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旧東海道ウォーク㉔ 島田宿→金谷宿

2023年2月25日(土)。
いよいよ「越すに越されぬ大井川」を、越えます。

1.川越遺跡
2.島田市博物館
3.大井川を渡る
4.SLとの出会い
5.<第二十四番>金谷宿


1.川越遺跡

島田宿を抜けると、川越が近いことを感じさせる史跡が続きます。

大善寺 参道の石垣は大井川の河原の石
梵鐘の音が、川越の始まりと終わりの合図
旧道は左の側道、川越(かわごし)遺跡の案内の方向へ
旧道の風景
町名も「河原」
通りの名前も「川越街道」
旧家

住宅街が終わり、当時の町並みが復元され、江戸時代の情緒を残す「川越遺跡」のエリアに入りました。

案内板
川越遺跡の街並み
川越人足が待機していた、番屋
川越人足
川越人足
人足へ賃金を分配する、札場
川越の役所的な「川会所」
その日の水量で料金を決め、ここで旅人へ川札を販売していた
川会所から、東側を望む
島田大堤
せぎ跡

2.島田市博物館

島田市博物館を見学
水の深さと渡しの方法で、値段がかなり違う
これだといったいどれだけかかるのか・・・
博物館を出ると、正面に大井川
今は橋がないので、川沿いの道を右(北)へ進む
旧東海道は、ここから対岸へ渡っていた
河川敷では少年野球の練習中
実際に渡る大井川橋まで迂回

3.大井川を渡る

大井川橋
大井川橋の案内

いよいよ大井川を渡ります。
これまでもいくつか川を渡りましたが、「橋が無い」ことの意味を、だんだん理解してきました。
幕府や諸藩にとっては統制力の強化や地域の防御が図られ、川沿いにできる宿場町での交流からは産業や文化の発展にもつながっているはずです。
大井川橋を渡りながら、あれこれ考えてみました。

対岸には、大きな「茶」の文字

この先に広がる茶畑の発展にも、大井川が関係しています。
明治に入り、鉄道の開通や道路の整備で失業する川越人足の救済として、牧ノ原台地の製茶業を拡大することになったのが、有名な静岡茶の始まりだとか。

大井川橋の歩道
いよいよ川の上に
大井川の流れ
中州をはさんで、何本も水流がある さすがに広い
対岸の先には、南アルプスの山々
渡り切ったら左へ折れ、旧東海道の痕跡へ戻る
渡り切るのに12分を要した さすがの大河
旧東海道の渡し場の辺りまで戻り、右折
旧東海道の案内板
川堤を下り、金谷宿を目指す
金谷にも川越し場はあったが、島田ほど整備されてはいない
橋が架けられた後に川越人足の困窮を救った、仲田源蔵の像
八軒屋橋を渡る
このあたりが、金谷の川越し場跡

4.SLとの出会い

金谷といえば、大井川鉄道の起点の町として有名。

大井川鉄道を踏切で渡る
踏切の名称は「旧国道踏切」

40分ほどでSL列車の到着も見られそうなので、ここで昼食休することに。

旧東海道はここを直進 休憩のため左折して新金谷駅へ
大井川鉄道新金谷駅 歴史的な建造物
大井川鉄道の本社もここにある
改札口

2022年9月の豪雨被害により、大井川鉄道は一部区間で運休が続いています。SL列車も途中駅で折り返し運転となっていました。

機関車トーマス仕様の自販機
SL広場からは、入替する機関車を見ることができる
ちょうど休憩中の、C12型が転車台の上にいた
入場券を購入し、駅のホームへ
レトロなホーム
SL列車が到着 途中折り返しのため、バック運転で入線
C10型 かっこいい
正面からの姿
入替のため、単機で回送

煙を吐き、汽笛を鳴らして走る姿は、やはりかっこいいですね。
休憩とSL見学(約50分)を終え、旧東海道に戻ります。


5.<第二十四番>金谷宿

大代橋を渡るあたりから、金谷宿に入りました。

大代橋
桜と茶畑
次の清水橋では、合流する3本の川と水路をまとめて渡る
秋葉神社
金谷宿の街並み
山田本陣(三番本陣)跡 13:45着 今は眼鏡屋
佐塚本陣(二番本陣)跡
佐塚本陣跡は、今は佐塚書店
柏屋本陣(一番本陣)跡
柏屋本陣跡
脇本陣跡
上り坂になっている
定飛脚問屋跡 江戸と京を月に3回走る定期物流業者
金谷宿の絵図
金谷の一里塚跡 江戸から五十三里目
一里塚跡のすぐ先を左折
JR東海道線のガード下をくぐる
くぐり終えたら右へ
JR金谷駅の裏手に出る
金谷駅のホーム
金谷大橋 ここが西方の見附
大橋と名前が付くが、実際にはこの小川を越える程度

この先は、東海道でも指折りの難所「小夜の中山」越えに、挑みます。

島田宿→金谷宿
 距離 5.3km
 所要 1時間45分(休憩除く)

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