見出し画像

旧東海道ウォーク㊳ 藤川宿→岡崎宿

2023年5月26日(金)。
家康公のふるさとの岡崎宿。「二十七曲がり」は、ぐるぐる迷路でした。

1.藤川の松並木
2.乙川
3.大平の一里塚
4.<第三十八番>岡崎宿
5.岡崎二十七曲り
6.八丁味噌蔵


1.藤川の松並木

藤川宿の西見附を過ぎると、すぐに十王堂と一里塚跡があります。

十王堂 これまでで最も立派な造り
隣には、芭蕉の句碑がある
すぐ先に藤川の一里塚跡 江戸から七十九里目
この辺りから、藤川の松並木
藤川小学校の卒業記念植樹
藤川の松並木 説明板
三河湾に向かう県道は、左に
旧東海道は、右方向へ直進
名鉄名古屋本線の踏切
踏切を越えると、本格的な松並木
苔と松のコントラスト
国道1号に合流

2.乙川

阿弥陀寺
国道1号を1kmほど進み、左の側道へ入る
時刻は13:05 今日の昼食会場はここ
海老チリ炒飯セット 美味!
道が狭くなった
黄色い畑
よく見ると、麦のようだ
小学校の水田 田植え体験が無事終わった模様
山綱川を渡る
乙川にぶつかり、いったん右へ迂回
かつてはここに大平橋が架けられていた
迂回して、国道1号を左折
現在の大平橋で、乙川を渡る
河川敷には、馬が草を食んでいる
乙川の流れはゆるやか
橋を渡り、左折
旧東海道に合流、いったん左に折れて川に
対岸から見た、乙川の太平橋跡
河の近くの、水神社
旧道を、本来のルートに戻って西へ
国道1号を、今度は横断
バイクで有名なレッドバロンは、ここ岡崎
薬師寺の横を過ぎる
歴史を感じさせる歯科医院 現役だろうか?
住宅街を進む

3.大平の一里塚

大平の一里塚 江戸から八十里目

大平の一里塚は、北塚は道路拡張で無くなってしまったが、南塚は今でも原型を残しています。昭和20年代に台風で倒れた木も、その後植えられた二代目が堂々とした姿を見せています。
実はこの次、江戸から八十一里めと八十二里めの一里塚は、その痕跡はおろか正確な場所もわかっていないそうです。
一里塚は、当時の旅人にとってのオアシスでもあり、また次の宿場までの目印としても、貴重なものだったことでしょう。

北塚の跡地には、常夜灯が建つ
国道1号に合流し、右折
東名高速岡崎インターを、斜め右に迂回
このようなルートをとることになる
高速のインターにはよくある施設
手作りの旧東海道案内
インターを抜け、再び国道1号を右へ
旧街道は、正面の松並木の中を進む
GSの裏手、国道1号の右の側道を進む
東海道標識と名残り松
側道は、そのまま国道1号から離れて進む
道なりに右へ

旧東海道は国道1号から離れて、岡崎の市街地に向かいます。


4.<第三十八番>岡崎宿

岡崎宿には、有名な「二十七曲がり」があります。
諸説ありますが、岡崎城下の防衛のためと、旅人を街中に引き込んで滞留時間を延ばして経済効果を得るため、というのが主な理由のようです。

江戸からここまでの間にも、「掛川宿七曲がり」の他に沼津宿や府中(静岡)宿や吉田(豊橋)宿も、同様の構造でしたが、ここは半端ない規模です。さすが、家康公の生誕地!

これが岡崎宿二十七曲りのルート
冠木門 岡崎宿の江戸(東)口にあたる
冠木門の先、農機販売店の角を、まず右折
150mほど進み、若宮2丁目交差点を左折
二十七曲りを示す標柱 ここが最初の「い」
住宅街の中を西へ進む
650mほど進んだ次の曲がり角 ここを右折
この標柱がなければ、わからなかった
かつての秋葉山常夜灯を、大事に保存していた
100mほど進み、GSを正面に見て左折

国道や県道ではありませんが、岡崎市街を東西に走るバス道路に出ました。
岡崎宿の中心はこのあたりで、本陣跡もこの辺りになります。

東本陣跡は、今はフラワーショップ
15:30に通過
本陣跡を示す案内は、見つけられなかった
創業250年の備前屋本店 銘菓「あわ雪」が有名
あわ雪茶屋の説明書き
永田屋精肉店 こちらも江戸末期の創業
西本陣跡 今はコンビニ
西本陣跡の 角を左折
50m進んで、一つ目の角を右折
明治時代の道標
「京いせみち」は旧東海道を指している
旧岡崎銀行本店 現在は岡崎信用金庫資料館

大正時代に建てられた赤レンガ造りが荘厳です。館内も貨幣や金融に関する資料が展示されているそうですが、今回は外観のみ、先を急ぎます。


5.岡崎二十七曲り

冠木門から岡崎宿に入り、すでに2km近く進みました。

岡崎信金資料館のすぐ先、籠田総門跡がある 

籠田総門は、岡崎城の東側に設けられていた、城下町の東口。
つまり、このこの先は岡崎城下のエリアに入ってきます。

籠田総門跡 碑があるらしいが見つけられず
籠田総門跡を右折し、まっすぐに伸びる鋪道
通りを越え、公園を突き抜け、一直線に伸びる
「天下の道」と名付けられているそうだ
籠田総門の由来の説明と石灯篭
公園を抜けた交差点を、左折
このあたりの町名は、連尺町
連尺町と二十七曲りの説明書き
この角を右折 標柱がなければわからない
細い路地に入る ここも旧東海道
突き当りを左折
そしてすぐ次のこの角を、右折
正面突き当りを、左折
一つ目の角を右折 この辺りが最も複雑
すぐ次の交差点(コンビニの角)を、左折
柿田橋の手前で、左折
川沿いに、次の橋まで南下
右側は、伊賀川
右折して、三清橋を渡る
伊賀川
遠くに岡崎城の天守閣 徳川家康生誕の城
三清橋を渡り、左側の側道に入る
民家の角を左折 案内板がなければ気づかない
「い」から始まって、「わ」まで来た
ここも、旧東海道
国道1号に突き当る ここは右折
国道を渡れないので、歩道橋まで迂回
歩道橋の上から、国道1号の東側を望む
歩道橋から少し戻り、この角を左方向へ折れる
電信柱にも「二十七曲り」の案内
国道から250m進み、この角を右折
南北に走る国道248号を渡り、西へ
交差点にあった、松葉惣門跡の碑

城下の西側の出入り口にあたる松葉総門跡で、岡崎城のエリアをようやく抜けることができました。
岡崎宿二十七曲り、全長約4.5km。地図と標柱を頼りに踏破しました。


6.八丁味噌蔵

岡崎城下から西に八丁(約900m)にある、八丁地区。ここが有名な「八丁味噌」のふるさとです。

愛知環状鉄道の高架下をくぐる
中岡崎駅に立ち寄り、ちょっと休憩
名鉄の岡崎公園前駅と、駅前ロータリーを共有
駅前には、八丁味噌の説明書き

八丁味噌は、米麹などを使わずに大豆のみで作った「豆味噌」として知られ、愛知県民のソウルフード(いわゆる、名古屋めし)には欠かせない味です。
ここ八丁には、「まるや」と「カクキュー」の2社があり、製造する味噌とともに、歴史的な街並みの美しさで、楽しませてくれています。

旧東海道に戻り、西へ進む
まるや八丁味噌 創業は延元二年(1337年)
「や」を丸で囲んだロゴ
左が「まるや」、右が「カクキュー」
まるやの事務所
看板にも、長い歴史と重厚さを感じさせる
こちらはカクキュー 四角と「久」のロゴ
カクキューの事務所 創業1645年
八丁蔵通りは、黒塀が続く落ち着いた街並み
NHKの朝ドラの舞台にもなったらしい
岡崎の地場産業 八丁味噌

この地は、清らかな伏流水が豊富で味噌造りに適していたことや、矢作川の舟運で大豆や塩の運搬が容易だったこと、さらに東海道が通ることで全国に知られる味となったこと、などの要素が、八丁味噌を有名にさせた要因としてあげられるでしょう。

左右の八丁味噌蔵を抜けて通じる、旧東海道
突き当りを左折
左 江戸、右 西京
国道1号へ通じる坂道 迂回して左方向へ
矢作橋で、矢作川を渡る
南側には、名鉄名古屋本線の橋が架かる

時刻は17時を回りましたが、次の池鯉鮒宿の手前まで、もう少し進みます。

藤川宿→岡崎宿
 距離 7.6km
 所要 2時間00分(休憩除く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?