登場し、スタッフには「麻生 某」がいた、とある。一人ならず二人も名前が共通していたというので記録していたと思われる。

本に関しては、見つけようとしていたものにいきなり出くわした、という経験が何度か記録されている。

2012年3月18日、「シュタイナー教育」を読んでいる途中、コメ二ウスを当たってみようと「広辞苑」を開いた。開いたそのページにちょうどコメ二ウスが出ていた。

こういう偶然の一致にどれほどの意味があるものなのか、あるいは意味などないものなのか全くわからない。シンクロニシティがあると言えるだけだ。このシンクロニシティを記録したノートに、シンクロニシティ以外の記述が一つだけあったが、それは次のようなものだ。

ついでにこの本(井上ひさし著「本の枕草子」) のP76 「 ・・・の固有名詞を脳みそに刻みつけました。そうするとふしぎなもので、向こうからひとりでにこの二つの固有名詞についての情報がとびこんできます。」

これは1988年7月9日に書いたものだ。井上ひさし氏のこの文言を読んで何か思うところがあったのだろう。「ついでに」としてあるところからみてもシンクロニシティに関連したことで。想像するに、「脳みそに刻みつけ」、ある言葉や事柄に敏感になっていると、それに出会ったとき感知しやすくなると私は思ったのではないか。上に挙げたいくつかの例も、意識していなければ見過ごしてしまっているものがほとんどだ。無意識のうちにアンテナを張り巡らせていたことでシンクロニシティとして結びつけたのだろう。

物知りお節介のGoogleが勢力を拡大している現代では、上に挙げたような本に関してのシンクロニシティはそうは起こらないかもしれない。少なくとも、何かを調べようと開いた辞書のそのページにちょうどそれが書いてあった、というようなことは。辞書を引くより先にスマホを取り出すからだ。けれど、スマホやPCに関わる新しい形のシンクロニシティがあるかもしれない。

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