旧日光街道ウォーク⑯ 石橋宿→雀宮宿
こんにちは、ばーどです。
2024年3月16日(土)。
国道4号を少しも外れることな、ひたすら進む区間でした。
1.星宮神社
石橋宿を抜けて北上。
この日は、気温18度、晴天、ほぼ無風。
春を感じながら歩く、気持ちよい街道ウォーク日和。
関東の郊外でよく見るチェーン店。栃木県は千葉・埼玉に次いで店舗数3位。
国道4号の歩道を歩く単調な区間で、見つけました。
信号待ちの人が民家の塀に触れているように見えたが、近づくと塀に空いた穴。
歩道が狭く、歩行者が通りづらくならないように、民家の敷地をお借りして信号機を建てたが、押ボタンが高い塀の内側なので、こんなふうになったのだろう。
民家の敷地内に建つ信号機は、栃木県に入って何か所か見かけました。
この民家、警察から賃料が入るのかな。
この交差点付近に、下古山の一里塚があったとされていますが、詳細は不明とのこと。江戸から二十四里目。
かみみかわ ではなく、「かみのかわ」。
地図を見ると、上三川町の西端が少しだけ国道4号の西側までのびてました。
この地であった合戦の戦死者の刀の鞘(さや)を集めて、お堂を建てたのが始まりとされています。
高い木立に囲まれて、鳥居とお堂が可愛らしく見えます。
信号機のない角で、東側から延びてきた細い道と交差。
この道は、「日光東往還」とも呼ばれた、結城道です。
水戸街道から分岐し、千葉県柏市辺りから、関宿・境・結城を抜け、ここで日光街道に合流。利根川や鬼怒川流域の平野部を通り、物資の輸送や参勤交代に利用された、とあります。
東北新幹線はこの先で少しづつ東側へと離れていき、日光街道から見えるのはここが最後の地点です。
2.東京街道
地元の学校給食や介護施設の食事などを提供。ローカル企業とは思えない名前がすごい。
宇都宮市に入ると、これまでの国道に「東京街道」の表示が出てきました。
東京から日光を目指す旅人からすれば「日光街道」ですが、宇都宮市民からは東京に繋がる道なので「東京街道」という愛称を付けて呼んでいるそうです。
一つのものを「どこから見るか」で見え方も変わるわけだし、当然と言えば当然ですね。
宇都宮市は「パンの激戦区」と言われ、ここも人気店のひとつ。
茨城・千葉を中心に、店舗展開。3時間仕上げはすごい。
最近の歯科医の看板は、ドクターの顔写真+医院名、がなぜか定番になってる気がするが、イラストは初めてかも。
インパクトのある会社名。
宇都宮餃子の会社だと思ってましたが、佐野ラーメン、から揚げ、那須御用卵のカヌレ、そしてパンと、様々な食を展開しているようです。
この区間は、国道をひたすら辿る区間。
沿道の店や会社のレポートが続いてましたが、歴史的な史跡が少ないことと、都市部に入り店や企業が増えたのが理由でしょう。
3.<第十六番>雀宮宿
雀宮の市街地に入ります。
国道の道幅が狭くなり、郊外型店舗の続く風景から庶民的な商店街に変わり、地銀や信金の支店があれば、ひと昔前からの集落だなぁと感じます。
雀宮宿の江戸口は、この交差点の辺り。
かつては土塁と木戸があったとされています。
本陣跡の門は、1990年代までは残っていたそうだが、今は石碑が残るのみ。
100mほど進んだ場所にある仮本陣跡は、黒門や板塀、住居の一部が現存し、ようやく街道ウォークらしくなりました。
宿場町の名前の由来、雀宮神社に着きました。
もともと今より東方にあった集落から、日光街道の整備により人々が街道沿いに移り始め、徐々に集落を形成。地名がなかったので神社から拝借して雀宮としたのが、今の集落の始まり。
今日のゴールは次の宇都宮宿の予定。餃子と生ビールを楽しみに、あともう少し歩くことにします。
石橋宿→雀宮宿
距離 6.6km
所要 1時間35分(休憩除く)
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