旧日光街道ウォーク⑮ 小金井宿→石橋宿
こんにちは、ばーどです。
2024年3月16日(土)。
この区間の旧道は、市役所を貫通したり、「道なき道」だったりと、なかなか興味深かったです。
1.下野市役所
中央線沿線に長く住む自分は、小金井と言えば武蔵小金井のイメージ。
東北本線の小金井は知ってましたが、まだなんとなく違和感ありです(失礼ながら)。
さいたま市に住むある友人は、「小金井は、寝過ごして何度か行ったことがある」と、ここがお馴染みの地のようでした。
足利尊氏の古文書が所蔵され、また将軍家の日光社参時は宇都宮藩主がここまで出迎えに来たという、かなり格式のある寺なのだそうです。
国道や県道を辿る区間が多いので、久々の未舗装道路にワクワクします。
街道をさえぎるように建つのは、下野(しもつけ)市役所です。
2006年、いわゆる「平成の大合併」のひとつとして、南河内町・国分寺町・石橋町が合併して誕生した下野市。旧3町に分かれていた庁舎を2016年に1ヵ所にまとめ、この地に誕生しました。
この日は土曜日で閉館しており、残念ながら中には入れません。市庁舎の西側を回り込み、反対側(北側)に出ます。
なぜ旧街道の真上に市庁舎を建てたか。話題作りというのもあったでしょうか? 街道を模して、例えば床面が石畳風のタイルとかだと面白いのではと思いますが、どうなってるのでしょう?。
旧東海道ウォーク(2022)では、相模鉄道の天王町駅(高架下)の切符自販機と自動改札の間を東海道の旧道が通り抜けてました。また、中山道の熊谷宿は八木橋百貨店を旧道が貫通しているそうです。
2.笹原旧道
地域医療拡充を目指し1972年開校。近年の医師国家試験合格率は連続1位。
1983年には東北本線に自治医大前駅も開業。駅設置は、大学の要望よりも、周辺の宅地開発がきっかけとか。ただ、駅を挟んだ旧国分寺町と旧南河内町がそれぞれの地名を駅名に推して決まらず、最終的に大学名で決着し、図らずも知名度アップに。さらに、揉めた2つの町は20数年後には合併しているというオチも。
市役所を過ぎて約1kmは、国道に沿って100mほど西側を一直線に伸びる道。
笹原旧道と呼ばれる区間です。
左右に農地や広がる見通しのよい道ですが、江戸時代の記録には「街道の左右に樹木茂りて、日影はいうに及ばず、雨も漏らさぬ」とあります。
舗装道がT字路にぶつかりますが、その先も未舗装の道が続いてます。
赤道(あかみち)とは、「元は道だったが、道路法上では道とされていない土地(国有地)」だそうで、正式には「里道(りどう)」だが、公図上では赤く知ることになっているので、この名前で呼ばれるそうです。
いわば「道ではない道」ですが、ここの道は整備されて(おそらく一里塚保存会の方々のおかげ)けもの道ではなく、通行禁止とは書かれていないので、自己責任の下で進むことにしました。
雑木林に隠れるように、下石橋の一里塚が残されていました。
西塚のみですが、ひっそりと、そして堂々とした姿はを見ることができ、保存会の皆様のご苦労に感謝です。
保存や復元されたている一里塚は、その多くがひらけた場所にありました。このような森の中だと、盛塚がないとどれかわからないですね。
この一里塚、消滅したと思われていたところ、近年の調査で確認されたそうです。「赤道」が正式な道だったら、早く発見されていたかもしれません。一方で、隠されてたからこそ当時の姿が残されていたとも言えます。
少し引き返し、右に向かう舗装道で、国道に出ました。
3.丸大食品
巨大な仏像が出迎えるこの施設。
何かの宗教団体かと思いましたが、丸大食品の関東工場でした。
丸大食品観音菩薩。
食品となり人間の生を支える動物への感謝を、感じずにはいられません。
ただ、工場の斜め向かいには、とんかつ屋さんが・・・。
那須塩原は、市町村合併で生まれた市なので、自治体名と新しい役所までの距離を貼りなおしたのでしょう。
宇都宮と福島の距離は、バイパスが出来て距離が変わったのか。
上三川街道は、さきほど越えた国道352号線のことだと思われます。
4.<第十五番>石橋宿
石橋愛宕神社の参道入口が、石橋宿の江戸口とされています。
旧石橋町は、ドイツのシュタインブリュッケン村と姉妹都市。その由来が、ドイツ語で「シュタイン=石」「ブリュッケン=橋」だからだとか。
この村は、グリム兄弟の故郷に近いため、グリム童話にちなんだものがあちこちに。
江戸時代の旧街道と、メルヘンチックな街道が、クロスするような町でした。
次は、雀宮宿に向かいます。
小金井宿→石橋宿
距離 7.2km
所要 1時間40分(休憩除く)
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