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旧東海道ウォーク⑬ 沼津宿→原宿

2022年10月8日(土)。
駿河国に入りました。富士山に最接近しているのですが、姿を見せてくれません。

1.マカド
2.従是東
3.松長の一里塚
4.秋祭り
5.<第十三番>原宿


1.マカド

沼津宿を過ぎ、次は原宿。
竹下通りの原宿みたいな表記ですが、「原の宿場町」ということですので、間違えないように。

三島信用金庫、略しては「さんしん」。沖縄の楽器(三線)を連想。

今日は、原宿を越えた先まで、県道163号を進みます。
と思ったら、バス停には「市道」?。
どうやら、道のことではなく、このあたりの町名のようでした。

しかも、「いちみち」と読みます。

ついに、「静岡」の文字が見えてきました。

この横断旗、懐かしい。ほとんどの交差点に、設置されていました。

「市道」の次の町名は、「間門」と書いてマカド。

アイヌ語も絡む語源とは。
西間門の交差点では、沼津宿の手前で歩いた県道380号と斜めにクロス。
旧東海道(163号)は右、380号は千本松方面へ向かう千本街道となります

2.従是東

しばらく進むと、大きな石碑が。
「従是東」、すなわち沼津藩領がここより東である、とのこと。
三島宿から沼津宿に向かう途中にあった、「従是西 沼津藩」と対をなすものです。縄張り意識が強いことの現れか?

この「東」は、下半分が折れて失われているらしい。
石碑は、西間門八幡宮の境内にあります。
旧東海道
南側の千本街道が見える場所。その先が千本松原、その先が太平洋。
コキア? だろうか。
お寺で英会話教室。ありだと思います。

3.松長の一里塚

沿道は、家々が途切れなく続いています。

江戸から三十一里目、松長の一里塚跡が現れました。
道沿いに続くブロック塀の中に埋もれるようあったため、実は気づかづに素通りしてしまい、戻って発見しました。

松長の一里塚跡碑
なまこ壁の蔵。植え込みもしっかり刈り揃えられてます。

東海道線の片浜駅の近くを通ります。
もともとは駅が無かった場所に、地元からの請願で、昭和62年3月に駅設置。ちょうど国鉄からJRに民営化の10日前のこと。

駅も新しそうです。
三島大社ではなく、三島神社。このあともいくつかありました。

JR東海道線を踏切で渡ります。
これが3か所目。前の2つは「東海道踏切」でしたが、ここは「原踏切」。

「東海道踏切」を期待していたが・・・。

本来は斜めに交差しているのだが、工事のために、道路が大きく迂回して直角に交差。


踏切の手前で、大きく右へカーブ。
西方向を望む。
渡り切ってからも、さらにカーブ。

踏切の立体交差化?とも思いましたが、どうやらこの真下に放水路があり、その関係もあるようでした。


4.秋祭り

踏切を越えたあたりから、家々の軒先に不思議な飾りが見られます。

木の棒から突き出るように
提灯の上からも
軒先の縄から下に

赤紫色に縁取りがある、正方形の白紙を重ねた飾り。
それを、緑色の棒に5つ貼り付けて、玄関先に3本づつ飾っていました。
この地区のお祭りの飾りなのでしょう。詳しく調べることはできませんでしたが、おそらく古くからの伝統を、今に引き継いでいるようで、とても良いことだと思います。

このあたり、神社やお社がとても多く、富士山信仰にも何か関係があるかもしれません。
そのうちの一つ、神明神社は秋祭りの屋台が出ていました。

神明神社

5.<第十三番>原宿

その神明神社の脇に、原宿の東木戸があったようです。

小さな表示で、見落としそう。

原宿は、宿場町の規模としては小さいのですが、富士を望む絶好のロケーションから人気があったとか。

原の出身として、白隠(はくいん)という、「五百年に一人の名僧」がいたそうです。
残念ながら私は知らなかったのですが、あちこちに「白隠の里」と書かれておりました。


ゆかりのお寺の案内図
誕生の地には、「無量堂」というお堂が建てられました。
生涯で36回も悟りを開いたという。あくなき求道精神には、恐れ入ります。

J東海道線の原駅前を通ります。
ここでも富士山の方角には、厚い雲がかかっていました。

原駅
なかなか姿が見えない
本来なら、こうなっていたかも。

宿場町としても小さかったようですが、今もこじんまりとした街並みでした。

原の街並み
問屋場跡の場所は、ラーメン屋の軒先。
本陣跡は、住宅の取付道路の片隅。通過時刻は12時15分。
古い蔵

原宿の西木戸跡を示す表示はありませんでした。

資料によれば、道幅が変わるこの場所辺り、だとのこと。

次は、吉原宿へ。引き続き県道163号を、西へ向かいます。

沼津宿→原宿
 距離 7.3km
 所要 2時間15分


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