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旧甲州街道ウォーク⑦ 八王子宿→駒木野宿

こんにちは、ばーどです。
2024年6月22日(土)。時刻は16時を回り、傾く西日と、迫る山影と、帰りのバスの時刻との、戦いでした。



1.オオツクバネガシ

国道20号 街道の風景
JR西八王子駅付近 西東京バス
長房団地入口交差点を右折
道標 右高尾山道
一つ目の角を左折 散田の枡形
ヤオコー・マーケットプレイス
街道の風景
板塀と門が残る旧家
再び国道20号に合流
曹洞宗長安寺

1929年、八王子市内の甲州街道上に、武蔵中央電気鉄道という路面電車が開業。並走する中央線や京王線との競争に敗れ、約10年という短命で廃止され、道路上にその遺構はほとんどありません。
長安寺の参道の敷石は、その路面電車の敷設石だそうで、数少ない遺構とも言えます。

八王子並木町郵便局
市の天然記念物 オオツクバネガシの木
説明板

この木の東側に、散田の一里塚があったとされていますが、正確な位置などは不明。日本橋から十二里目。


2.多摩御陵

イチョウ並木
イチョウ並木
多摩御陵参道

多摩御陵は大正天皇、その隣の武蔵野陵は昭和天皇の、陵墓。
昭和初期には多くの参拝客が訪れたため、昭和6年から20年まで、京王電鉄の路線が御陵前まで延長されていました。

右の脇道へ進む
手作り感満載の街道札
旧街道の風景
黒塀の旧家と小川の流れ
高尾街道を越えることができず、左へ迂回
国道20号の横断歩道を渡る
旧道を忠実にたどる
すぐに国道20号に合流
熊野川
熊野神社の樹木

3.高尾

はちバス バス停
JR中央線高尾駅舎

高尾駅は、東京駅・新宿駅方面から中央線快速電車の実質的な終着駅(一部、大月駅方面への直通もある)。
高尾まで来ると、山を感じさせる空気が強くなった、そんな印象です。

浅川上宿交差点

甲州街道には44の宿場町が整備されましたが、それ以前からある宿場や、間の宿(あいのしゅく)だった町が、いくつかあります。
ここもその一つだったと考えられますね。

日本橋から51km
川原宿バス停 ここも宿場だった?

京王バスと神奈川中央バスが、一つのバス停を共用。この先、小仏峠を越えた先は、神奈川県です。
高尾山口行きの系統番号が温泉マーク、いいですね。

両界橋を渡る
橋の下は南浅川
JR中央本線のガード下
西浅川交差点を右折

国道20号線を直進すると、高尾山への玄関口である清滝、さらに大垂水峠を抜けて相模湖方面へ通じています。
高尾山から下山した外国人のグループが、元気よく高尾駅までの道を歩いていきました。彼らも気づかないうちに、街道ウォーカーになってます。

駒木野宿への街道
旧小林病院の母屋と庭園 カフェに変身
高尾駒木野庭園 案内板
お地蔵様
小仏関所番の住居跡 説明板

4.<第十二番>駒木野宿

駒木野宿は戸数70件余りの小さな宿場。1616年に「小仏関所」が小仏宿から移転したのに伴い設けられています。
小仏宿との合宿で、問屋継立業務などは、月の前・後半で分担でした。

旧駒木野橋の撤去に伴い設置された碑
橋の右側は川があるが左側は暗渠に
小仏関跡
小仏関跡 説明板
右の図 木柵で街道を封鎖しているのがわかる
手形石 手形並べて置く
手付石 その前に座り手を付いて許可を待つ
関所跡の裏手は広場
駒木野宿の碑
駒木野宿の風景

宿内には、日本橋から十三里目の「駒木野の一里塚」があったとされますが、残念ながら場所は不明です。

宿場の先、高尾山を貫く圏央自動車道

現在時刻は17:30。
当初、今日はこの先2.7kmの小仏宿まで歩き、小仏始発のバスで高尾駅まで戻る行程でしたが、予定より遅れての到着のため、今日はここまでに。
間もなく小仏からのバスが到着するので、そのまま高尾駅まで向かいます。
(16時台はハイカーの下山に合わせて20分間隔、17時以降は1時間に一本)

駒木野バス停は関所碑の目の前

八王子宿→駒木野宿
 距離 7.6km
 所要 1時間50分(休憩除く)


番外

高尾駅前の居酒屋で、一日(27.6km、約9時間半)の疲れを慰労。

味処 彦西
刺身盛りとビール 最高のひと時

次回は、駒木野宿から小仏峠を越えて神奈川県へ、さらに山梨県へと足を踏み入れます。
週末のスケジュールと体力、それに梅雨空と相談しながら、楽しみにしておきましょう。


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