架空学生との対話②モノと実践
優秀な学生さんがシェルター<かなりや>に見学&体験に来たという想定での架空対話の第2回目です。①はこちら。
https://note.com/birdsareplaying/n/n6a0d0152d492
対話は③に続くことになりました。むぅ。
入所者:(共用洗濯機の前で)蓋しても水が出てこないんですぅ。
スタッフ:あーコレかぁ。たぶん蓋の接触不良だと思うんです。いつもこうなるんスか?
入所者:いえ、3回に1回くらいかなぁ。
スタッフ:オンボロでごめんなさい。蓋のここんところをグッと押すと…
入所者:あ、出た!出ました出ました。
スタッフ:しばらくこの技で様子を見てくださいね。
入所者:はーい。
学生:あのう、お取り込み中すみません。おはようございます。
スタッフ:お!おはようございまーす。
バスタブの底から
学生:今日もよろしくお願いします。
スタッフ:こちらこそ。
学生:あれから、いろいろ考えたんです。
スタッフ:ほぉ。どんなことを?
学生:「空間から読む」ってこととかです。
スタッフ:ほほう。
学生:それがとっても大事っておっしゃってましたよね。今日は、そこをもう少し詳しく伺いたいなあと。
スタッフ:なるほど。
学生:他にもいろいろあるんですが、まずここが気になりまして。
スタッフ:じゃ、前回のお部屋を見に行きましょうか。あれから仕上げをしておいたんです。
学生:ぜひ!
学生:わ!すっかりキレイになってる!スタッフさん、ホントに掃除にこだわってますよね。
スタッフ:あちこち自由に見てくださいね。
学生:床のベタベタ感がすっかりなくなってますね。備品もキレイになってて。あ、電子レンジの中も掃除されたんですね。
スタッフ:うふ。気づいていただけてホントにうれしいなー。ユニットバスもご覧くださいな。
学生:排水口も磨いてある!
スタッフ:洗面台の裏側もやってるんですよ。
学生:そこまで?あ、ホントだ。あのー、こんな見えないとこまでやるって、皆さん完璧主義なんですか?
スタッフ:滅相もない!雑なとこは思いっきり雑ですよぅ。庭の草むしり、できてないし。
スタッフ:えー、コホン。種明かしをしましょう。ユニットバスだから、シャワーを使うことが一般的ですが、お湯を張ることもありますよね。
学生:ええ。
スタッフ:では湯船につかる感じで、バスタブに入ってみてください。
学生:(バスタブの底に座り)…こんな感じですか?
スタッフ:で、右を見てください。
学生:え?…あ!洗面台の裏側、丸見えだ!!
スタッフ:ここがカビだらけじゃイヤでしょ?
学生:すごくイヤかもです。
学生:ここまで考えて掃除してるなんて、想像してませんでした。
スタッフ:うふふ。これが「空間から読む」の応用編ですね。
学生:この空間を使う人がどう動くかを考慮に入れてるってことですよね。
スタッフ:はい。「できるかぎり」ですけどね。
学生:前回の「空間から読む」は、生活の痕跡から暮らしぶりを読むという話でしたよね。でもこの発展版は、掃除をして生活の痕跡を消し去ったあとの話ってことですね。
スタッフ:ええ、そうです。ではスタッフルームに戻りますか。
スタッフ:さっき、電子レンジの中を掃除したのに気づいてくださいましたね。
学生:前回は確か、ケチャップみたいなのが飛び散って庫内にこびりついてましたよね。すっかりキレイになってましたねぇ。
スタッフ:その電子レンジ、誰かが入所したらどうなっていくと思います?
学生:えーと、汚れていく?
スタッフ:うふふ。そうとも限らないんです。
学生:え?
スタッフ:あは。電子レンジを使わない方もいますし、スーパーやコンビニで温める方もいますし、こまめに拭き掃除する方もいますから。
学生:なあんだ、そういうことですか。とんちクイズみたいじゃないですか。
スタッフ:ふふ。多様性って、抽象的に唱えるのは簡単だけど、「空間を読む」目線だと、こういう具合になるんです。
学生:はぁ…。
スタッフ:では次の問題です。入所者が台所シンクの排水口の掃除ができるかどうかは、どうしたらわかるでしょう?
学生:あは。今度はわかりましたよ。いったん、すっかりキレイにしておく!
スタッフ:大当たり~!
学生:どうしても汚れがたまる部分ですもんね。…って、そっか!掃除って、リセットってことなんですね?
スタッフ:そうなんです。空間から入所者さんの暮らしを「読む」には、いったん空間をリセットしておかなきゃいけないんですよ。そうしないと、何が起きたかわからなくなるでしょう?
学生:「空間から読む」ために、あらかじめ「読めるようにする」わけですね。考えてみれば当たり前のなんですが、考えてもみませんでした。「読む」って、変化に気づくってことなんですね。
スタッフ:もちろん、キレイなお部屋で快適に過ごしてもらいたい気持ちが一番最初にありますけどね。
スタッフ:実は掃除後のお部屋にはもう一つ、大きな役割があるんです。
学生:なんです?
スタッフ:新規入所者に、出会いがしらのカウンターを入れる!
学生:出会いがしらのカウンター?
出会いがしらのカウンター
学生:カウンターって…相手が勢いをつけて向かってくるときに、同時にパンチとかを打ち込んで、威力を増すっていう格闘技とかのアレですか?
スタッフ:それです。
学生:うーん、さっぱり意味がわかりません…
スタッフ:入所のときって、どんな人でも、ものすごく不安だと思うんです。住まいを失って、施設に入ることになったわけで。
学生:「これから自分はいったいどうなっちゃうんだろう」とか「どんな施設に入れられちゃうんだろう」とか…?
スタッフ:そう、そんな風に。そのうえ、ネガティブな考えが拭えない状態にあるんじゃないかと。
学生:「自分がダメだからこうなった」とか「自分はこんなに堕ちてしまった」とか…?
スタッフ:そうそう。そんな気分の人たちが、いざ足を踏み入れた部屋が薄汚れてたら、どう思うでしょう?
学生:「堕ちてしまった」感が一気に強まりそうですね。
スタッフ:そう。「案の定サイアク」ってなっちゃうと思うんです。逆にその部屋が、掃除の行き届いた空間だったら?
学生:「あれれ?これならやっていけるかも」ってなるかもしれませんね。
スタッフ:不安でいっぱいのときって、無意識に「悪い状況が続くだろう」と予測してしまってると思うんです。きっと薄汚れた場所で、やっぱり自分は大切にはされないんだろうなって。そこで逆にキレイなお部屋を用意しておくことで、「あれれ?」って拍子抜けしてもらいたいんですよ。
学生:「予想してたよりマシでビックリ」みたいな?
スタッフ:そう。もちろん不安や心配が全部消えるなんてことはないですし、ネガティブな考えが一気に無くなるなんて期待はしてません。ただ、出会いがしらにネガティブの勢いを削いでしまいたいんです。
学生:ポジティブをぶつけてネガティブの勢いを削ぐから「カウンター」なんですね。そういう目算もあって、掃除にこだわってるんですか。
スタッフ:居室の状態って、メッセージを届けてくれるんです。「あなたは自分をネガティブに捉えてるかもしれないけど、実は大切にされるべき存在で、今は大変かもしれないけど、ここからきっと元気になっていくの」って。これをイッパツで伝えようとすると、言葉じゃ難しくて。
学生:言葉のほうがよくないですか?
スタッフ:ええ、言葉のほうがクッキリ伝わるかもしれません。でも、言葉で「あなたが大切」と言ったところで、入った居室が薄汚れていたら?
学生:あ~。「どこまで本気なんだろう?」と首をかしげたくなりますね。
スタッフ:そう。言ってることと現実に行われていることがズレてると、ダブルバインドみたいになっちゃうんですよね。だから、言葉より現実が優先なんです。
学生:言葉より現実が優先、ですか。前回の「まず現象がある」と似てますねぇ。
スタッフ:あ、確かに。
学生:あのう、これって信頼関係、ラポールの形成ってことなんでしょうか?
スタッフ:え?……言われてみれば。専門用語ではそうなりそうですね。
学生:でも、学校で学んだ内容とはだいぶ違う気がします。
スタッフ:学校で教わるラポールって「自己一致、受容的態度、共感的理解」みたいなヤツでしょ?素直な気持ちで、相手を大切に受け止める、相手のココロの動きに沿って理解する、って。
学生:相手の動作をまねる「ミラーリング」、相手にペースを合わせる「ペーシング」、同じ言葉を返す「オウム返し」とかの技法も習いました。
スタッフ:ああいうのとウチ、どう同じで、どう違うんでしょ?
学生:非言語的メッセージをやり取りするあたりは似ている感じがします。で、違うのは…えーと、面談すらしてないのにラポール形成を進めてる感じがするところです。
スタッフ:おお~、さすがの分析!面談が始まらないことには、ミラーリングもペーシングも始まりませんものね。
スタッフ:ところで、ラポールって心理学界隈で広まった概念ですよね。
学生:はい。
スタッフ:学校で教わる技法も、心理カウンセラーが面談室でクライエントと対話するためのもので。じゃあ、その面談室ってどんな空間なんでしょ?
学生:ん〜。6畳くらいの広さで、リラックスできる雰囲気で、テーブルと椅子が置いてあって…花とか絵とか飾ってある感じでしょうか。
スタッフ:そんな感じですよね。面談室って、雰囲気は柔らかくても、本質的には面談のために創り出された単機能の人工的空間で。だからクライエントが入っただけじゃ、ほとんど何も始まらない。クライエントもそこで面談するつもりでいますから、カウンセラーが入ってきて初めて、何かが始まることになる。
学生:まあ、そうですね。
スタッフ:対して居室は多機能的な生活空間で、新規の方もそこで生活するつもりでいる。だから足を踏み入れた瞬間、何かが始まるんです。
学生:「出会いがしらのカウンター」ですね?
スタッフ:そう。私たちスタッフではなく別の人が一緒だったとしても、入った瞬間「ここならやっていけそう」と感じてくれれば、私たちとの信頼関係づくりのベースになるんですよ。
学生:空間と人との関係性が、面談室とシェルターとでは根本的に違うんですね。
スタッフ:そうなんです。その違いが大事で。
欠損から生まれる
スタッフ:モノの少ない面談室と違って、ここではモノがいい仕事をしてくれるんです。洗濯機の不具合さえ、コミュニケーションのきっかけをくれるわけで。
学生:ふふ。さっき「オンボロでごめんなさい」って謝ってましたね。
スタッフ:ありゃ見られてたか!そう。入所者さんたちは、私たちにお金がないこともわかってて、それを受け入れてくれるんです。
学生:前回の「受容」みたいですね。
スタッフ:まさにそれです。入所者の側も、私たちを受容してくださってるんです。これがなければ、ウチはやっていけませんね(笑)
スタッフ:入所者はスタッフのことをよく観察してるんです。どんな人たちなんだろう、何をやってるんだろうって。
学生:入所者さんたちにとっては、きっと死活問題ですもんね。
スタッフ:そうだと思うんです。私たちが居室の掃除をしている様子なんかも、それとなく、ちゃーんと見てくれてて。
学生:見られてることも計算のうちなんですか?
スタッフ:計算ってほどではない。やってるうちに気づいた感じです。
スタッフ:でね。とりわけ入所直後は、私たちの「至らなさ」が大切でして。
学生:?
スタッフ:入所時に「足りないものがあったら、とにかくお声かけくださいね」と伝えておくんです。で、しばらくすると「あの、ハサミありませんか?」とかお声かけくださる。
学生:ハサミが居室にないんですか?
スタッフ:それが私たちの雑なところで、把握してなくて。居室によってあったりなかったりするんだけど、自分で持ってきてる方もいるから、どの居室にあってどこに無いのかがわかんない。
学生:ワザとじゃないわけですね。
スタッフ:そう、ワザとじゃないんです。だけど私たちが至らない結果、入所者とのコミュニケーションが生まれてるように思います。
学生:さっきの洗濯機みたいに?
スタッフ:そう、あんな感じに。
学生:でもハサミって、生活に不可欠な品ですよね。それがないって「改善すべき点」じゃないんですか?お金がなくても、全部の居室にハサミを用意することくらい、できそうですよね。
スタッフ:できなくはないと思います。でも、そこまでやりたくないなぁ。そもそも、全ての居室にハサミを置くことは、本当に「改善」なんでしょうか?
学生:生活の質が上がるから改善では。
スタッフ:そうかなぁ?
学生:入所者はいちいちスタッフルームにハサミを借りに来ないで済みますよね。それのどこが問題なんでしょうか?
スタッフ:表面的には「改善」に映るんでしょうけど…
スタッフ:そういう「改善」を重ねていったら、最終的にはどんな状態にたどり着くかしら?
学生:えーと…皆さん、違和感なく安心して生活できるんじゃないですか?
スタッフ:もしそうなったら、入所者はスタッフルームに来ますかねぇ?
学生:来る回数は減るかもしれませんが、煩わしさが減るってことですよね?
スタッフ:なるほど。でもそれって「生活の質」のうち、「便利さ」という点では「改善」かもしれませんが、「相談のしやすさ」という点ではどうなんでしょう。
学生:どういうことです?
スタッフ:いきなり「実は住民税滞納40万円を放置してまして」は言えなくても、「爪切り貸してください」は言いやすいですよね。
学生:まぁ、そうですね。
スタッフ:そういう些細な困りごと、ハサミとか爪切りとかガムテープとか、使用頻度が微妙なモノが微妙に欠けていることで、スタッフと会う回数が増える。そのぶん、入所者がスタッフを「どんな人たちだろう?」と、よりよく観察できるんじゃないかな、と。
学生:ああ。さっきの、欠けてる部分があることがコミュニケーションを促す、という…
スタッフ:それです。その積み重ねのなかで、入所者とスタッフの関係が育っていく。入所者が「相談しても大丈夫かも」と思える程度に関係ができたら、ようやく「実は住民税滞納を…」にたどり着くもんだと思うんです。
学生:全居室にハサミを置いてあると、信頼関係が育ちにくくなる、という…?
スタッフ:あ、いえ、ハサミくらいなら、それほどの影響力はないと思うんですけど。
スタッフ:むしろ問題なのは「改善」って言葉なんじゃないかなって。本当にどんな方でも違和感なく過ごせる究極の居室を用意したら、入所者の孤立の度合いは高まってしまうと思うんですよ。
学生:ああっ!!そういうことか!自分は、「欠けてるモノを補う」ことは「改善」でしかなくて、「改善」はとにかくイイコトと考えてましたが…
スタッフ:ふむ。
学生:でもスタッフさんは「欠けてるモノを補う=改善」の「=」に違和感があったんですね。
スタッフ:やーん、わかってくれてありがとう~!そう、欠けてることで何かが生まれることもあるんですよ。
学生:言葉より現実が優先、ですもんね。
スタッフ:…おおう…なんという飲み込みの良さ…!
学生:つくづく思うんですが、ここで見聞きすることって、学校で教わる内容とつながる部分も多いんですが、違う部分もすごく多いですね。
スタッフ:私も学校で教わったことと、ここで起きてることのズレにはずいぶん考えさせられました。
学生:援用している理論とかってあるんですか?
スタッフ:くわー、痛いとこ切り込まれた。えーと<かなりや>はともかく、今回の記述は、ANTをベースにしてまして……
学生:ANT??アリと関係してるんですか?
スタッフ:おおおぅ…ボケをかましてくるとは…!長くなったのでぼちぼち締めくくりたいという願望が、架空世界にバグをもたらしたのかな…?えーと、ANTは「アクターネットワーク理論」の略なんです。この理論については、ここに手をかざしてみてください。
学生:ここですか?
学生:……ああーっ!!そうか、人間だけじゃなくてモノも人間と同様の主体として捉えることによって実践についての記述と社会学的概念とのズレという問題を……
スタッフ:わかったから、わかったから。えーと、また見学にいらっしゃいます?
学生:ええ。だって、どうやって「どんな方でも、できるかぎり」受け入れているか?という最大の疑問がまだ残っていますから。
スタッフ:じゃ、また来てくださいね。
学生:はい。バグ、直してきまーす!
(つづく)