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旧日光街道ウォーク⑪ 野木宿→間々田宿

こんにちは、ばーどです。

2024年2月28日(水)。
終点日光がある、栃木県に入りました。といっても全行程のまだ半分。



1.とろ屋

栃木県のご当地 佐野ラーメン
今日の昼食
石屋さんにあった、日光の三猿

一気に「栃木」色が強くなった気がする・・・。

街道は国道4号をひたすら辿る
地鶏中華そば 阿波家(定休日)
立派な長屋と剪定美
野木町松原 ここも松並木だったのだろう

国道の表示に「福島」が出現しました。

東京から66.6km
渡良瀬遊水地まで2km

渡良瀬川と利根川の合流地手前に設けられ、洪水防止や治水のためとともに、足尾銅山から流出した水の鉱毒対策の目的もあったようです。
それでも現在は、ラムサール条約登録など、水鳥の集まる湿地として注目されていることは、自然との共存が増え、よい傾向です。

国道の「おむすび」が、白色化している
栗の木の枝を間引いている
観音堂 隣は自治会集会所

野木町の友沼地区。
江戸時代は筑波山や日光連山を望む景勝地だったようで、寺社や立場茶屋があり、交差点の角には、今も一部でその名残があります。

西側 真言宗法音寺
仁王像 ガラスケースの中
東側 八幡神社の本殿とケヤキの木
八幡神社 正面から
北側 かつての立場「とろ屋」跡

とろろ汁が有名で、芭蕉も「おくのほそ道」で立ち寄り味わっている。

南側 現代の茶屋であるコンビニ

コンビニで買ったお茶を、八幡神社の境内でいただき、しばし休憩。

もつ煮屋 貫太郎

2.乙女

小山市に入る
小山市コミュニティーバス バス停

小山市のコミュニティーバス、おーバス。
さきほど野木町でも走っているのを見ましたが、路線図を見ると、思川を挟んだ(小山市の)対岸地区を結ぶ路線が、橋のある場所まで大回りしていたようで、野木町内にはバス停はありませんでした。

乙女の一里塚 江戸から十八里め
のどかな風景が広がる
若宮八幡宮
光南病院 おーバスが待機中
十九夜塔 如意輪観音
東京から70㎞
佛光寺
迫力ある仁王石像 オープンエア
乙女八幡宮入口

小山市乙女。すてきな地名。
由来については諸説あり、
・元は「御止め」だったが、転じて、音女→乙女に。
・思川の崖線の淵に位置し、崖を意味する「オト」+境目を意味する「メ」。

乙女八幡宮への参道
乙女歩道橋
乙女幼稚園

近くには、乙女小学校・乙女中学校もあります。履歴書に書いたら、何となく目を引きますね。

車屋美術館

小山市立車屋美術館。
思川の舟運で財を成した小川家の邸宅のうち、主屋・土蔵・肥料蔵などが、美術館として開放されています。当時の繁栄を伝えるとともに、近代和風住宅としての価値も高く、に国の登録有形文化財に登録されました。

小川家住宅
肥料蔵

建造物や歴史的遺産の保存展示だけでなく、蔵のスペースや庭園を利用してさまざまなアート情報を発信しているようです。
過去と現代をつなぐ活動に、地域で取り組むことは、素晴らしいですね。

ウエルシア薬局 <東京都千代田区>

イオングループの調剤薬局チェーン。
全国展開しているが、日光街道沿いで割と見かけるので、調べてみました。
今の企業になるまで買収や統合を繰り広げてますが、2000年代に埼玉県春日部市と坂戸市の2つの薬局が統合したことが源流のようです。

逢(間)の榎 石碑
説明板

逢(間)の榎。
江戸から十八里、日光から十八里。中間地点の榎の木だから「間の榎」。
それが転じていつしか、「逢い」や「愛」につながり、願いをかける男女が訪れるようになったとか。
いつの世にも、こういう話はあるんですね。

琴平神社

舟の守り神で知られる「こんぴらさん」、海なし県の栃木にあるのは、思川の舟運の安全祈願からのようです。

さやま酒店 内部は古い商家づくりのよう
間々田ひも 看板
間々田ひも 店

大正時代から続く、組みひものブランド。
宮内庁の献上品として、またローマ教皇にも献上されるなど、上品な色合いと質の良さが評価されているそうです。

和菓子 乙女屋

3.<第十一番>間々田宿 

間々田宿の江戸口は、はっきり残されておらず、宿場町に入った実感がなかなか感じられないのが、ちょっと残念。

足利銀行 県内企業のメインバンク率1位
足利小山信用金庫 同第4位(信金でトップ)
間々田宿問屋場跡 現在は駐車場
間々田宿本陣跡 15:40 ここも駐車場
宿場町の風景
間々田八幡宮への入口
間々田八幡宮の参道
説明書(このあと立ち寄りました)
間々田宿の日光口はこのあたり
日光口付近 左側に浄光院
日光口付近 右側に行泉寺

街道を外れて、間々田八幡宮に参拝に向かいます。

慈光堂 住宅地の一角にある六角堂
頼朝お手植えの松
間々田八幡宮 本殿

1300年前、藤原秀郷がこの地で戦勝祈願して、その後に平将門の乱を平定。
この地に御礼として「ご神田」を奉納して以来、飯田(ままんだ)と呼ばれたことが、間々田の地名の由来と言われています。

八幡宮の周囲は公園として整備されてる
春は桜の名所

小春日和だった天気も、日が傾いて肌寒くなってきました。
今日は予定通り、次の小山宿まで歩くことにします。

野木宿→間々田宿
 距離 7.4km
 所要 1時間40分(休憩除く)


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