OKINAWA Islands① 絶海の孤島・北大東島へ行ってきた
こんにちは、ばーどです。
沖縄の島々の中でも、最も「孤島」感が強い、北大東島・南大東島へ行ってきました。
0.プロローグ ~なぜ大東島へ?~
大東島は、沖縄本島の東350kmにある、まさに絶海の孤島。
有人島は、北大東島と南大東島の2つ。
以前、転勤で沖縄(那覇市)に7年住んでいました。
那覇の街角や恩納村のリゾートなども魅力ありましたが、休日には本島以外の「離島」を数多く楽しんでました。
赴任する前にも、旅行で沖縄(主に八重山)を何度も訪れていて、ある時「行ったことのある島」を数えてみたら、本島と橋でつながっていたり定期航路・航空路がある有人島(諸説あるが、48あると言われてます)の半数以上に行っていたので、ならば全島踏破を!とガンバったのですが、残り4島となったところで、異動で沖縄を離れることに。
南北大東島は、沖縄の離島の中でも最上級クラス、難易度が高く、まだ行ったことがありません。
沖縄を離れて2年余り、そろそろ島が恋しくなり、あるきっかけも後押しして、思い切って旅にでました。
スタッフにも「北大東のタグ、初めてです」と言われました(苦笑)。
1.那覇→北大東
RAC(琉球エアコミューター)機材は、ボンバルディアDHC-8-Q400CC。
久米島、多良間島、与那国島などへ行った時にも、御世話になりました。
沖縄の島々へ向かうRACとのJTAの楽しみのひとつが、CAさんによる、その行先の"しまくとぅば(島言葉)"。
大東島のしまくとぅばは、「おじゃりやれ~」でした。
2.北大東空港
那覇から約1時間、北大東島空港到着。
1日1便の運航、満席でした。
那覇空港と違って、北大東空港には他に飛行機もなく(1日1便だからあたりまえ)、観光客と飛行機マニアは珍しい風景での記念写真を撮りまくってます。
私もですけど。
乗ってきた便は、那覇→北大東→南大東→那覇 の三角フライト。
そのまま次の南大東まで行くお客さんも、いったん北大東で降りて空港の待合室で待機です。
北大東で下りるので、そのまま右の出口に進むと、カウンターの前に出てしまいました。普通は、預け荷物が出てくる回転台があるはずなのに・・・。
と思ったら、空港スタッフが荷物を運んできてくれて、こんなふうに引き渡してくれました。
ほのぼのしていて、いいですねぇ。
北大東空港発着の三角フライトは、曜日によって回り方が逆になります。
この日は金曜でしたが、火水木の3日間は逆回り。
空港では、ホテルの迎えの車に乗って、まずはチェックイン。
荷物を置いてから、さっそく"探検”に出かけます。
3.北大東島の歴史
ホテルのすぐ隣が、「うふあがり 人と自然のミュージアム」。
あと1時間で閉館、明日は土曜で休館、ですぐに向かったけど、鍵がかかってた。
しばらくすると管理人?が車で帰ってきて、「ちょっと出かけてた」と。
都会とは空気が違うね。
ここで、大東島の歴史をお勉強。
約180年前にロシア艦隊に発見され、ペリーの黒船も接近したらしい。しかし、断崖絶壁に囲まれた島は、人々の上陸を阻み続けた。
明治33年(1900年)、八丈島出身の玉置半右衛門と開拓者が、ついに南大東島に上陸。北大東島への上陸は、その3年後。
島は、サトウキビ栽培とリン鉱石の採掘で栄えた。
リン鉱石は、海鳥の糞と珊瑚礁の石灰成分が反応してできるという、偶然の産物。化学肥料の原料、のちに火薬製造にも使われるようになり、沖縄や台湾から多数の労働者が移住したという。
玉置半右衛門の玉置商会が、リン採掘を主導。八丈島から来た「親方」と、沖縄や台湾からの「労働者」のピラミッドを作り、学校・病院・郵便局などインフラを独占、独自紙幣を流通させ、公的な地方自治が及ばないような、とんでもない治外法権の島だった。
この半右衛門、島の農民には口約束で「将来土地を与える」としていたが、彼の死後にリン鉱山経営を譲渡された製糖会社が「自分には無関係」と土地を手放さず、彼らの自作農の要望は事実上反故にされてしまった。
戦後のアメリカによる統治下時代に、ようやく土地問題が解決して、今に至っている。
沖縄の他の島ともかなり毛色が違う、破天荒でワイルドな島です。
インガンダルマ。
人間が消化しない油成分が多く、食べると必ず下痢になるという深海魚。
名前の由来も「犬の尻から油が垂れる」だとか。
販売はしておらず、あくまで自己責任でなら食べられるというが、遠慮します。
とれる魚までワイルドです。
4.大海原
ミュージアムが閉館したのが、16時。
レンタカーで、島を気ままにドライブしました。
海の青、空の青、雲の白。
夕方とは思えない、南国の陽射し。
5.月桃加工施設
沖縄ではよく見かける、月桃の木。
北大東島には大東月桃という固有種もあり、実がつかないそうです。
島の中央にある加工施設を、見学させてもらいました。
100kgの葉から100mlしかとれないほど貴重なオイルは、非常に香りが強く、黄金色の輝きが印象的です。
6.ハマユウ荘
この日の宿泊先、ハマユウ荘。
7.島人酒場トロっこ
とある繋がりで、島に住む方(=おじさん、と呼ばせていただきます)と居酒屋でご一緒になり、夕食後に合流。
お店は「島人酒場トロっこ」。
リン鉱石採掘会社の事務所を復元した「りんこう交流館」(登録有形文化財)
の一角にあるお店です。
大東島に来たら、まず食べたい!。
マグロとサワラの漬け寿司は、八丈島の寿司がルーツと言われています。
特製の甘い漬けタレが、何とも言えない味です。
沖縄生まれのおじさんは、仕事で北大東に単身赴任中。すでに10年以上住んでいるそうで、島のことをいろいろ教えていただきました。
近年、サトウキビの輪作として始めたカボチャとジャガイモが、島の新たな名産だ、そうで、カボチャの天ぷらと、ジャガイモ焼酎「ぽてちゅう」も注文。
翌日、おじさんのご厚意で、島を案内していただけることになりました。
店を出ると、頭上に満天の星。
久々に天の川を肉眼で見ることができ、感動です。
8.上陸公園
翌朝、おじさんの車で最初に向かったのが、開拓者が最初に上陸した地。
9.リン鉱石貯蔵庫跡
北大東島の観光遺産、リン鉱石貯蔵庫跡は、今回ぜひ行きたい場所でした。
これだけ大規模に残る遺構は他になく、平成末期に国指定史跡に登録。石積みが少し白い部分は、風化して崩壊の危険性があるので補修した跡。
さらに手を加えたら最盛期当時の様子に復元できたのでは、とも思ったが、必要以上には加工しないのが結果的には良かった気もする。
積出港と言っても、断崖のために接岸できず、桟橋の真下辺りに停めた小舟にリン鉱石を落とし、沖に停泊する大型船までピストン輸送していたという。
他にも、かつても労働者住宅や大浴場の跡などもあり、廃墟マニアにはおすすめのスポットでした。
10.フェリー
那覇と大東島を結ぶ、大東海運のフェリー。
だいたい月3本くらいのスケジュールですが、海況による影響で運休や延期がしばしば起こり、乗りたくてもなかなか乗れない船、とも呼ばれてます。
ちょうど着岸していたので、港に見に行きました。
昨夜那覇から到着し、この日の夕方に南大東島に向かうところ。
桟橋設備がないため、人も荷物もクレーンで吊り上げて上陸するという、これまたワイルドな荒業。すごすぎる!
到着や出港のタイミングでないと見れない、珍しい風景には間に合わず、残念。
11.大東宮
大東そばのランチのあと、島の中心にある神社に参拝。
八丈島から伝わった江戸相撲と、沖縄発祥の琉球相撲が組合わさり、島の神事には相撲が欠かせないそうです。
12.沖縄最東端
おじさんが最後に連れてきてくれたのは、沖縄県の最東端のポイント。
島のどこからも青い海と空を眺められましたが、特にここから見下ろす太平洋は雄大に感じました。
大海原を越えた先には、祖先の故郷でもある八丈島があります。
その後、空港まで送っていただき、おじさんとはここでお別れ。ありがとうございました。
北大東島から、お隣の南大東島へ向かいます。
その記録は、またのちほど。
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